守るからこそ守られる

若槻 風亜

第1話


 夕方の冒険者ギルドは、一日の仕事を終えた人々で賑わっている。上々の結果に福々とした笑みを浮かべる者、思ったよりも出なかった成果に暗い顔をする者、翌日の予定を話し合う者たち、折角の稼ぎを早々に酒に変えて賑やかに騒ぐ者たち。

 そんな中、受付カウンターでは温度の違う攻防が繰り広げられていた。

「規則は規則です。納得いただけないのであればお引き取りください」

 ぴしゃりとはねのけ、氷の瞳をした三十代ほどの女性――リーティア・ファシーはカウンターの上に置かれていた毛皮を持ち主に向けて押し返す。

「ちょ、待てよ、厳しすぎんだろ! 規定に足りないって、五センチだけじゃねぇかよ。なら三メートルでいいだろ」

 納得出来ない様子を見せるのは毛皮を持ち込んできた冒険者の青年だ。押し返された毛皮を大仰に広げて見せた。

「ちゃんと見ろよ! こんなに上質のレッドベアの毛皮早々取って来られる奴いねぇだろ!? なあ?」

 突然話を振られ、隣のカウンターで魔物から取れる宝石を換金していた中年男性は少々驚きながらも頷く。

「えっ? ああ、まあ、いい質だとは思うよ。けど――もう諦めてワンランク下で納品したらいいんじゃないか? それでも二五〇〇貰えるみたいだし……意地を張ってゼロになるよりいいだろ? リーティア嬢は規則に忠実だから、諦めた方がいいよ」

 しかし、答えられた内容は青年の味方というよりリーティアの味方となるものだった。青年は意味が分からないと言った様子で首を振る。

「あんたも何言ってんだ? たった五センチだぜ? 他の町のギルドなら普通に納品してくれるっての。ちょっと美人だからって、冒険者が受付嬢の言いなりとか情けなくねぇのかよ。ああもういい、そっちの姉ちゃん、あんたならそんくらいの融通ゆうずう利くだろ? な? これは三メートルの扱いだろ?」

 青年が続けて話しかけたのは男性とやり取りをしていた若い受付嬢だ。可愛らしい顔立ちの受付嬢は、突然話を振られてあからさまにひきつった顔をした。面倒ごとに巻き込まれたくない、と表情に出ているが、問われた以上答えねばとは思ったらしい。「え~~」「あ~~」と視線を彷徨さまよわせながら言葉にならない声を漏らし続ける。そして視線が三巡ほどしてから、細い声がようやく答えを絞り出した。

「えぇとぉ、お客様には申し訳ないのですが、規定を守っていただかなくては他の方に示しがつきませんのでぇ」

 胸の前で指先をいじくりながら、視線を完全に明後日に背けながら、それでもその受付嬢もリーティアに追従する。そこでついに青年の怒りは頂点に達した。

「いい加減にしろよ! どいつもこいつも新参者だからって舐めてんのかよ!!」

 青年がカウンターを乱暴に叩くと、拳を打ち付けた鈍い音と、カウンターが破損した音がギルド中に響き、賑やかな室内が一斉にしんとする。視線が集まっているのを肌で感じながら、青年はリーティアを睨みながら自分の胸を親指で指した。

「俺はこう見えてあちこちの領を旅して回ってる。ゴルドーの大ギルドはこんな田舎の受付嬢でも知ってるな? そこでは上位のクエストをこなす常連で、ギルマスとも名うての冒険者ともコネを持ってる。俺に愛想悪くすんのはあんたの得にはならねぇと思うけどな」

 言外に、というにはおこがましいほど分かりやすく、青年はリーティアを脅しかける。その途端、田舎とけなされ腰を上げかけていた他の冒険者たち次々に席に着き直した。隣に立っていた男性も若い受付嬢も、そそくさとその場から離れ出す。異様な周りの反応に、流石に勘はいい青年は周囲を見回した。

 何事かを尋ねかけるが、それが叶うより先に、リーティアが青年に掌を向け腕を真っ直ぐに伸ばす。

「度重なる反論、攻撃的な言動、器物破損、当ギルドへの侮辱。これ以上あなたにお付き合いする時間はありません。受付主任の権限で、退去を命じます」

 凛とした声が告げるや否や、掌から彼女の半身ほどの大きさの魔法陣が展開された。その意味するところを理解した青年が慌てて制止しようとするが、容赦なく魔法陣は輝く。そして瞬く間に、青年はギルドの外に投げ出されてしまった。

 尻もちをついた青年は、自分の装備の重さも手伝い倍増した痛みにしばらく言葉なく悶える。やがて痛みが引くと、今度は怒りがこみ上げた。

「くそっ、あの女ふざけやがって! たかが五センチのやり取りで追い出すまでするかよ!」

「いやいや、それ以外の反応も中々悪かったぜお前さん」

 地面を殴って悪態をついていると、ギルドから先程の中年冒険者が呆れた笑みを浮かべて出てくる。大丈夫かい、と差し出された手を青年は不愉快そうな顔で叩いて払った。男性は軽く肩を竦め手を引く。

