32話 バイト

 

 決着の時を決めたあの海から数日後。 雄也は自宅のリビングで南々子と夕食後のコーヒーを飲んでいた。


「ねぇ、ゆう君。 あれから櫻ちゃんに連絡したの?」

「いや、まだだ」


 衝撃の櫻への告白から、雄也はまだ行動していない様だ。


「大丈夫なの? 櫻ちゃん、孝輝君の事好きなんでしょ?」

「南々子、俺も考えた。 孝輝より俺が優位なところで勝負しようと思う」

「へぇ」

「それを今実行する。 見ていろ」

「い、今? どう言う事?」


 不思議そうな顔をする南々子、雄也は携帯で電話をかけ始める。


『はい』

「よう喜多川、明日暇だったら俺とホテルに行かないか? ……切れた、電波か?」


 かけ直そうとする雄也、それを南々子が慌てて止める。


「ま、待ってゆう君!」

「なんだ?」

「電波じゃない! 切られたんだよ!?」

「そうなのか? この作戦は駄目か」


 無表情の雄也を心配そうな顔で見ている南子々。


「ふむ、どこが悪かったかな」

「ぜ、全部! 全部だよゆう君!」

「何故だ?」


 不思議そうにする雄也を呆れた顔で見る南々子、そして溜息を吐いてから南々子は話し出した。


「あのね、まだ好かれてもない人にいきなりホテルに誘われたらこの人おかしいと思われるよ? ましてや櫻ちゃんには好きな人がいるのに」

「そうか、孝輝より経験のある部分で攻めようと思ったのだが。 言い寄ってくる女しか相手にした事ないからな、経験不足と言うやつか」


 もはや不憫にも感じる雄也の恋愛観に南々子は目を細める。


「せめて映画を観るなり買い物に誘うなり、とりあえずデートに誘わないと」

「デートか、分かった。 考えてみよう」


 本当に大丈夫なのか、不安気に雄也を見つめる南々子。


「あ、そうだ。 ゆう君さ、孝輝君今度バイトしてくれないかな?」

「バイト? 南々子の店でか?」

「うん。 ちょっと人手が足りない日があって、二、三日でいいんだけど」

「分かった。 聞いてみる」


 自宅から歩いて10分程の場所に、南々子がやっているイタリアンの店がある。 そこで孝輝に短期でバイトをしてもらいたいと言う話らしい。


「孝輝は南々子が好きみたいだからやるんじゃないか?」

「わ、私は人妻だって!」

「言い方が悪かった。 南々子の料理が、だ」

「そ、そう」


 感受性の高い南々子とポーカーフェイスの雄也、真逆の二人は意外と相性のいいコンビだ。……一応親子だが。



 ◆



「全く、久保君の変態……ただの悪戯電話だよあんなの……」


 雄也からの電話を切った後、ベッドでうつ伏せに寝転がる櫻。


「孝輝は、何してるかな……」


 携帯を持ち孝輝に電話をしようとするが、そのままベッドに顔を埋める。 そして暫くして、


「でも、何て言おう……ええい! 弱気は禁物!」


 意を決して電話をかけるが、孝輝は出ない、話し中の様だ。


(もう、折角勇気出してかけたのに……まさか、夏目さんと話してるのかな……)


「お風呂、入ろ」


 櫻が電話をかけたその時、孝輝が話していたのは、



 ◆



「はい」

『よお孝輝、ちゃんと食べてるか?』

「親かお前は。 どうしたんだ?」

『実はな、南々子のやっているイタリアンの店が人手不足らしくてな、二、三日でいいから孝輝にバイトを頼めないか聞いてくれと言われてな』

「バイトか……」


 部活をしている訳でもないし、特にやる事もないしな。 しかし、


「頼ってくれたのは嬉しいが、俺で大丈夫かな? 逆に迷惑を掛けるのもなぁ」


 未経験、と言うかバイトした事ないしな。 そんな難しい事を出来ると南々子さんも期待してはいないだろうが。


「大丈夫だろ。 それにまかないで南々子の手料理が食えるぞ、お前の最悪の食生活も少しは改善されるだろう」

「何事も経験だよな、やる」


 南々子さんの手料理、その誘惑に負けて俺はついその申し出を受けてしまった。


「流石扱いやすいな」

「それは悪口だな?」


 確かに俺は雄也に踊らされる傾向があるな、気をつけよう……。


「じゃあ詳細はまた連絡する」

「わかった」


 初めてのバイトか、短期ではあるが。 南々子さんの手料理もさる事ながら、コック姿の南々子さんもいいかもな。


 いや、何を考えてるんだ俺は。 決着の花火までタイムリミットは刻々と迫っているんだぞ。


「……櫻?」


 携帯の着信履歴に櫻からの着信があったのでかけてみたが、櫻は出なかった。

 まぁ後でまたかけてみるか、櫻からかけて来るかも知れないしな。


「風呂でも入るか」


 学校もない事だし、偶にはシャワーだけじゃなくゆっくり湯船に浸かってのんびりした。

 風呂から上がり携帯を見ると、またすれ違いで櫻から着信があった。 かけ直してみると、


『もしもし!』


 な、なんだ? やけに言葉に力が込もっているな……。


「ど、どうした櫻、怒ってるのか?」

『だって、かけたら出ないしいないとかかって来るし!』


 それは……俺だけのせいじゃないよな……。


「偶々タイミングが悪かっただけだろ?」

『なんか、そう言う運命みたいで……やだ』


 怒ってると思うと急に沈む。 今となってはこれも櫻らしく感じてきたな。


「大袈裟なんだよお前は」

『今ナイーブな時期なんだから……』


 そうか、そうだよな。 俺より多分、櫻や凛の方が不安なんだろう。


「それで、どうしたんだ?」

『なにが?』

「いや、電話して来ただろ?」

『別に、ただ電話しただけ』


 …………それにしては大事に化けたもんだな。


『ダメなの?』

「いや、いいよ」


 間をあけた俺に不満気な声を出す櫻。


『孝輝、誰と話してたの?』

「ああ、雄也だよ。 南々子さんのイタリアンのお店でバイトを頼まれて」

『バイト? やるの?』

「ああ、二、三日のスポットだけどな」

『そっか。……今度は、いつ会えるの?』


 いつ……基本的にいつでも会えるが、バイトの日がまだ分からないぐらいか。


「どこか行きたい所あるのか? 何したいとか」

『何でもいい、どこかに行きたいとかじゃないの。 ただお散歩しても、お茶しても、何でもいいから……会いたいの』


 櫻の切なそうな声が胸に響く。 傍に居たら抱きしめてしまいそうな声だ……。


「じゃあ明日会おう。 俺がそっちに行くよ」

『ううん、私が迎えに行くよ』

「家にか? い、家の中は駄目だぞ」


 何が怖いって、俺の自制心が怖い。 最近色々意識してしまっているから、理性を保てる自信が正直ない。


『そんな事言って、夏目さん部屋に入れたら許さないからね』

「そんな事する訳ないだろ……!」


 凛も同様だ、 危険すぎる。 俺が。


『じゃあ、明日ね!』

「ああ」


 最後は櫻の明るい声が聞けた。 あの海以来だな、会うのは。


 櫻の水着姿、凄かったな……。

 可愛いとかじゃなくて凄いって何だ……駄目だな、やはり部屋には入れられない。


 俺は自分の理性が信用出来ない事に確信を持ったのだった……。



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