第2章

第10話 ログの真実

 空井は裏のキーロガーを仕込み、愛とキングがやって来る度にわざと部屋を空けて隙を作った。一週間ほど経ってからキーロガーをチェックした空井は、パソコンからふいに離れてベッドに入り、動物が冬眠するように体を丸めて動かなくなった。

 犯人は愛だった。

 愛は、部屋に一人でいる時に、表のキーロガーを操作してログレポートを取り出していた。裏のキーロガーが、その全てを記録していた。

 空井は、夜が明けて、次の日僕が会社に行く時間になっても同じ格好で眠っていた。以前にあった金縛りのような発作がまた出るのではないかと心配したが、ただ眠っているだけだった。

 翌日になって起き出した空井の、気持が落ち込んでいるのは明らかだった。部屋に閉じこもっていても気が滅入るだろうと思った僕は、その夜帰宅してから、駅前のバーに空井を誘った。

「愛さんはきっと、空井さんが浮気するんじゃないかと心配なんですよ」

「オレは浮気なんかしてない」

「でも、女っていうのは、一度疑り始めると、とことん疑いますからね……」

 僕が付き合っていた登紀子は、別れる寸前、僕の携帯と手帳の中身を隅々まで盗み見ていた。当時、商社に勤めていた僕は、新人と呼ばれる時期も過ぎ、ひとりで海外出張させられることが増えていた。それを登紀子は、浮気に結びつけたらしかった。

「好きな相手なら、なおさらじゃないですか? 空井さん、何か疑われるような言動をしませんでした? 例えば、愛さんに隠していることとか、行き先不明の時間があるとか」

「愛に言ってないのは、キングとの例の仕事のことだけだなぁ……。ただ、不用意に話せないというのは、あいつも承知していることだし、仕事場にしているウイークリーマンションも、愛には場所を一応教えてある」

「じゃあ、女の所に行っていると勘違いしてるわけじゃない」

「それはない。ただ……」空井は眉をひそめて、何かを考えていた。やがて「……いや、それとこれとは繋がらないな」と呟いた。

「それとこれ?」

 空井はもうしばらく考え、「やっぱりちがう」と言った。

「何が違うんですか?」

「うん……最近、キングの仕事のことで、愛と何回か口論になったんだよ。あいつも、あの仕事には大反対だろ?」彼は笑ってこちらに同意を求めた。「それが気になったんだけど、だからと言って、愛がキーロガーを入れたことには繋がらない。キーロガーを入れても、オレに、キングの仕事をやめさせることはできない、だろ?」

 話の途中から、僕は不安になってきた。警察にチクっちゃおうか、という愛の言葉が思い出されたからだ。だが、それとキーロガーも、うまくは繋がらない。愛が空井を告発するはずないのだ。

「空井さん、どこのコンピュータに入っても、証拠を残さずに出て来れるって、本当ですか?」

「そんなこと誰が言った?」

「愛さんが」

「まあね。何で急にそんなこと聞く?」

「いえ、ただ……入り込んだ向こうのコンピュータに証拠が残らなくても、そのために使ったこっちのコンピュータには、何か残るんじゃないかと思って、例えばキー操作だとかマウスの操作とか……」そして、キーロガーはそれを記録する。

 空井の顔から、一瞬、血の気が引いた。それは、薄暗いバーの明かりの中でも分かった。

「だけど、あのマシンじゃやってない」

「そうです。……だから……愛さんは、万一、空井さんが捕まった時に、無実を証明できるようにと、やったんじゃないですか? 仕事は、キングのウイークリーマンションでやってると、さっき言いましたよね。だから、部屋のコンピュータはクリーンなわけですよね。愛さんはそれを知っているから、キーロガーが、逆に何も記録してないことで、無罪を証明できると思っているんじゃないですか?」

 空井にショックを与えないために、咄嗟に考えた苦し紛れの説明だった。

 この論法では、愛がログレポートを回収しに来る理由が、まず説明できない。無罪を証明したいなら、キーロガーを入れっぱなしにしておいて、いざとなった時に使えばいいのだ。それに、自宅のコンピュータがクリーンだからといって、それだけで無罪になるはずもない。

 空井は納得のいかない顔だった。

 その後、僕は無理に話題を変え、会社のことを少し話した。越谷チーフが部長に昇格したことや、空井の後釜として入ったプログラマが、一週間で辞めていったことなどを、空井は上の空で聞いていた。そして、話が切れると、彼は言った。

「ごめん。帰って、ちょっとやりたいことがあるんだ」

「今から?」

 時刻は午前一時を過ぎていた。

「愛のコンピュータに入ってみたいんだ」

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