「何なんだよあの鉄面皮は。ここの連中あの女のこと甘やかしすぎじゃねぇのか」

 不愉快さを隠さずに青年が責めるように問いかけるが、男性は「そうでもない」と否定した。

「むしろな、リーティア嬢に俺たちが甘やかされてたんだよ」

「はぁ?」

 何言ってんだ、と青年は男性を怪訝けげんな表情で睨む。男性は少し寂し気に笑って視線をギルドへと向けた。

「昔なぁ、それこそ彼女が新人くらいの頃は、お前さんが言う『他のギルド』の受付嬢たちみたいに融通が利いたし、査定も甘めにつけてくれてたんだよ。いつもニコニコしてて、仲のいい冒険者も多かったんだ」

 あの鉄面皮が? つい先ほど相対したばかりの冷えた目を思い出し、青年は信じがたいものを見る目をする。そんな青年の反応などお構いなしに、男性は話を続けた。

「でもなぁ、彼女と仲が良かった冒険者に、それが日常になっちゃった奴らがいたんだよ。良くないなとは思ってたんだが、まあ目に余るほどのレベルじゃないし、俺たちも多かれ少なかれ享受してたし、放っておいたんだ。ただある日、そいつら偶然ドラゴンの爪を拾って来てな。最低量にも満たない物だったんだけど、リーティア嬢はそれを最下のランクで受諾した。――稀少度の高い戦利品は最低ランクでも低レベルのものより多く稼げるだろう? はまっちまったんだろうなぁ。そいつら、その後に自分たちよりずっと強い魔物に挑んでったんだ。……若いの、ディグデーモンって知ってるか?」

 問われ、青年は険しい顔で頷く。

 ディグデーモンは主に山中さんちゅうの洞穴に生息する魔物で、非常に高い知能と残虐性を持つ。集団で行動することが知られているため、単独での討伐はよほど腕に自信がある者でない限り行わないだろう。自意識過剰の気はあれどその実力は本物である青年ですら、一人で挑もうとは思わないし、仲間がいたとしても生半可な覚悟では近付こうとすら思わない。あの魔物たちは、恐ろしい存在なのだ。

「いいことだ。……あいつらもお前さんみたいに危機感を持ってくれてりゃ良かったんだけどな。ディグデーモンの恐ろしさ――執念深さを甘く見てたんだ。奴らの巣穴まで行って生え変わりで落ちた角を取ったのはいいが、跡をつけられたようでな。巣穴と町の間にある森の中でばらばらにされてるのが見つかったよ」

 その様子を思い浮かべ、青年はさらに苦い顔をする。似たような光景を見たことがないわけではないが、それとは比にならないだろう。それだけディグデーモンは残虐なのだ。

 かの魔物たちは縄張り意識と所有者意識が非常に強く、自分たちの縄張りに入る者、自分たちの縄張りにある物を持ち出す者を酷く嫌う。そのような者があれば、気配を消して追いかけ、彼らが油断しきったところで殺害する。その追跡距離は定かではないが、有名なところで広大な領の端から端まで追いかけた、と言われている。また怒りが深ければ深いほどその殺害方法は残虐となるので、バラバラだった、ということは、件の冒険者たちは相当ディグデーモンたちの怒りを買ったのだろう。

「――で、それがあの冷徹女にどう関わるって?」

 興味がない素振りで立ち上がり、青年はズボンについた土を払った。会話に興じるつもりはなかったが、話の顛末がついつい気になってしまったのだ。

「……そのことが分かった時な、死ぬほど後悔してたよ。自分の甘さが彼らの死を招いたんだ、って。しばらく仕事も休んでたんだけど、ある日突然ギルドに戻って来たんだ」

 泣き腫らした真っ赤な目にはかつての穏やかで親し気な光はなく、まるで氷のような冷たさを纏っていた。あの日から、リーティアは仕事中にニコリともしなくなり、それまで親しくしていた冒険者たちとも距離を置くようになった。一ミリ一グラムの差異だろうと許容しなくなったのもまたその時からだ。

 あまりの方針転換に、最初は多くの冒険者たちが戸惑った。青年のように喧嘩になる者も多くいた。だが、元のリーティアを知る者たちは徐々にそんな彼女を受け入れて行ったのだ。前線に出て戦えない彼女が、唯一冒険者たちを守ることが出来る手段がそれなのだ、と気が付いたから。

 もう誰も死なせない、死なせたくない。そんな思いが込められた四角四面のルール順守。この効果は時間が経つほどありありと浮かび上がった。無理をしたところで受付で突っぱねられる、と分かり、無理をする冒険者が減ったのである。

「なあ若いの、ルールに縛られるのは窮屈きゅうくつだよな。だがよ、このルールってのは意外なことに俺たちを守ってくれてる面もあるんだ。腹の立つこともあるだろうが、いい稼ぎってのは命あっての物種だろう?」

 な? と歯を見せて笑ってくる男性をじろりと睨んでから、青年は難し気に唸り、他の冒険者が数人通り過ぎる頃、小さな声で「まあな」と同意した。存外素直な反応の青年の背中を乱暴に叩き、男性は満足げに大笑いする。


 青年がリーティアに詫びを入れてギルドの立ち入り禁止を解除されるのは、この数日後のことだった。

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