第21話 裏口から爆弾を

 空井が発作を起こす間隔は短くなっていた。今年のはじめにそれがあってから、二週間ほどして二回目があり、次は七、八日後、そして今では二、三日おきになっていた。

 仕事を止めるようにと、空井本人を何度も説得したが、彼はうんと言わなかった。彼が止めない最大の理由は、愛の自衛隊ファイルだった。また、空井自身や僕に対して外務省が報復措置を取ってくる可能性もあった。こういった理由で、今やめるわけにいかない、と空井に反論されると、それはもっともなことで、僕はそれ以上何も言えなかった。いっそ殴りつけてでも止めさせてやろうか、と思ったことは何度もあった。だが、殴って人間の気持ちが変わるなら簡単なことだ。おそらく、アル中や麻薬中毒の友人を持つと、こんな感じなのだろう。本人が破滅へ向かうと分かっていながら、周りの人間は、実質的には何も助けてやれない。

 島村から連絡があった。空井を医者に診せたところ、「軽い」ノイローゼという診断だった。島村はそれを外務省の上司に報告したらしいが、ノイローゼの症状と今の仕事との間の因果関係がはっきりしない、という理由で、結局、空井の仕事は続行になった。

 くそったれ!

 空井が何度目かの発作を起こし、愛とふたりで介抱していた時、僕はやり場のない思いを愛にぶつけてしまった。

「愛さん、ちょっと……」

 寝息を立てはじめた空井をベッドに残し、僕は彼女を隣の部屋に連れて行った。

「どうするつもりですか」

 部屋の扉を閉めるなり、僕は責める口調で言った。愛は刺すように僕を見返した。「前から一度言わなきゃいけないと思ってたんだ。これは全部、愛さんがやったことなんですよ」

 だいぶ間があった。

「……それはいやっていうほどわかってるわよ。自衛隊のファイルさえなければ、こんなことにならなかったって……」愛は鬱陶しげに言った。

「そんなことを言ってるんじゃない。僕は、愛さんが本当に空井を愛しているかどうか、ってことを言ってるんだ。これまでのことは、どうも、愛さんが自分のいいようにやってきたようにしか見えない」

「愛してるわよ」

「いやちがう。愛さんが好きなのは、空井の才能だ。天才プログラマの空井が好きなだけだ。『トップクラスの』仕事にこだわったのも、そのせいでしょう」

「そんなに単純じゃないわ」愛は視線を逸らした。

 マンションの外廊下から見える夜空は薄く雲がかかり、正体のはっきりしない月が懐中電灯のように浮かんでいた。

「そうですか? とてもそうは思えませんけど。……まあ、このまま空井の気が狂って、廃人にでもなれば、今言ったことが口だけかどうかも、はっきり分かりますけどね」僕は意地悪く言った。


 数日してから、僕は愛に電話で呼び出された。昼間に会社を抜け出し、いつもの喫茶店『ル・テラス』で愛と会った。

「考えてることがあるの」愛は言った。「私たちで、島村をどうにかできないかな」

「どうにか、って?」

「例えば、論理爆弾を外務省のシステムに埋め込んで、空井君を自由にしないと爆発させるって、取り引きするのはどう?」

 論理爆弾は、システムに埋め込む小型のプログラムで、本当に爆発するわけではない。だが、こちらからの信号を受けて動作を起こし、重要なデータを消去したりシステムをクラッシュさせたり——つまりは破壊してしまう。

「本気ですか?」僕の中では、興奮と不安がないまぜになっていた。

 だが、論理爆弾を仕掛けるには、まず、システムに侵入しなければいけない。

「システムにうまく入れるといいが……」空井ならいざしらず、僕や愛では、セキュリティを破って入り込むことが難題だった。

「大丈夫。こういう時のために仲間がいるんだから。外務省のシステムに入ったことのある人も、探せばいるはずよ。みんな、自慢話をしたくてうずうずしてるんだから、教えてくれるわよ」

 三日後、飯田橋にある騒々しい居酒屋に、愛はペンちゃんを連れて来た。 

 彼の顔を見るのはほぼ一年ぶりだった。フエルト地の黒い帽子を被り、色白の顔は相変わらず小さかった。モスグリーンのしゃれたジャケットを着、えんじ色のスカーフを首に巻いていた。

