荒療治

@nakamichiko

荒療治


  中学の同窓会ではいつも言われることなのだ。僕のように大学に行っている人間は就職組から責められる。

「何のために大学に行って、心理学勉強しているんだよ。情報仕入れて来いよ」

「調べても出てこない・・・ネットでやっても・・・」

「ネットだったら俺たちでもできるじゃないか、本当の口コミがないのか? 」

「一番先生に突っかかってた人間が言う! 」

「それを謝ろうと思ってるんだよ! 」

「大人! 」「ハハハハハ」「フフフフフ」

色々な所から笑い声がする。二十歳そこそこが数年前の中学時代をこんなに懐かしんでいるのは、少々大人ぶった行動かもしれないが、それにはもちろん理由がある。少なくとも中三の一学期までは「同窓会なんて絶対に開かれることはないクラス」だった。それを変えてくれたのは若い一人の先生、たった一ヶ月だけの担任だった。



 そのころきっとクラスのほとんどの生徒が学校には行きたくなかった。なぜそうなったのかはわからない。授業中にわざと席を立つクラスメート、それに対しての怒号、担任の若い女の先生は精神的にやられてしまい、休職。それに対して父兄が矢のように抗議して、それがまたクラスの中にいらぬ火をつけてしまった。それでも待ってくれはしない受験、僕も時々学校を休んで家で勉強したこともあった。だがあまりにそうしていじめの標的にされても困るので学校に「行きたくないのに行く」ようにしていた。

二学期の始め、帰る直前に天気予報の通りゴロゴロと空が鳴りだした。「やべえ! 傘持ってきてねえ! 」このことでクラスのほとんどが一斉に帰り、「ばかだなあ、予報を見ていなかったのか? 」と大きな声で言いたいのを我慢するかのように、教室を出た。

外に出たとたん、雨が降り出し傘を差したとき、ふと自分の教室が目に入った。

誰かがいた。スーツを着て窓の外を見ているわけではなく、逆に黒板と反対側をじっと見つめていた。

「新しい先生? 」

仲の良い友達もいたが、それを伝える気にはならなかった。でも何か起こりそうな予感がしていた。


次の日の朝、校門に入るや否やわかったのは、自分たちのクラスに物凄い人がいるということだ。しかも全員が昨日の男性のように黒板の反対側を見ている。

急いで行って見ると異常なものが目に入った。


「教室の戸は閉めましょう」「挨拶をしましょう」「掃除の時間は守りましょう」

「授業が終わったら黒板を消しましょう」「返事をしましょう」「机の中をかたずけましょう」「授業中にトイレに行きたくなったら挙手をしてから行きましょう」

「でもなるだけ休み時間中に済ませましょう」まだまだ何枚もあった。

張り紙が壁一面に貼ってある、異様な光景だった。

「何だよこれ! 」剥ごうと誰かがしたとき、昨日見た男の人が入ってきた。同じスーツ姿で、出席簿を持っていた。

「さあ皆さん、席について、他のクラスの生徒は自分のクラスに戻って」

その最中に

「何だよこれ! 」「ふざけるんじゃねえ! 」「気持ち悪い! 」「あんたなの! これやったの! 」「異常! 」先生に言ってはいけないことを平気で口にする生徒も多かった。一応全員が席に教室の戸が閉められると、先生は名前を名乗る前にこう言った。


「さっき気持ち悪いとか、異常とか言っていたけど、それが大正解だよ。あそこに貼ってあるものすべては、ここのクラスの現状だ。それができていないからこうなってしまっている」

「小学生じゃないんだよ! 」

「その通り、小学生ができることを君たちができないのが問題なんだ。過度のストレスで少々退行・・・つまり戻ってしまうような現象が起きている。またこの中に小学生の時のつらい思い出が上手く処理できていない生徒もいるだろうとは思う。三年前は小学生なのだから仕方がないことだ。それがすべて悪い方に重なってしまった。だとすれば一枚ずつ剥いでゆくしかない。もし一つの点で改善されれば剥ぐ、その役目は悪いが担任の僕がやるよ。三十枚ぐらいある。全部一か月で剥がすように努力をしよう。そんなに難しいことじゃないだろう? 」大学を出たばかりぐらいの細身の人だった。誰かに似てるなと思ったら、その有名人の名前がそのままあだ名になった。


「ダイゴ、面白いよね」確かに今までの先生とは全く違った。

まず怒らない。

「怒っても仕方がないだろう? 人を危険な目に、いやな目に合わせるとか、自分がそうなるとか言うときにするものだ」

まるで魔法の様だった。他の教師がはれ物に触るような感じで接していた生徒にすら平等に、穏やかに接するので、彼らが一番の弟子のようになっていた。ちらりと聞いた話だが、別室で問題児の一人が先生と涙ながらに話していたのを見たという。


