無菌楽園

仇野 青

1

午睡から目覚めて、彼女は庭に迷い込んだアウトサイダーズを窓ガラス越しに見つけた。

しっとりと草花が繁り、桃の花が美しい庭園には、小汚い彼らは見合わない。不躾にも裸のままで庭に居座り、餓えているのだろうか——桃の実を貪り、果汁を撒き散らしていた。目障りな彼らを処理しよう。折角手に入れた「美しい暮らし」に、こんな不純物は要らないし許容されていいはずがない。道徳的にも。彼女はブザーを押して警邏を呼んだ。じきに駆けつけて、奴らを庭から押し出してくれるだろう。


全く、どこから入ってきたというのか。

野良となった人間は感染症を持っている可能性が高い。ゾーンへの侵入を一度でも許せば、平気で居座ることもある。あろうことか、彼らを哀れんで餌付けしている者もいるらしいが、彼女には全く理解できなかった。

兎に角、美貌の彼女は、美しくあるべき自らの暮らしに、みっともないものがコンタミするのを毛嫌いしていたのである。

優美で優雅な日常。毎晩ケータリングを依頼し、その日の気の赴くまま、シェフの作る一流の食事を食べる。購入したヒューマノイドは、まあまあ痛い出費だったが、快適な暮らしには欠かせなかった。お気に入りのバカラ・グラスをコレクションし、今回暮らすことになった李氏の庭に相応しく、シノワズリな青磁も飾った。


「李氏の庭」エリアのイエローゾーン。

彼女の住まいはそこにあった。エリアの中にも区分があり、ゾーニングを明確にするために、家の壁はマスタードイエローに塗り固められている。

このゾーンへの引越しが決まったのは、五年前の籤だった。期限はちょうど五年だから、またもうじき籤を引く時が来るのだろう。

国民のナンバーがランダムに選ばれ、居住区画が決められる。


六年前は「モンスーンの庭」エリアに住んでいたが、そこは名前の通り雨が酷く、少々不満があった。蜃気楼のように揺らめく湿度、いつも雨後を思わせる、年中咲き乱れるガーデニアは美しく、漂う芳香は得も言われぬ者だったが。

李氏の庭エリアは、温暖で寒暖差もなく、「地中海の庭」エリアほど乾いた気候ではなく、適度な湿度と四季があった。

丸い格子窓越しに見える、梅や花梨、小ぶりの竹林。慎ましやかに内包された庭園が、このエリアの醍醐味だ。


やおら、一匹の蝶が迷い込んできた。飛ぶと云うより浮遊するような優雅さで、青く輝く鱗粉をはためかせ、煌めきを部屋に撒き散らしていく。窓辺から差し込む揺らめく陰影と、その輝きのコントラストは、彼女を感嘆させた。花の蜜でも求めているのだろうか。

一匹、二匹、蝶が増えていく。これまでに経験したことのない風景だ。これも、このエリアの特徴なのだろうか。飲んでいた紅茶を置いて、戯れるように蝶達に手を伸ばした。

ある蝶は、彼女のことが気に入ったのだろうか。指先に静かに着地すると、呼吸のリズムで翅を開閉させた。


しかし、その時彼女は悟ったのだ。

これは政府から与えられた命令だ。死期が近い。そう言うことなのね、とため息交じりに話しかけると、無論、蝶は何も応えなかった。ただ任務は果たしたとでも云うように翅を震わせ、音もなく消えて行った。

周囲にいた蝶達も次々と去って行く。青い鱗粉と輝きの名残、美しい死の芳香だけが部屋に残った。

それなら、と彼女は決めた。ここしばらくは死を待つ最後の晩餐。

平穏を維持する必要もなく、次の籤に思案する必要もない。それならきっと、例えばその痩身の体躯を維持するために一生懸命に制限していたカロリーも気にしなくて良いし、気まぐれなことを行っても、後にはもう何も残るまい。

ただ無と云う静寂が訪れ、処理は政府によって行われる。


だから、彼女は気まぐれを振りまくことにした。あと何日だろうか。

まず初めに、禁止されている事項を破ろうと思った。顔にかけられた白布を、ゆっくり、ゆっくりと捲った。

鏡、と云うものがあるらしいが生憎それはない。だが格子窓のガラスに自分の姿が映ることは知っていた。


窓辺に柔らかく手を置いて、彼女は自身の「顔」と云うものを、生まれて初めて、じっくりと眺めた。

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