36話 謝ってください
バイトの仕事着から私服に着替えた俺は、テーブル席で待っていた凛に向かい合って座った。
テーブルにはもう南々子さんが用意してくれた料理が並んでいる。 美味しそうなドリアとサラダ、あとスープだ。
「お疲れ様」
「おう、お待たせ」
待っていた凛と軽く言葉を交わしてから、いただきますと言って二人で南々子さんの手料理を頂く事にした。 凛はドリアを一口食べると、
「お、美味しい……ね」
その料理の美味しさに凛は驚いている様だ。 そうだろう、と何故か俺は鼻が高くなる思いになる。
「そうなんだよ、昼食べたパスタも美味しかった。 俺は感動したよ」
「うぅ、こーくんがそんなに言うと、ちょっと悔しい……」
初めて働いた後だったのもあって、俺は思い出に残る料理達を絶賛した。
「りんも櫻もそう言うけどさ、相手はプロなんだ。 悔しがる事じゃないだろ? りんの作ったサンドイッチだって美味かった。 外食の美味さと家庭の美味さはまた違うんじゃないか?」
「そうだけど……だって、こーくん南々子さんの事すごく褒めるから、ちょっと妬いちゃうんだよ」
そうなのか? 知ってる女性の作った物だと、相手がプロでもそう思うものなんだろうか……。
それから美味しく完食した俺達は、挨拶をしに厨房に顔を出した。
「南々子さん、お疲れ様でした。 ご馳走さまです」
「ご馳走さまでした、美味しかったです」
「お疲れ様! 凛ちゃんもまた食べに来てね! ゆう君の幼馴染なんだからいつでもご馳走するから!」
明るい南々子さんの声に仕事の疲れも癒されて、俺と凛は店を後にした。
店を出て凛と並んで歩く、夏の日はまだ高く、夜の暗さはそこまで感じなかった。
「海行った以来だな」
「そうだね。 最初海は抵抗あったけど、楽しかったな」
「ああ、あの日は色々あったけど、結局楽しかったよな」
「うん」
あの日、タイムリミットが作られた。 でも、その後も四人で楽しくはしゃいだんだ。 そんな楽しい思い出話をしている……筈なんだが、どこか寂し気な表情の凛が気になった。
「なんか、元気ないな」
「そ、そう?」
そんな事ない、と言っているのだろうが、俺の顔を見ようとしないし。 そもそも今日までなんの連絡も無かったのも気掛かりだったからな。
「今、どこに向かってるんだ? 家まで送るよ」
「え……うん」
駅に向かう道ではあったが、そのまま別れるのも素っ気ない。 送るぐらいは、と思って言った言葉に、また寂しそうな凛を見て、そうだよな、少し話をしよう。 折角会いに来てくれたのに、もう家まで送るなんて、本当に俺は気の利かない男だと反省した。
「食後だし、ちょっと座って話そうか?」
「え? ……うん」
やっと俺の顔を見上げて微笑む凛。 ごめん、俺が出来ない男なばっかりに……。 ちょうど近くに公園があったので、そこのベンチに二人で座って休む。
櫻の家の近くの極小の公園に比べれば真っ当な公園だ。 人もまばらにいるし。
「仕事ぶりは見れなかったけど、こーくんの仕事着姿見れて良かった」
「サロン巻いただけで、制服とそんな変わらないけどな」
「でも、やっぱり違うよ。 かっこよかったよ」
「……大袈裟だよ」
一日働いたぐらいでそんな事を言われるのは、ちょっと恥ずかしい。 自分なりにやったつもりだけれど、助けられていたんだろうし。
「照れてるの? 可愛い」
「おい」
覗き込む様に見て揶揄ってくる凛に牽制を入れる。 凛は悪戯そうに少し笑って、また寂しそうな顔をする。 そして、
「私から連絡ないから、おかしいと思った?」
「んー……うん」
気になっていたけれど聞けなかった事を、凛が切り出した。 俺から連絡もしなかったし、それで聞くのもどうかと思っていた事だ。
下を向いている凛は、肩をすぼめて、小さい身体が一層小さく見える。
「……びびってました」
