花壇

@nakamichiko

花壇

 桜はもう少しだが、そろそろ町の花壇には花が植えられる時期になった。妻と三歳になる娘とここに住んで二度目の春になる。いわゆる新興住宅地に家を買ったが、色々な所を見てきて、この場所に決めた。小中高も近くにあり、交通の便もよく、僕の職場にもバスで一直線だったからだ。


 その日の朝も、少し寒さに震えながら公民館前のバス停で待っていた。朝からスマホをじっと見ているのも目が疲れるので、公民館の花壇に植えられている花を見て、「丁度いい、家の庭の参考にしよう」と思った。


「あれ? 」


一列に並んだ花壇の途中の一角だけ、何も植えられていない。そう言えば去年からそうだったような気がするし、何故かいつもそこだけ草が生えていたように思う。でも草はきちんと刈られていて、本当にそこだけ抜け落ちた感じになっていたのを思い出した。よく見ると、小さな立て看板があった。


「花を・・・植えないでください??? 」


そのあとすぐにバスが来たので乗ったが「植えないでください、はないな、踏まないでくださいならあるだろうけれど」と自分の見間違えと思って、気にせずにいた。だが帰り道、日が随分と長くなって、立て看板の字も十分に読めるような明るさだったので、公民館に確認しに行くことにした。

そう言えばここに入るのは初めてだった。自治会はどうしようかと思っていたが、まだ子供も小さく、周りの家も入ったり入らなかったりだったので、しない方が楽だろうと思っていた。「入口付近ならだれが入ってもいいだろう」と自分のうっかりを確かめるだけだと思ったのだが


「花を植えないでください、だ、本当だったんだ・・・」


改めて見た。同じように花用の土が入り、きれいになってはいるものの、本当にそこだけ何もない。

「どうしてだろう・・・わざわざ公民館に聞きに行くのも」空手の道着を着た子が公民館の中にどんどん集まっている、他の何かの道具を持った人もいて、

「忙しそうだな」と気にはなるがそのまま帰った。


 次の日の朝、バス停に早く行ってまた確かめた。同じことなのだが、よく看板を見ると、とてもきれいな字で書かれていて、またそのもの自体も極端に古くはなかった。


「変だな、ここだけ妙な規則、いやここだけ例外か。でもどうして? 」


まだ公民館も開いておらず、聞くこともできない。

「おかしいなあ、公共のものにこの立て看板は少し不快な気がする。不幸ごとなら、もっと何かあっても良いだろうが」と疑問は日に日に大きくなっていき、近所の人に聞いてみたが、自分と同じで公民館に出入りする人自体が少ない。一人子育てサークルに行っていた母親からは「全く気が付かなかった」と驚かれた。自治会にも入っていないのに地元の人に聞けはしない、だったらこの疑問のために入ろうかと思っていた時だった。


 仕事を終えバスを降りた時、一人の女性がちょうどあの花壇の看板の所にしゃがんでいるのが見えた。帰りのバスは車線が反対だが、バス停の上に歩道橋が通っている。そこを勢いよく駆け上って急いで公民館の方に向かった。

かなり年配の女性が、看板を見ては地面を見て、その柔らかな土に優しく触れている様子だった。

「愛犬、愛猫がここで亡くなったのかな、でもそんなことで公共の所をどうにかできるのだろうか? 」

人は見かけによらないというが、今ここにいる女性は、身勝手なことをやるような雰囲気の人ではなかった。それより何より、この妙な看板の正体を知りたいと思い


「あの・・・失礼ですが、この看板ことをご存じでいらっしゃるんでしょうか」

何となく僕のことに気が付いていたようだったので、彼女は驚きもせずにこう答えた。


「ええ、知っています。この看板は私が立てたのですから」


彼女は理由を話してくれた。

それは長い時の話だった。



「私の祖先は古くからこの土地に暮らしてきました。でも戦争で私の兄はなくなり、私が成人してしばらくたって、父母もなくなりました。もともとここは私の家の土地でした。ここに公民館を建てたいと市が言ってきたので、生前この地区のためいろいろやっていた父の意向もあって、ここを市に譲渡しました。一つの条件だけを付けて」

