第60話 突然の訪問

 麗奈が部屋の窓から外を眺めていると、携帯電話が震え出した。

 麗奈は慌ててバジャマのポケットから携帯を取り出した。

 画面には着信の文字が踊っている。相手は勿論、婚約者からだ。

「勉さん…?」

「お嬢様、夜分遅くに申し訳ありません。今お話しても、よろしいでしょうか?」

「はい、もちろんです。どうなさいましたか?」

「夜分遅くに迷惑とは思ったのですが…貴女のお体が心配のあまり、

 眠れそうにありませんので、そちらへ伺おうと存じまして」

 麗奈は驚きながらも、平静を装って言った。

「大丈夫です、大丈夫ですから!そんなに酷くはありませんし」

「いいえ、心配で寝不足になりそうです。お嬢様の無事を確認しなくては気が済みません」

「そんな、無事だなんて大袈裟な…」

「いいえ、大袈裟ではありません。お嬢様にもしものことがあっては、申し訳がたちません。

 どうか、お見舞いに参上することを、お許しください。

 あと5分ほどで到着できるかと思いますので。お嬢様…もう少しの辛抱ですよ。

 やっと貴女に会える…」

 勉は吐息交じりに言った。

「えっ!?5分ほどで!?」

「ええ。そちらへ向かっておりますので、ご安心ください」

 麗奈は慌てた。時刻は夜の11時を回ろうとしていた。

「お嬢様?僕が来ては不都合なことでもあるのですか?」

「ち、違います…!だって、こんな夜遅くに…」

「…なるほど、わかりました」

「えっ…!?な、何がわかったんですか!?」

 麗奈の慌てた声に、勉は笑った。

「何も、恥ずかしがることはないのですよ?夜分遅くに、

 男と女が二人きりになってすることといえば、決まっています」

「そ、そんな…そんな…」

 困惑する麗奈の声に満足したのか、勉は優しく言った。

「意地悪なことを言ってしまいましたね。今宵は、何も致しません。

 お嬢様の体調は万全ではありませんからね。

 今宵はお見舞いとして伺うだけですので、ご安心ください」

「良かった…」

 麗奈はそっと胸を撫で下ろした。

「しかし、近いうちに…色良い返事を聞きたいと思っております」

「えっ…あ、あの…」

「ふ…その話は、お嬢様の体調が回復なさってからです。

 到着次第、お嬢様のお家のベルを鳴らしますので、開けてくださいますね?」

「私、が…」

「ええ。お体が辛いようであれば、僕の方からお嬢様のお部屋に伺い…」

「わ、わかりました。私が開けます…!」

 それだけは駄目だと、麗奈は勉の言葉を遮った。


 勉が夜分遅くに訪ねてきて、自分の部屋で二人きりになるなど、とんでもない。

 そんなことが姉に知られでもしたら、どんな酷い目に遭うか。

 麗奈はぶるぶる、と身震いをしながら右手に巻かれた包帯を見た。

 きっとこの程度で済まないだろう、と思った。

 それに、体調が悪いと言ったものの、悪いのは右手の調子だけでそれ以外は何の不調もない。

 勉に嘘をついたことが明るみに出れば、勉に責められることは避けられない。

 麗奈は、それが怖かった。ましてや、右手を怪我しているということがわかれば、

 なぜ黙っていたのかと言われるに違いない。麗奈は困り果てていた。

「お嬢様、それではまた後で」

「はい…お気をつけて」

 麗奈は電話を切った後、すぐに亜里紗の部屋をノックした。

「お姉様、お姉様っ!」

「もう、なんなのよ!うるさいわねえ!」

 亜里紗が勢いよくドアを開けたので、麗奈は驚いて尻餅をついた。

「こんな遅くになんの用?」

 麗奈はすっくと立ち上がり、亜里紗を見た。

「勉さんがこっちに…!こっちに向かってるんです!」

「はあ?何寝ぼけたこと言ってんの?」

「本当なんです!体調が悪いからしばらく会わないって言ったら、見舞いに行くって…

 5分くらいで着くって」

「はあ…あんたの茶番には付き合ってられないわ。もう寝るから邪魔しないで」

「お姉様、待ってください…!」

 亜里紗がドアを閉めようとした時、麗奈の携帯がポケットで震えた。

 急いで携帯を手に取ると、川橋勉と画面に表示されていた。勉からの着信だった。

「スピーカー」

 亜里紗の冷たい声にはっとした麗奈は、慌ててスピーカーに切り替えて電話に出た。

「勉さん」

「お嬢様…お見舞いに参りました。今、お嬢様のお宅の玄関にいます。ベル、鳴らしますね」

 携帯から、家のベルが鳴る音がしっかりと聞こえた。

 と同時に、一階に響くベルの音は、麗奈にも亜里紗にも聞こえた。

「わ、わかりました。今開けます」

「はい、お待ちしております」

 麗奈は、通話終了のボタンを押した。

「早く開けて、勉さまの相手」

「で、でも…私の右手…」

 麗奈は、右手を見た。怪我が治るまで会うな、と亜里紗に言われた手前、

 のこのこと勉のところへ行くわけにはいかない。

「早くしなさい。もし怪我のことがバレたらバレたで仕方ないから、

 適当に上手く言い訳しなさい」

「えっ、で、でも…」

「適当に言えばなんとかなるから!あんたが呑気に普段通り言えば、嘘も真に聞こえるもんよ。早く行きなさい!」

「そんなこと言われても…なんて言えば…」

 麗奈は嘘をつくのが苦手で、嘘というものが何より大嫌いなのだ。

 適当に誤魔化せと言われても困る。

 怪我が治るまで会うなと言ったのはそっちじゃないか、と麗奈は思った。

「あとのことはしっかり、ね」

 亜里紗は麗奈を突き放してドアを閉めた。

「お姉様…!」

 ドアを何度ノックしても反応はなく、麗奈はしょんぼりとした。

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