第25話 余話 其の4 とある受付嬢の受難・2

 ペリシュ王国王都の冒険者ギルド。

 そのギルド長室に、ふたりの姿があった。


 ひとりは、このギルドで受付嬢を務めるエレン。

 もうひとりは、このギルドを含めたすべての冒険者ギルドを統べるギルド総帥グランドマスター、ミリアである。


 ちなみに、この部屋の主人であるはずの王都ギルド長は不在である。

 エレンとミリアが起こした騒ぎの最中、外から帰ってきたギルド長がたまたまカウンターを通りがかったのだが……やはり、やらかしてしまったのである。「この子供がギルド総帥グランドマスター? ハッ」と。

 偽造しようのないギルドカードで本人だと確認した時のギルド長の顔は、蒼白を通り越しろうのように真っ白になっていた。

 そして、平身低頭、震えながらもミリアを——エレンを伴い——ギルド長室に案内した直後、ミリアが発した「エレンと二人で内密の話がある」との言葉に、脱兎のごとく部屋から逃げ出してしまったのだ。

 これにはさすがのミリアも呆れたようで、

「理由も聞かず部下をも放置とは……今日はため息ばっかりじゃ……」

 と、少しばかりいじけたような表情で呟くのみだった。


 ————。

 ミリアにとっては普段通りの、エレンにとっては慣れない「超」がつくほど高級なソファにふたり身を沈めつつ、これまたミリアにとっては普通の、エレンにとっては出来れば触れたくもないほど高価そうなカップに入ったお茶でふたり喉を潤す。

「うわ、美味しい」

 思わずエレンが感嘆の声を漏らす。

 茶葉もまた恐らくは、王都でも比較的高級取りとはいえ、あくまで一般庶民である受付嬢にはそうそう手の出ない値段であろう。

 しかしそれだけに、視覚、嗅覚、味覚を直接たのしませてくれるそのお茶は素直な感想を引き出したようだ。

「確かにこれはなかなかのものじゃな。ギルドマスターはちょっとアレじゃが、秘書は優秀なようじゃ。ここに来て初めて気分が上向いてくれたわい」

 エレンの言葉にミリアが同意する。

 ミリアにしてみれば何気なく言ったことなのだが、聞く方にとっては多分に皮肉られたように思えて仕方ない。

 先のやり取りを思い出し、エレンの心拍数が一気に跳ね上がったのも致し方なしだろう。

 エレンは震えそうになる手で、なんとか倒さないよう、傷つけないようカップをソーサーに戻す。

 ミリアはといえば、今度ばかりはため息ではなくほっとひと息をつき、カップをソーサーの上に置く。

 一見ぞんざいな所作に見えるが、雑な音など一切たてない。

 それが育ちの良さからなのか、あるいは冒険者としての身体能力の高さからなのか。いずれにしろ、見る者が見れば洗練された油断ならない動きであることが分かるはずだ。

 ————。


「で? リュウはどこじゃ?」


 なんとか落ち着いて話ができる空気となったところで、ミリアの第一声がこれである。

 単刀直入な物言いはエレンも好むところではあるのだが、この問いにはただただ困惑するばかりだ。

 ばくばくと周囲に音が聞こえそうなほど脈打つ心臓にどうか落ち着いてくれと祈りながら、エレンはなんとか言葉を返す。

「え〜と、そう言われましても……ここにはいませんとしか……」

「何故じゃ?」

「依頼を受けてからもう一週間近く経ちますし、今はサイスに向かっている最中じゃないでしょうか……」

「なんでそんな面倒なことをする必要がある?」

 どうしても歯切れの悪くなるエレンの応答に、ミリアは待ちきれないように問いを重ねてくる。

 しかし、エレンにしてみれば、ミリアがなぜこんなことを聞いてくるのかまったく理解できない。

 困り果て、恐る恐るエレンは問いに問いを返す。

「? 面倒なこと、と言いますと?」

「転移すれば良いだけではないか。なのにリュウがサイスに来ていないということは、まだこちらにおるのだろう?」

 返ってきた答えもまた、エレンには意味が分からない。

「転移? なんですか? 転移って」

 思わず返した再度の問いに、ミリアの温度がまた上がってくるのが肌で感じられる……が、エレンにはどうしようもない。心の中では「ひぃ! ごめんなさい! 許してください!」と必死に連呼しているのだが、今のミリアがそれをおもんばかれるはずもない。

