委員長のある秘密
豊原森人
委員長のある秘密
旅館のロビーのソファで、湯上りの体を冷ましながら、
詩織にとって、待ちに待った、北海道への修学旅行の初日の宿は、N温泉の旅館であった。気心の知れた友人たちとたっぷり温泉を堪能し、食事を取り、明日一日の行動について軽い全体ミーティングが行われた後は、就寝時間までフリー、というのが、この修学旅行初日の夜の流れであった。
ただ、一点気に入らないのは、詩織と同部屋のメンバー四人の中に、一花がまぎれているという事だ。堅物で、冗談が通じず、妙に鋭く、真っ直ぐした目線でもって、何もかもを真面目にこなす彼女は、教師からの評判は上々だが、一方で疎んでいるクラスメイトも多く、故に、事務的な会話は交わすことがあっても、プライベートを共にするような友人が、彼女にはまるでいないようだった。
修学旅行の部屋割りを決めるホームルームで、くじで決まったことなので仕方がないのだが、気の合った仲間たちの中に、そんなお邪魔虫な一花がポツンと紛れてしまった事に、詩織はちょっとしたがっかり感を覚えてしまったのだ。
そしてその一花に、スマートフォンを没収されたのが、つい先ほどのことであった。
この初日は全体行動で、道内の民族資料館やら、動物園やらを見学するスケジュールになっており、詩織は、相変わらず真剣な顔つきで、ぽつんとレポートを書いたりしていた一花には目もくれず、複数の友人たちと共に過ごしていた上、この旅館に着いた際も、割り当てられた部屋のメンバーに伝達事項を知らせたり、消灯時のメンバー確認をしたりという、室長なる役職を任されていた一花は、荷物を置くと、その室長と教師陣のみのミーティングに出席するとかで、さっさと出て行ってしまったので、会話らしい会話も無い状態だった。
全体ミーティングが終わった後、温泉街を、一花を除いた室のメンバーとともに散策して、お土産やらを物色した後、ちょっと歩き疲れた詩織が一人部屋に戻ると、部屋では一花が、何か堅苦しい純文学の文庫本を、広縁の椅子に座って読んでおり、先述の通り会話をまともに交わせていないので、ちょっとした気まずさを覚えた詩織が、お互い目が合った瞬間に、とりあえず短く挨拶をすると、
「
挨拶の返しも無く、機械的な風情で、有無を言わさぬ口調で言葉を放ってくる。
「え? なんでですか」
「“就寝時は、室長にスマートフォン、携帯類を預けること”。規則ですから」
詩織の、ちょっと冷や汗混じりの、微笑を交えた返答に対しても、眉一つ動かさずそう言ってくる。
確かに、室長が就寝時から起床時にかけて、部屋のメンバーのスマートフォンをまとめて管理する、という規則は、先のミーティングで聞かされていたことだが、これは教師陣も、そこまで拘束することも無い事柄として、さして重要視していない空気があり、また管理といっても、所詮室長も友達同士、内輪の話なので、言ってしまえば学校に携帯は持ってこないとか、男子の頭髪は耳にかからないようにするとか、そういったニュアンスの、ほぼ形骸化した規則であるのだ。
しかし、目の前の一花は、やはり堅物なのだ。冗談が通じない、クソ真面目で、空気を読んでの妥協とか、そういうのが出来ない人間なのだ。
その彼女に対し、いい加減面白くないものを感じて、詩織は、
「そんな。別にいいじゃないですか」
顔をちょっとだけ強張らせて反論する。
「でも、規則なので」
「他の部屋じゃ、多分そんなことしてませんよ」
「他は他。私たちは私たちです」
「そんな……」
「とにかく規則ですから。ご理解ください」
“規則”をやたら連呼し、一歩も譲る気が無さそうな一花の態度から、いよいよ説き伏せるのは無理とさとった詩織は、内心にひどくイラついた感情を募らせながら、渋々、といった感じで自身のiPhoneを手渡すと、
「もー。規則、規則って……」
小さく悪態をついて、一花に目もくれず部屋から出て行く。せっかくの楽しい修学旅行の夜に、一花の無粋な対応に目くじらを立てている自分が、ひどく情けないものにも思えたので、こうした乱れた気持ちには、やはり温泉が一番だと思い、一人湯につかり、湯冷ましにロビーに着いたところで――話は冒頭へと戻るのである。
いくらロビーで時間を潰していても仕方ないと感じた詩織は、おもむろに立ち上がり、新聞を元の位置に戻してから、さてこれからどうしようかと考えた。スマホが無いので、他の友人に連絡する術も無く、誰がどこで何をして楽しんでいるかも分からないので、とりあえずは部屋に戻ってみようと思い、そのまま一直線にエレベーターに乗り込んだ。
そして部屋に戻ると、他のメンバーは誰も戻っておらず、一花だけが、そこに在していた。
