第39話 救出


「伯父上、そこまでです!」


(……この声は……)


 認識する前に、ヴァイナスの首から圧迫感が消える。


「おぉ、セレスト!」


 ヴァイナスはその場にうずくまりゲホゲホと咳き込みながら、必死に空気を吸い込んだ。

 喜色を表すジェオルジの声に、信じられないと震える。


「――せ、れすと、様……」


 どうして、一番来て欲しくない存在が、ここにいるのだ。


「ヴァイナスを解放してください。用があるのは、僕でしょう」

「もちろんだ、セレスト。お前がこちらに来るのなら、添え物姫は解放してあげよう。――さぁ、来なさい」

「だめっ……」


 思いとどまってくれと、かすれた声を上げたヴァイナスに、ジェオルジの凶暴な視線が向けられた。


「邪魔をするな、添え物風情が!」

「伯父上!」


 髪を鷲づかみにされたヴァイナスを見て、セレストが叫ぶ。


「僕は、貴方の元へ行きます。ですから、彼女に乱暴しないでください」

「ああ、いいとも。可愛いお前が、聞き分け良くしているのなら、叶えてやろう」


 セレストは、しっかりとした足取りで近づいて来た。

 ジェオルジは、笑みを浮かべたまま待っている。


「セレスト様、駄目です、逃げて」


 セレストが距離を縮めた分だけ、ヴァイナスの髪を掴んでいたジェオルジの手からは力が抜け、注意もそれる。


 二人が真っ正面から向かい合った時には、ヴァイナスは自由になっていた。


「お前は出来のいい子だ、セレスト。カメリアは最後に、私に素晴らしいものを残していってくれた」


 口を引き結んだセレストに、ジェオルジの手が伸びる。


「――だめ……!」

「大丈夫だ、ヴァイナス。……言っただろう? 僕が、貴方を守る」


 絶望的な気分に陥っていたヴァイナスの耳に、諦めなど微塵も感じさせない、少年の声が届いた。


「ぎゃああっ!」


 そして、ジェオルジの絶叫が響く。


「セレストっ! セレスト、貴様ぁ!」


 ジェオルジは右手を押さえ、怒りの形相を浮かべていた。

 押さえた右手からは、赤い血が溢れている。


「伯父上……いいや、ジェオルジ。貴方が、ヴァイナスから離れてくれるのを待っていた」


 セレストの手には、短刀が握られていた。


「この先、僕が貴方に屈する事は、決して無い。――彼女が、傍で見ていてくれるから」

「セレストォ!!」


 ヴァイナスを背に庇うセレストに、激高したジェオルジが襲いかかる。

 しかし、彼の動きは寸前で止まった

 首筋に、ぴたりと剣があてられていたのだ。


「動くなよ。これ以上、汚い手でお二方に触るな」 


 鋭い目をしたクロムが、ジェオルジに剣を突きつけ冷ややかに言い捨てた。

 後ろからは、ゼニスと彼の配下らしき兵達がやってくる。


「ジェオルジ。第二王子の妻であるヴァイナス姫は、ノーゼリアとイグニスにとって和平の象徴となる大切な存在だ。姫を拐かし、傷つけるなど、両国の関係を揺るがす許しがたい行為。イグニス王の意に背く行為でもある。謀反の容疑で、拘束させてもらう」

「私を裁けるものか……! 何人も、私を裁くことなど出来はしないのだ」


 ぶつぶつと呟くジェオルジは、兵士達に縄をかけられ、外へと連れて行かれる。


「ヴァイナス!」


 それを目で追っていたヴァイナスは、ばっと視界を遮られ顔を上げた。


「……セレスト様」

「待たせてすまなかった! もう大丈夫、大丈夫だから……!」


 セレストは、ヴァイナスの頭を抱え込んだ。


「今、縄を解いてやる」 


 常ならば、大人の矜持もある手前、泣き顔をさらすなど以ての外だと思う。

 だが、伝わってくる温もりに、ヴァイナスの涙腺が緩む。


「殿下、切った方が早いです」

「クロム、頼んだ」


 ヴァイナスの頭上で、主従達が会話を交わす。

 そして、ぱさっと縄がほどけた。


「はい、奥方様。もう、だいじょう……っ」


 クロムの声が、不自然に途切れる。

 セレストが、何かに気がついたように顔色を変えると、クロムを押しのけ、もう一度ヴァイナスの頭を抱え込んだ。


「うわぁ、ちょっと、殿下!?」

「見るな!」


 一喝し、クロムを遠ざける。


「怖い目に合わせて、すまなかった」


 セレストそう言われて、頭を撫でられ、ヴァイナスは自分の涙腺が決壊してしまった事に気づいた。


「もう大丈夫。怖くない」


 高い体温に安心すると同時、ヴァイナスは自分はずっと寒かったのだと思い出し、セレストに腕を回した。


「――セレスト様……!」

「うん。ここにいる」


 セレストは、泣き縋るヴァイナスに応えるように背中に手をやると、以前ヴァイナスが彼にそうしたように、ぎゅっと彼女を抱きしめた。

 そして、決して離しはしなかった。



 ヴァイナスが落ち着きを取り戻した頃、クロムがやんわりと二人を促した。


「……殿下、宰相閣下はふん縛ってゼニス様が連れて行きました。俺達も、もう出ましょう」

「……そうか。……もう安心だ、帰ろうヴァイナス」


 常よりも、少し大人びた顔で笑いかけてくるセレストに、ヴァイナスは気恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになりながら、呟いた。


「……それが」

「ど、どうしたんだ? まさか、動けないのか!?」

「……安心したら、腰が抜けて……」


 セレストとクロムの主従は顔を見合わせる。

 ごほんと咳払いしたセレストが、きりっとした顔で妻の肩に手をおいた。 


「ヴァイナス、僕が運んで……」

「殿下、気持ちはわかりますけど……ここは俺が運びますよ」


 すぐに主の意図を察したクロムは、困り顔で却下し、現実的な方法を提案した。


「うるさい、やってみなければわからない」

「いや、やらなくても目に見えている結果ですって。奥方様に怪我させたらどうするんですか」

「うぐっ……!」


 あぁ、いつもの光景だ。

 ヴァイナスは、二人の他愛無いやり取りに安心し、もう一度ボロボロと泣き出しセレストを慌てさせたのだった。

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