「は? ……お主、どうして儂が今ここにいると思っておるのだ?」

 エレンの態度を「こちらこそ理解できん」とばかりに、ミリアが問う。

 そして、ここにきてエレンも、「そもそも」の部分に思い当たる。

「? ……あ。え? あれ? そういえば、ギルド総帥グランドマスターはどうやってここに来られたんですか? リュウさんたちが依頼を受諾してからまだ一週間も経っていないんですよ? サイスからは急いでもひと月ちょっとは——」

 エレンにとっては素直な、そして「普通の人間」にとっては当たり前な疑問だったのだが、その言葉は途中で遮られた。

「はぁ〜〜〜〜」

 ミリアのため息によって。

 瞬間、エレンはまたも「ひぃ!」と漏れそうになる心の叫びをかろうじて抑え込む。さらに急上昇していく心拍数に、この歳で心臓麻痺で死ぬなんて冗談じゃないわよ! と必死の思いで活を入れる。

「だから、魔法で転移してきたに決まっておるじゃろう。お主はさっきから何を聞いておるのだ?」

「転移って、え? え? そんなことが出来るんですか? そんな魔法、聞いたことないんですけど!?」

「出来るからここにおるのじゃろうが! 儂が目の前におる。これで信じられんのか?」

「た、確かにそうですけど……でもグランドマスターだからこそ出来るのであって、それが他の人——リュウさんにも出来るとは——」

「たわけ! 儂の転移魔法自体、リュウから教わったものじゃ。その本人が使えぬ訳なかろうが! ——て、ええい! 埒が開かん! なんでリュウがわざわざ転移を使わずサイスに向かったかも含め、最初から全部話せ! さぁ話せ! すぐ話せ! 早く話せ!」

「ひぃぃ! わ、分かりましたから落ち着いて下さいぃぃ!」

 あまりの緊張——を通り越してこれはもう恐怖だろう——に危うく気を失いそうになりながらも、エレンはなんとか言葉を絞り出す。


 そして、やっと、ようやく。

 しっかりとあらましを話す運びとなったのであった。


 ——————。

 ————。

 ——。


「なるほどのう。訳ありの連れがいたということか」

 随分と落ち着いた声色。

 エレンから話を聞いたミリアが、顎に手をやりながら頷く。

「アヤさんが訳ありかどうかは分かりませんけど……」

「黒髪黒目、ギルドカードの登録魔術具を一瞬で満たす巨大な魔力持ち、なのじゃろう? 心当たりがあるでな。ほぼ間違いなく訳ありじゃ」

「となると、リュウのやつ、また面倒なことに手を出しおったか……いや、たまたま巻き込まれたという線もあるか……いずれにしろ……」

 ぶつぶつと呟きながら考え込むミリア。

 エレンは横やりを入れる訳にもいかず、息を潜めながら待つばかりである。


 ——そうしてしばらくが経った頃。

「エレンよ」

「は、はい」

 唐突に名を呼ばれ、エレンはかしこまりながら返事する。

 すると、ミリアは、


「やっとあ奴に会えるかと思うと、気がいて乱暴な態度になってしまった。まずはきちんと話を聞くべきじゃった。——すまない、無礼を許して欲しい。エレン」


 エレンに向かって深く頭を下げたのだった。

 虚を突かれ、数秒の間ぽか〜ん、と呆けたエレンだったが、

「……なっ! あ、頭を上げて下さい! ギルド総帥グランドマスターともあろうお方がそんな——!」

 慌ててミリアに声をかける。

「悪いことをしたと思ったならば謝るのは当然じゃ。人前で簡単に頭を下げられん立場というのはあるが、本来それはどんな立場の者であろうが当たり前のことじゃ」

「そして今は儂とお主の二人だけじゃ。だからこの通り」

 そういい、さらに数秒経ってから、ミリアはゆっくりと頭を上げる。

 あたふたしていたエレンだったが、ミリアのこの言葉を聞き、ふ——と表情を緩める。

「分かりました。謝罪を受け取ります」

「ありがとう」

 ようやくふたりの顔に揃って笑みが浮かぶ。

 そこで、思い出すようにエレンがミリアに話しかける。

「……グランドマスターは、リュウさんと同じことを仰るんですね」

「む? そうなのか? ……そうか」

 ミリアも思い当たる節があったのか、柔らかに笑う。

「かか、あいつも変わらんな。他には何か言っておらんかったか?」

 ん〜、と少し考えた後、エレンが少しばかり口を滑らせる。

「え〜と、そうですね……あの……グランドマスターのことを、うっと——いえ、可愛いところもある奴だ、と」

 そこまで口にし、エレンははたと考える。

 なんとか「それは言っちゃダメだろう」な部分は控えたものの、いくら見た目が幼女とはいえ、本来はそうそう会話するどころか会うことさえ出来ない、はるかに格上の上司である。