が、先と違うのは、一花がすでに布団が敷かれた部屋の中央に立ち、何かひどく焦っているような顔色をしていることであった。
詩織とモロに目が合い、そして明らかにギクリとした、虚を突かれたような表情を見せる一花の様子は、いつもの優等生然とした雰囲気と明らかに異なっていた。その第一声もまた、
「あ、おかえりなさい」
という、これまでマトモに会話をしてこなかった彼女から初めて聞く、どこか混乱の中でフッと飛び出てしまった、という具合の、フザけたような挨拶だったので、その焦りっぷりも相まって、先ほどまでの心中の鬱憤も消え去る思いの詩織は、
「どしたんですか? そんな慌てて」
穏やかに笑いかけるが、その一花の左手に、白いiPhoneが。右手には、おそらく一花のものであろう、青色の、今どき珍しい二つ折りの携帯電話が握られていることに気づくと、
「あ、私のスマホ……」
声に出して呟いた瞬間、一花は、ずり、と一つ後ずさる。
「待ってください。委員長」
「何がですか?」
一花はつとめて冷静に振舞っているつもりなのだろうが、その顔には冷や汗が流れ、愛想笑いのようなものさえ浮かべている。詩織は彼女が笑った瞬間を初めて見、その普段の仏頂面とのギャップにかわいい、と内心と感じつつ、
「いやいや。私のスマホ、何かしたんですか」
「何もしてないです、何も」
「見せてください」
ずりずり広縁に下がっていく一花から、殆ど力ずくで、詩織は自身のiPhoneを奪い取ると、パスコード画面に、“iPhoneは使用できません 一時間後にやり直してください”との文字が浮かんでいた。
パスコードを開いて、iPhoneの中身を確認しよう試みたが、おそらくガラケーなぞを使っていることから、スマホには疎いのだろう。何度も失敗した挙句出てきたそのメッセージに、どう対処すればよいか分からなくなり、自身の携帯電話で対処法を調べながら、一花はパニック状態になっていた――
脳内を高速回転させ、そう推察した詩織は、この世の終わりのような、絶望感に満ちた表情をしている一花を見やると、
「――なんで、私のスマホ見ようとしたんですか」
と声を向ける。すると一花は、分かりやすいほどに赤面し始め、バツが悪そうに、目線を逸らすのだった。顔を赤らめるという、その表情の真意が知りたく、また、何か普段クールな彼女を追い詰めたいような、サディスティックな気持ちも生まれはじめていた詩織は、
「答えないなら、そのケータイ、私に見せて下さい」
思い切って要求すると、これに一花は、一瞬泣きそうな絶望顔を浮かべて、暫し逡巡した後、開かれていたそれを閉じ、詩織に差し出してくる。
詩織は早速、それを開くと、
「あっ、中は見ないでっ……」
小さく呟いた、その一花の携帯電話は、いったいどこで撮ったのか、教室の隅、机にもたれながら談笑する詩織の姿が待受画面として設定されており、これを見た詩織は、彼女がストーカーじみた愛情を自身に抱いていたことに、強い衝撃を覚えた。
すると、一花は顔をより赤くして、瞳にちょっと涙をためながら、
「だって、好きだからどうしたらいいか分からないもん……川地さんのこと、遠くで見たりしてるだけでいいのに、規則だからって言って、スマホ持って、それで魔が差して、ちょっとだけ――貴方がどんな写真を撮っているのかとか、そういうのが見たかっただけで……」
自分でも何を言っているのか分からないといった感じで、モジモジ弁明する彼女の姿は、無愛想でローンウルフな以前の委員長像と比べて可愛らしく、魅惑に映り、自身がストーキング的なことをされていたという、恋愛にとってルール違反な事実もまた、許せる思いで、詩織は心臓部よりドクドクと流れ出てくる温かい気持ちを、
「……別に、何も思ってないですよ」
そう言葉に乗せて贈ると、一花は顔を上げて、
「本当?」
半信半疑、といった様子で、震え声を返してくる。
「うん。正直委員長ってカタブツだし、さっきも規則、規則って言って、スマホ取り上げてきたのは、ムカついたけど……別に、もういいかな」
心中に爽やかな愛の風が流れるのを感じながら、同じく屈託の無い笑顔とともに、
「ただ、このままじゃあ面白くないから、私からもひとつ、規則を設けさしてもらいます」
何かウットリしたような表情で頬を赤く染める一花に向かい、毅然とした口調で言う。
「これから、私と仲良くしてくれること」
――翌日より、共に行動し、仲睦まじい様子になった二人の事を、他の生徒たちは、不思議な思いで眺めるよりなかったのだった。
委員長のある秘密 豊原森人 @shintou1920
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