 ペンちゃんは、細い指で割り箸の袋をいじくりながら言った。「外務省のバックドアが必要とされているんだって?」

「そうなの」愛は答えてから、僕の方を向いて、「外務省のサーバーにね、ペンちゃんがバックドアを残してあるんだって」と説明した。

 バックドアは、システムのセキュリティをくぐり抜ける裏口だ。一度苦労してセキュリティを破った後、そこにバックドアを作っておけば、二度目からはそこを通って、何の苦もなく侵入することができるようになる。つまり、ペンちゃんは一度外務省のシステムに侵入したことがあり、その時に、バックドアを作っておいたのだ。

「現在、有効性の確認はされていないが、有効性があると確認された場合、彼にはいくら支払われる?」ペンちゃんは平坦に言った。

 僕は愛を見た。

「買うことにしたんだ、バックドアを」と愛。「ペンちゃんなら信用できるから」

 僕はペンちゃんに言った。「そのバックドアについて、詳しく聞かせてくれませんか? 外務省のどのサーバーに取り付けたのか、とか、そこからメインのシステムに直接入れるのか、とか……」

 大きな組織のシステムは一つではない。数台のサーバーがあり、メインやサブとなるいくつものシステムが連結されている。だから、バックドアを取り付けた場所が末端のサブシステムだった場合、そこからメインシステムには、フリーパスで行けないこともある。

「バックドアは、メールサーバーに仕掛けられている。そこから、外務省の内部のメールシステムとボイスメールのシステムに入ることが可能だ。そこを経由して、さらに内部に入ることができる。必要があればパスポートシステムや、出入国審査システムにも入ることができる。ただそれには、ある操作が行われなければならない。そのためには、彼に別料金が支払われなければいけないが……」

 僕は、彼のしゃべり方がなぜ妙なのか分かった。抑揚のない口調もあるが、それより、言い回しが全て受身形なのだ。そして、自分のことを「彼」と、まるで第三者のように言っている。

「で、いくら払えばいい?」

「五百万、がバックドアの標準レートだけれど、おたくたちは個人だから、百万で」

 彼は見かけによらない商売人だった。バックドアそものに標準レートなどない。バックドアの価値は、サーバーの中にある情報によって決まってくるのだ。こちらがそれを知らないと思って、彼は、ハッタリをかましたにちがいない。

「百万……」僕は愛と目を見合わせた。すぐに出せる金額ではない。

「そのバックドア、付けてからどのくらい経っている?」僕は値切りに入った。商社にいた頃を思い出した。何事も、最初に値切っておいて悪いことはない。

「およそ三か月前だな」

「それじゃあ、まだ生きてるかどうかわからない」システム管理者に見つかって消去されているかも知れない。

 ペンちゃんは敵意のある目で僕を見た。「昨日の深夜一時十八分時点で、有効だった。もしドアが無くなっていたら、取り引きは無しということになる。ただし、そのドアから入れるのは、さっき話に出たメールサーバーだけだ。そこから先のシステムに入るには、もう一つ別のパスワードが必要となるように設定されている。そのパスワードは、料金支払い後に知らされることになる」

「つまり、前金、後金ってわけか……」やはりこいつは商売人だ、と思った。ひょっとして、これが生活の糧かも知れない。

「それにしても、百万となると……」僕はまた愛の様子をうかがった。「それに、三か月も前に付けたバックドアなら、もう、中を十分荒らした後だろう? 用済みのバックドアを売り払うには、少し高すぎじゃないかい?」

 彼は、女のような唇の片方だけを釣り上げて笑った。「あっちこっちの国に買い取られたさ。中国、イスラエル、リビア、フランス……禿鷹が死体の肉を食い散らかすようだった。外務省には、今もって気づかれていない」と自慢げに言った。一つのバックドアを、二重、三重に売り付けたというわけだ。

 僕は愛国主義者ではないが、この男が憎くなった。

「中古品なら、すこし割引しないか?」

「状況がよく理解されていないようだね」

 彼はため息をついて立ち上がった。

「君たちにとって、百万の価値が無いとなれば、それはそれでいい」そう言うと、椅子に置いた帽子をかぶった。「バックドア以外にも、入り方ならいろいろある」

「待って」と愛が叫んだ。「私が払う」

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