 その上司に対して「可愛い」というのは、自分の口からでは失礼にあたるのではないか?

 一気に弛緩した緊張に気が緩み、余計なことを口走ってしまったのではないかと焦るエレン。

 が、エレンの言葉を聞いたミリアはといえば——

「なに? かわいいじゃと? リュウが儂のことを? そんな、照れるではないか……ぬふ……ふひ……んふ……でゅふふ」

 と、小さな両の手で頬を抑えくねくねと身をよじらせていた。

 態度に出さないよう頑張って我慢しているようだがまったくこらえきれておらず、正直ちょっと、いや、かなり不気味な笑い方になっている。

 考えてみれば、約30年もの長い間探していた、しかも今回は確実に求めている相手の情報を得られたのだ。しかも相手も自分の所に来る予定であり、嬉しいことまで言ってくれたと。

 そう考えると、エレンとしてもほっとしつつ、また、ミリアのこの様子も仕方ない——と、見た目が幼女ということも加わり逆に微笑ましくも思えてくる。

 そんな、エレンの自分を見る生温かい視線に気づくミリア。

 はっとしたように姿勢を正し、こほん、と小さく咳払いで誤魔化す。


 ——しばしの静寂。

 仕切り直しとばかりに、しかしこれもまた唐突に、ミリアがエレンに訊ねる。


「お主、結婚はしておるか? 子は?」


「ふぁっ!? ……結婚はしてませんし、子供もいませんけど……」

「家族は一緒か?」

「いいえ。王都に出てきたのは私だけで一人暮らしです」

 短いやり取りの後、しばらく考え込むミリア。

 エレンはなぜこのようなことを聞かれたのか理解できず、ミリアの次の言葉を待っている。

「ふむ。そうか。それは好都合じゃ」

 と、ミリアはこくこくと頷き、エレンと視線を合わせまた口を開く。

「エレン」

「はい」


「儂と一緒にサイスに来い」


「…………はい?」


「詳しくは聞いておらずとも、リュウのランクは知っておるのだろう?」

「……はい」

「あ奴がわざわざカードを示して依頼を受け、しかも連れがおる。となると、これからはギルドの依頼も受けることになるのじゃろう。かといってあまり大っぴらにできるようなランクではない。それは分かるな?」

「はい」

「じゃから、お主、サイスに来て、リュウの専属受付嬢にならんか? まぁ空いた時間は他の受付嬢と同じじゃが、リュウたちについてはお主が専属で見てもらう」

「…………」

 急な話の展開にエレンが返答できずにいるのを見て、ミリアが畳み掛ける。

「本部への異動じゃ。間違いなく栄転じゃぞ?」

 ピクリ。

「給料も弾むぞ?」

 ピクリ。ピクリ。

「リュウの知己となれば、儂も無下にはできん。ギルド総帥グランドマスターである儂がな」

 ピクリ、ピクリ、ピクリ。

「そうそう。エヴォリュースには上位ランク冒険者も多いから、ゆくゆくは玉の輿に乗るのも夢ではないなぁ」

「行きましょう!」

「決まりじゃな」

 ガシリ、と握手を交わすふたり。


 もしも、この時のエレンに落ち度があったのだとすれば。

 欲にくらみ、ミリアの邪悪な笑みに気づけなかったことだろう。


 ——まぁ、あ奴の相手をするんじゃ。苦労も多かろうし、いくら上位ランク冒険者といえどリュウに接した後に他の者が良く見えるかは微妙じゃがのう。かかか。


 ——————。

 ————。

 ——。





「ちょ! 行くとは言いましたけど、今日いきなり、今からだなんて聞いてませんよぉぉ〜〜〜〜!!」

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