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「彼女」自身の話をしてみようと思う。名前はプルメリア。生年月日を尋ねるのは野暮だ、だって彼女自身それを知らないのだから。
それ以外——それ以外には、何の付加すべき物語もない。このエリア、或いは他のエリアに住まう人々と同様に、ただ名前とナンバー、性別という区別があるだけのヒューマン、ヒト、人間。ナンバーは個人情報秘匿の都合、ここには書けない。
ヒューマノイドが掃除機をかけていた。手織りだという極彩色の絨毯、それはこれ以上ない程に柔らかく、またこのエリアにも似合うので、前ゾーンから持参したものだ。ヒューマノイド——いちいち長い名称を書くのも煩わしいので、ここではAと記そう、Aにはその絨毯に塵一つ残さないようケアすることを課していた。
以前、上を歩くとわずかにざらりとした埃の感覚があったので、そんなこともこなせないAを殴り倒したことがある。余りの怒りに我を忘れたプルメリアは、Aの躯体を少しばかり傷つけてしまった。修繕費を払わなければいけなかったが、タスクをこなせなかったAが悪い、とメーカーに言えば、無償で修繕とアップデートをしてくれたものだ。
「A」
「はい、ご主人様」
「私の顔はどう見えるかしら?」
顔を晒したことを、Aは咎めなかった。ただセンサーを駆使して、プルメリアの顔に相当するパーツをスキャンしている。
「どう見える、とはどのような項目についてのお話でしょうか」
「そうね……考えたこともなかったわ。ええ、そう、それならそうね、平均に照らし合わせて、同じなのかしら?」
「目、鼻、口がございます。平均データと比較しますと、まさに平均の通りかと思います。……しかしご主人様、その布を取ることは禁止されております、速やかに元に戻された方がよろしいかと存じます」
「政府から知らせが来たわ。私は何日か後には消却されるらしいの」
「そうですか」
「ええ、だから、少しばかり。後のことを何も考えず振る舞いたいと思っているのよ」
理解しました、とAは答えた。
——目と鼻と、口がある。そういうものか、と思い、格子窓に薄ぼんやりと映った自分の「顔」をまじまじと見つめた。初めての経験だった。
貴方も座りなさい、とソファにAを座らせた。
新しい紅茶を淹れさせる。菩提樹でフレーバードされた紅茶、お気に入りの一つだ。
「今、考えているのよ」
「何をでしょう」
「所謂、余生というものかしら。何をしようか、と思って」
「プルメリア様が楽しいと感じられることでしょうか? それとも悲しいと感じられることでしょうか?」
「どちらでも構わないわ。そうね、でも折角なら両方味わいましょう」
「禁止事項に抵触します」
「それは無視して良いわ、発覚する頃には恐らく消却は終わっているでしょうから」
静寂が流れ、時折、風に揺れる柳の葉が緑の音を立てる。
プルメリアとAは、ただソファに座してしばしの時を過ごした。Aに「楽しいこと」と「悲しいこと」についての情報を問うた。データベースから検索したAは、楽しいこととしていくつかの提案を、悲しいことについてもやはりいくつかの提案をした。
その内のどれだけを、消却までに行えるかは分からない。
だが、折角の時間なのだから、と彼女はまず行動することにした。
禁書の問い合わせと取り寄せ、アウトサイダーズ保護強制プログラムの手続き、すべきことは沢山あった。
まず手に入れた禁書「人類史」から旧人類史における歴史を学んだ。
その学びに従って、人類という旧いものたちの真似をしてみようと、決意したのだ。
これからの充実に期待した眼差しで、初めて見る自分の顔を硝子窓に写す。
ああ、なんて美しい。
恋というものがあるのを知った。美しいものが「愛される」ということも知った。
そしてその愛は、非常に強い充足感、例えばドパミンの放出を手助けするのだと。
ドパミンの放出が目的だ。
それならば愛を得たいと思ったし、美食に耽りたいと思った。「美しい」風景を知りたいと思った。このエリアにある庭ではなく、どこか、どこか遠くにあるものに。
どこまで手が届くかは分からない。
だが消却を間近にして、意外なことにも高まっていく期待に、彼女は胸を踊らせていた。
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