第16話 煉丹術

「すぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁぁ……」


 警戒して近づいてこないのをいいことに、アカツキは戦闘準備に入る。


『いいか、アカツキ。薬師たる者、どんな場所でも材料採取が出来ねばならん。それが出来ねば、死ぬ場合があるからな』

『おー、しぬのか』

『そうだ。だから、いつでもどんな時でもどんな相手がいたとしても負けない力がいるんだ』

『おー、まけないちから』

『そうだ。お前にはこれから”煉丹術”を教える』

『おー、れんたんじゅちゅ』






 この会話を交わした時のアカツキは、弱冠5歳。会話の意味も全く分かっておらず、おうむ返しに言葉を返すことしかできなかった、若かりし頃。


(今頃どこにいるんだか……)


 薬の、そして戦いの師匠たるセキエイの今を憂いているアカツキ。体長2メートル半はある赤眼猪を前に余裕である。


 もう一度深呼吸をして、へその下にある”丹田”と呼ばれる器官を刺激する。






『いいか、アカツキ。へその下にある丹田ってところを意識するんだ。それから深呼吸すると、丹田から生きる力が体中に流れてくる』

『いきるちから?』

『あぁ。これを体の外やら内やらに動かすと、こんなことが出来るようになる』


 ドゴォン! と近場にあった岩に、セキエイが丹田より流れ出た力を流し込むと、粉々になり、そしてサラサラと空気に流れていく。


『おー……こなごなでさらさら』

『これから、お前にはこの”剄”という力の使い方を教える。頑張って覚えろ。大切な人を失わないためにな』

『たいせ、つ……?』

『ははは。まだお前には難しかったかな。俺のようになりたければ、ちゃんと稽古するように』

『おー、おれ、けいこする』






 目をつぶり意識を体内へ。丹田より流れ出る力をコントロールし、体の隅々まで流す。これにより体は頑丈になり、人本来の力を出しても、充分に耐えられるようになる。

 幸いなことに赤眼猪は、警戒してアカツキの周りをうろつくのみで仕掛けてこない。なので、アカツキは十分に剄を練り、強化を十分に行い余計なケガをしないようにする。


「ブルルルルル!!!」


 しかし、いつまでも野生の獣が獲物の周りをうろつくだけなどあり得ない。まして己を食い物として見ている存在を、ずっと見ているだけなどあり得ない。

 相対する赤眼猪は、体長2メートル半。アカツキを大きく上回る体格であり、最大の特徴は口の端から見える鋭利な牙。平時はくるりと巻いて先が刺さらないようになっているのだが、戦闘状態に移行すると、それが突き出すようにまっすぐと相手へと向けられることになる。この場合、もちろんアカツキを串刺しにすべく、後ろ脚はすでに地面を蹴り続けている。


「あの人、赤眼のほう見てないよ!」

「あのバカ! 何してんのよ!」


 赤眼猪は準備万端まったなしだが、アカツキのほうは未だ瞑目しており、傍から見ればすでに覚悟をしているようにしか見えない。


「ブルルオオオォォォォ!!!」


 雄たけびと共に突進する赤眼猪。アカツキを串刺さんと、勢いのみで一直線に突っ込んでくる。


「ダメ!」

「あぁ!」


 ルイーズとリディアは本来割って入るべきなのだが、先ほどの恐怖が今だ体から抜けず、足元が心もとない。


(こんなはずじゃなかったのに……知らない人を巻き込んでまで、いったい何をやっているの、あたしは……)


 ルイーズはアカツキが乱入してこなければ、背骨を押しつぶされて死んでいる所だった。それを助けてもらったのに、アカツキのピンチに体を張ることもできない。


「えっ?」


 目をつむり、その瞬間を想像し、目を逸らすルイーズの耳に、困惑したようなリディアの声が聞こえた。

 妙に気になったリディアの声に、恐る恐る目を開けると、右腕を一本突きだし赤眼猪の鼻っ面を抑え込むアカツキの姿があった。鼻息荒く4本の足で地面を蹴り続ける赤眼だったが、アカツキはびくともしない。


「な……に……?」

「あたしにもわかんない。ただ……」

「ただ……?」

「あの人。強いんじゃないかしら」


 目の当たりにした信じられない光景。赤眼猪の討伐推奨ランクはCであるが、それでも4人以上のパーティ、フル装備が基本である。断じてただの服を着た、丸腰の旅人が出来るようなマネではない。






「ん~……? あんまり強くないな、お前」

「ブルゥ!?」


 そう一言アカツキが呟くと、赤眼と正面を向きあい力のぶつけ合いの姿勢になる。そして、アカツキのほうに突きつけられている二本の牙を、腋に挟み両手で牙の根元を持つ。そして……


 牙を支点として、赤眼猪を持ち上げた。


「「はぁぁぁぁぁ!!!!!???」」と外野から声が聞こえるが、アカツキは無視。赤眼を最上段まで持ち上げた後、そのまま後ろへと倒れ込んだ。


 周りが振動するほどの重量が、土の上に叩きつけられる。背中から落ち、一瞬呼吸が止まった赤眼猪を、牙を掴んだままうつ伏せに寝かせる。そしてそのまま、赤眼の背中に座り込み、そして……


 赤眼の背中を尻で押さえつけ、その頭を背筋を利用し、背中のほうへと引っ張り込み始めた。


 かつてされたことのない攻撃を受け戸惑う赤眼猪だが、このまま力の向きに従えば首が折れてしまうことだけはわかった。なので、頷くように顔を前に向けようとするが……


「ブ、ラァァァァ!!!!」


 曲がらない。牙が折れればいいのだが、無駄に頑丈であるため折れる気配すらない。背中に居座られ、力の入る姿勢でないのも要因となり、首は一層後ろへと角度を狭めていく。

 徐々に呼吸が怪しくなり、力を入れることも困難になってゆく赤眼。「ミシミシ、ギリギリ」と、外には聞こえないが体内を伝わり、赤眼の耳に聞こえる異音。


 やがて、死の宣告とも呼べる音が、赤眼の耳に入った。


 ばきばきべきばきばきべきべき!!


 聞こえたことが果たして幸せだったかどうかはわからないが、生きるために懸命にならなくてもよくなったのは、赤眼猪にとって幸せであったのかもしれない。






 確実に聞こえた首と背骨が折れる音を聞きながらも、アカツキは何度も赤眼の顔を引っ張り続けた。


 やがて力が確かに抜けたことを確認すると、手をはなし赤眼猪を解放してやる。


 ズズゥン……


 ピクリともしない赤眼を見て、ようやくアカツキは力を抜き、剄を散らせた。


「ふむ。上出来」


 切り傷、刺し傷一切なし。素材としてはパーフェクトな一品がアカツキの前に骸をさらしている。逆に言えばルイーズとリディアの無能さを示す証拠でもある。


 事が終わったアカツキは、2人に声を掛けた。


「おーい、終わったぞ~。こいつどうするんだ~?」


 これからアカツキは、牙と肝が欲しいと交渉せねばならない。うまくいくといいなぁと呑気に考えているが、ルイーズたちはCランク相当に値する赤眼猪を、素手で縊り殺すアカツキに対し、どういう態度を取ればいいのか、未だ決めかねていた。


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 ブレーンバスターからのキャメルクラッチ。

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