「条件? 」

「ここには、この花壇の場所には、樹齢百年になる大きな木が生えていたのです。後々調べたら、この種の木がそこまでなるのはとても珍しかったそうです。幼い頃はこの木の下で遊んだり、毎年実がなって、それをたくさんの鳥たちが食べに来ていました。その時はこの木の下には絶対に行きませんでした。糞が降ってくるので・・・でもとても楽しい思い出でした。亡くなった父母も兄もこの木が大好きでした。ですから敷地内に木を残してくれるのでしたら、と言ったのです」

「でも・・・」

「そうです・・・切られてしまいました・・・」

「どうしてですか? 」

「この木を残すと公民館が複雑な形になってしまうからということでした。設計上どうしても無理だからと言われたのです。今でしたらそれは可能かもしれませんが、何せ昔のことです、コンピューターもない時代、すべてが手書きでしたから・・・」

「押し切られたのですね・・・」


 僕はそれはひどい話だと思った。ここは公民館、そして花壇の場所を考えると、そう無理な話ではない。自然保護の意識が低い時代のことだと思えた。


「私が、いけなかったのです」


「どうしてですか? 」


「私しかこの木を守ってやることはできなかったはずだったのです。木がショベルカーで押し倒され、そのしっかりした根が現れたのを見た時、何故、もっと強く言わなかったのかと怒りと後悔しかありませんでした。

私しかいなかったのです、私が木を守らなければならなかったのです。私の祖先もそうやって守ってきたのかもしれなかったのです。私が殺してしまったのは一本の木だけではありません、その木の実を食べて命をつないできた他の生き物たちもそうなのです、私は見殺してしまったのです。「これ以上反対したら、私は周りから悪く言われるかも、頑固な女だと思われる」そんな体裁があったのです。そんなことを気にしてはいけなかったのです。

「この木を残さないなら、土地は譲らない、返してもらう」そう言えたのは、世界中で私しかいなかったのですから」


僕は言葉が返せなかった。沈黙の時間が長く続いたので


「ごめんなさいね、こんな話を」

「いえ・・・ありがとうございました」

「でも私ももう年だから、私が死んだら、ここは同じように花を植えて、とここの人には伝えてあるの、あなたはこのあたりに住んでいらっしゃるの? 」

「ハイ、新しい住宅地に住んでいます」

「そう・・・これから頑張ってね」

「ハイ、ありがとうございました」僕はゆっくり、深々と頭を下げ、その場を後にした。


「花を植えないでください」


 あの看板の意味がやっと分かった。初めて見た時に驚き、そして嫌な気分になった。立てた人はどういう考えなのか、その人間性まで疑った。そうなのだ、そう思われることが彼女の贖罪だったのだ。同じように花を植えてしまえば、それは自分自身にも過去のことになり、痛みも和らいでいくだろう。忘れてはいけないという強い自責の念が、あの何もない花壇だったのだ。

「面倒な人」

そう思われても、あの時に救わなければいけなかったという、長い長い、後悔の年月だったのだ。

 

 公民館に多くの人が訪れ、いろいろな事を楽しく学ぶ、その姿を見ながら彼女は何を思ったのだろう。もしそこに大きな一本の木があったら、写生にも木陰にも生き物の観察にもなったであろうに。それが文化であり、この土地に生きる人たちのためではなかったのか。時が経てばたつほどそう感じたのかもしれない。

この事を知ってから、僕は公民館を見るたび大きな木を想像するようになった。


「でも、他に何かできないだろうか」さらにそう考えるようになった。


 

 それから二年の月日が流れた。僕たち家族は公民館の花を植えるボランティアの一員になって、妻は身重の体でそれに加わっている。「元気な子供が生まれるわよきっと」とみんなから声をかけられるようになった。妻にももちろん木のことは話しているし、娘にも大きくなったら話そうと思う。


今の所花壇はずっとそのままだ。彼女は天国に召されたが、誰も花を植えようとはしないし、できなかった。

「どうしたらいいかね・・・若い人の意見を聞きたいんだけど」それに僕は答えた。


「大きな木があった花壇、って札を立てるのはどうでしょうか、この話は忘れてはいけないような気がするんです。彼女のことも、彼女よりも長く生きた木のことも」


皆この意見に賛成してくれて、近々新しい札を習字教室の人が書いてくれるという。



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