「たった一人の先生で? 」

むしろ問題を起こさなかった僕の方が先生に対して不安のようなものを抱き始めた。だが日に日に「小学生でもできること」はクリアーされ、異常だった壁はもとに戻り始めた。

「張り紙で、中にゴミがたまってしまっていたみたい! 」楽しむように掃除をしながら、女の子たちはさぼっている子に

「男子―! これ持ってよ」と明るく頼むと「やれやれ」と手伝うようになった。


「先生は心理学を学んだんですか? 」

「ああ、それももちろんね」自分の過去の事よりも、生徒本人に話を聞く方が大事と思っている感じだった。そして受験が近づくにつれ、みんな勉強モードになるころには、張り紙ほとんどなくなり、教室はとてもきれいになっていた。


「挨拶をしましょう」その張り紙だけがぽつんと残っていた。


「結構やってるよな」「そうだな、どうしてだろう」とみんなで話していたが、ある日僕は廊下で先生と二人の女子が話しているのを見た。

一人は学級委員、もう一人はその真逆で、二人が一緒にいること自体が不思議だった。しかも楽し気に話し

「じゃあ頼むね」「ハイ! 」と三人はバラバラになった。それをじっと見ていた僕に先生は気が付いたが、ただにっこりとこちらを見て笑っただけだった。その理由は次の日の朝すぐにわかった。


「おはよう! 」「おはよう」女子が率先して男子に挨拶をしている。

「おはよう・・・」「ああ、おはよう」自分に挨拶をしてくれたのは小学校からの同級生の女の子だが、バレエを習っているお嬢さんタイプの子だった。とてもおとなしくてほとんど声を聞いたこともない。その子が少し恥ずかしそうな顔を見せて言ったのだ。

「やっぱり笑うと可愛いよな」「ブスは笑っとけって言うけどほんとだよな」

どう見ても照れ隠しで、失礼なことを言いながらも、そのあとの自分たち男子の反応はおかしいほどに単純で、素直だった。


「先生の計画はこれだったんだ」


年ごろの男の子と女の子が話す。それだけで小さな幸せのようなものが、ポンポンとポップコーンのようにできているような気がした。


「君なら言わなくてもわかるだろう? 」


あの時先生が僕をただ見ただけで行ってしまったことが、逆に信頼されているようでとてもうれしかった。僕がきっと最後の魔法にかかった人間だったと思う。そしてその次の日だった。


「おはようみんな、最後の一枚も無事剥げるね、剥ぎたい人! 」

「はい! 」「はい! 」「はい! 」

「ハハハ、喧嘩しないで剥がしてくれよ! 」

「わかってます! 1! 2! 3! 」ばりっと剥いで拍手が起こった。

「みんなご苦労さん、僕の役目は終わったんだ、明日にはこの学校を去ることになった」

みんなあまりのことに声が出なかった。

「僕は受験のことについては全く、とは言わないけれどそれほど協力は出来ないんだ。これから先受験だけじゃない、色々なことが起こるかもしれない、でも願うことは一つだけだよ」

先生は言葉を止めた。ちょっと涙ぐんでいるようにも終えた。


「何ですか? 」誰かの言葉に


「生きることを選んでほしい、この災害の多い国で、突然生きることができなくなった若い人たちのためにも」


そして本当にその日が最後だった。後で他の先生たちから聞いた。

「大きな別れは必要ないです。あのクラスの子たちにお別れを言うことが大事だと思うんです」先生らしいと思った。




「先生が言ったのよ「君たちもいずれは母親になる。ちょっと練習代わりに毎日男子に挨拶をしてくれないか? 普段しないような子たちにもそう伝えて。男の子にはうれしいことなんだよ」って。本当に男って単純! 」

「かわいいって言えよ! 朝のあいさつで気分が落ち着くんだから」

「先生最高! 」「ハハハハ」「フフフ」その笑いが収まると、一人の女子が言った。

「でも、児童心理学では、あんな風に家に張り紙をしたりすると、子供の心を痛めるというのだけれど」

「家でじゃなくて学校だったから? 」

「うーん・・・」みんなで考えていると


「荒療治かな・・・」医療関係の専門学校に行っている男子が言った。


「それはそうかもしれない、最悪なものを見せて、それを徐々に目に見える形で改善させる、自分たちが出来ているという自信を持たせる。いい教育方法だよ」僕が言うと

「いやあれは魔法だって、先生は良い魔法使い、だから内緒で全国を飛び回っている、違うか? 」

「すごいね、その通りかも」皆でそう結論を出して会は御開きになった。


あれから僕も先生は魔法使いだと思うようにしている。言葉と物とを使い、時には常識を破るようなことをしてみんなを正しい方へ導く。今横行しているオレオレ詐欺や悪徳商法とは真逆だ。きっと先生はそれと戦っている、正確にはその悪いことをする人にならないように生徒に魔法をかけている、ということなのかもしれない。

先生が何者であれ大切なのは、その魔法に魅せられ、弟子になりたいと思った人間が、僕を含めあのクラスに数人いるという事実だ。そしてその人間はいろいろな所で今後も増え続けるに違いない

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