今日は下ろしている凛の長い髪が、弱気なその小さな顔を守る様に隠している。
「一緒に海に行って、楽しい思い出が出来て、欲しかった物がいっこ手に入ったけど……帰って一人になったら、すごく怖くなっちゃって」
かすれる言葉尻が、悲痛な気持ちを伝えてくる。 深く俯く凛の前髪が浮き、微かに揺れる。
「こーくんの彼女になれるのか、また眺めるだけの私になるのか。 それがこの日だって決まって……怖くなった。 だって、欲しかった物が少しずつ心に溜まってきてくれたのに、全部しまい込んで諦めなきゃならない。 風邪をひいたこーくんの傍に居れた事も、デートしてくれた事も、全部……」
残酷な言葉を紡いで俯く凛に、俺は何も言えなかった。 どう言ったらいいのか、分からなかった。
「そう思ったら……何日も経っちゃって。 馬鹿みたい、今頑張らなきゃまた、後悔するのに……。 だから今日、思い切って会いに行ったの。 会えたら、やっぱり嬉しかった」
顔を上げて微笑む凛、その顔にはまだ長い髪が少しかかっていて、自然と俺はその髪を優しく払っていた。
「こー……くん」
蕩ける様な瞳で俺を見上げる凛の表情を見て、やっと自分の行動に気付き、
「か、髪がかかってたから……ごめん」
慌ててそう言うと、凛はきょとんとした顔になり、それからゆっくりと微笑んで、
「なんだ、キスしてくれるのかと思った」
「それは、だって……まずいだろ」
そんな事して凛を選んだら……逆にその上で櫻を選んだら、どっちにしろ俺は最低な男になってしまう。
「キスしたからって、選ばれなくても恨まないよ?」
悪戯に笑い、見透かした様に言う凛。 俺は堪らず、
「ば、バイトで疲れてるんだ、勘弁してくれ……」
「なにそれ? 冷めた夫婦みたいだよ?」
凛のやつ、調子に乗って……。
「泣き虫の癖に今日は泣かないんだな」
そう言ってやると、凛は哀しそうに笑って言った。
「泣いたら、ズルい気がして、それに、こーくんが辛いでしょ?」
ーーーその言葉の意味は、馬鹿な俺にもすぐに解った。
だが考えてみると、今日聞いた凛の言葉は、全てが後ろ向きだった気がして、
「さっきから駄目だった時の事ばっかりだな」
「……そう、だけど……」
不貞腐れた子供の様にぼそぼそと言いながら足をぶらつかせる凛。
「少しは前向きな事も言えよ」
「だって……じゃあ、どんな?」
「例えば……そうだな、付き合ったらこうしたいとか、こんな事したいとか」
「なにそれ、エッチ」
「そういう意味じゃないよな!?」
少し赤くなりながら俺をジト目で見てくる凛。 そういう捉え方するか……? 俺が無実を主張すると、凛は急に真面目な顔をして言った。
「こーくん、これから選ばなきゃいけない人に付き合えてからの事を言うなんて、それこそ卑怯でしょ?」
「うっ……」
……確かに。 またか、馬鹿な俺は、また馬鹿な事を気付かず言った……のか。 なんて……馬鹿なんだ。
「気付いた?」
「……はい」
大馬鹿者の俺は、まさにぐうの音も出ずに認めざるを得ない。
「じゃあ、謝って下さい」
「……ごめんなさい」
全面降伏の俺は、ただ素直に謝罪する。 凛は厳しい表情でそう言ったが、その後、
「いいよ、許してあげる」
「…………」
悪戯そうな顔の可愛いらしい妖精は、 その明るい髪を揺らしながら、首を傾げて微笑んだ。
その言葉の意味は、今の俺の謝罪に対して、の筈なのに、全てを許してくれる……そんな風に俺には聴こえた。
それは勝手な俺の解釈で、そんな意味じゃないかも知れないのに、何故か俺には、確信めいた感覚があったんだ……。
そんな救いの言葉を受けながら思った事は、優しいこの言葉に甘えて決断してはいけない。 凛も櫻も、同じ様に俺の決断に救いをくれた。 それは彼女達の優しさなのは痛い程解ったけれど。
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