第29話 伝えたい気持ち

和哉が莉子と理沙子とカフェ・テリーヌを訪れてからというもの、

麗蘭は部屋に篭もりっきりになってしまった。

食欲もなく、元気もない。

何をするでもなく部屋のベッドで眠る毎日。

桃と春彦は、そんな麗蘭を心配していた。


「桃さん、春彦さん!来ました!」

和哉は笑顔でカフェ・テリーヌへ入ってくるが、周りを見渡しても麗蘭の姿は見えない。

「あの、麗蘭ちゃんは」

「…引きこもったままだ」

「引きこもった、まま…」

「あれからずっとね」

「…そう、ですか」

和哉は悩ましげに椅子に座った。

いつものカウンターの席だ。

「今日は、会えますか?麗蘭ちゃんに」

「呼んでくるな」

春彦が階段を登ろうとすると、麗蘭がでてきた。

春彦を見て、下へ降りてきた麗蘭は驚いた。

「えっ…佐久間さん…」

「や、やあ。あの…」

和哉は走って、麗蘭の両手をしっかりと優しく握った。

「こっち来て」

和哉は、麗蘭の手を引きカウンター席に座った。

「麗蘭ちゃん、これ」

俯いていた麗蘭に、和哉がスケッチブックを手渡した。

「えっ?」

「いや、その…この前、見せたくて持ってきたんだけどね」

麗蘭がスケッチブックを受け取らなかったので、

和哉は更に麗蘭の目の前にスケッチブックを突きつけた。

「お願い。見て」

麗蘭は、和哉が差し出したスケッチブックを手に取った。

麗蘭が、表紙を捲って一枚目の絵を見た。

しかし、なんの反応も無い。

次々とページを捲っていく麗蘭を見て、溜息が漏れた。

「ちゃんと見てる?そんなにぱらぱらと見て」

和哉がそう言うと、麗蘭は全部のページを見終わらないうちに

佐久間にスケッチブックを突き返した。

「すごいと思います。佐久間さんは」

麗蘭は膝の上に手を乗せた。

「佐久間さんは、才能があってこんなに素晴らしい絵をかける画家さんで、

かっこよくて頭も良くて素敵な方です」

「えっ…」

和哉は、麗蘭の口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかった。

麗蘭がそんなふうに思ってくれていたというのを、和哉は初めて知った。

嬉しいな、と和哉は思った。

「でも」

「でも?」

和哉が聞き返した。

「佐久間さんは、わたしに関わらない方がいいんです」

「なんだよ、それ」

「佐久間さんは…佐久間さんには素敵な方がいらっしゃいます」

「いないよ、そんな人。僕は麗蘭ちゃんと…」

「そんな優しいこと、言わないでください。

佐久間さんは優しいからわたしとお話してくださいましたけど…」

「そんなことないよ。麗蘭ちゃんと話してるとすごく楽しいんだ」

「佐久間さんは、雲の上の人だから」

麗蘭は寂しそうに笑って、2階へと向かった。




帰宅した和哉は、部屋に入って机に向かった。

しかし、カフェ・テリーヌでのことが頭から離れない。


「佐久間さんは、雲の上の人だから」


麗蘭がそう悲しい顔をしていた姿を見て、どうにか仲直りはできないものかと悩んでいた。

「和哉、入ってもいい?」

理沙子がドアから顔を出した。

「ああ、姉さん。いいよ」

「で?どうなの、麗蘭ちゃん?だっけ」

「ああ、うん」

「なに?なんかあった?」

「麗蘭ちゃんに、もう関わらない方がいいって言われた」

「え?なんでよ」

「わかんない」

「うーん、どうしたのかしらね」

「せっかく、麗蘭ちゃんに絵を見せたのに」

理沙子は首を傾げた。

「なに?突き返された?」

「うん。突き返されたし、あまり見てもらえなかった」

「あらら」

「それに…感想もあまり言ってくれなくて」

和哉は、机に置いたスケッチブックのページを捲った。

「姉さん、どうかな?僕の絵は、麗蘭ちゃんには…届かないのかな」

「届いてると思うわよ。和哉の絵は最上級だもの」

理沙子はにやりと笑った。

「どうすればいいのかな」

「絵を書いてプレゼントしたら?」

「プレゼント?」

「うん。麗蘭ちゃんの絵を書くとか」

「麗蘭ちゃんの、絵…」

和哉は、麗蘭を思い浮かべた。

優しく微笑む麗蘭の顔が、和哉の頭には浮かんだ。

「どんな表情でもいいと思う。麗蘭ちゃんの絵を書いてみたらどうかな」

「…うん、書いてみる」

和哉は真っ白なページに、麗蘭の絵を少しずつ書いていった。



「あなたが、麗蘭さんね?」

たまたま外出していた麗蘭は、背の高い茶色の髪をした綺麗な女性に声をかけられた。

「あの、あなたは?」

「和哉さんの知り合いの、麗華と申します」

「麗華、さん」

「和哉さんは、ゆくゆくは私の婚約者になる人なの」

「え……」

麗蘭は、目の前が真っ暗になった。

「和哉さんとは、前から縁談が持ち上がっていて、やっと進んだのよ。

やっと、私に振り向いてくれて」

だからね、と麗華は言った。

「もう、和哉さんに会うのやめてくれる?和哉さんは、将来の私の旦那様。

そんな和哉さんを乱すのはやめてくださる?」

麗蘭は言葉すらも出ない様子で、目を見開いていた。

「あらまあ、返事も出来ないの?」

「すみませんでした。私、知らなくて」

「あらそう。それに、あなたと会ってからというもの仕事に身が入らなくなって、

仕事でもミスしたり上手くいかなくなったりしてるのよ?」

「えっ」

麗蘭は、小さく声を上げた。

そんなこと知らなかった、と麗蘭は思った。

「あなたのせいなのよ。あなたに会ってからなんだから。

最初はすごく楽しそうで仕事にも精が入ってたから、何も言わなかったけど。

あなたとすれ違ってしまって、仕事も良い結果を出せなくて」

麗蘭のせいで、佐久間の調子が狂ったのだと、麗華は麗蘭を責め立てた。

「それにあなたのためにって、仕事よりもあなたのために絵を書いてるのよ。

仕事をほったらかして」

「そ、そんな」

「本当のことなんだから」

麗蘭は、和哉の目にうっすらとクマができていたのを知っていたが、

仕事が忙しいものだとばかり思っていた。けれど、その原因は自分なんだと悟った。

「和哉さんはね。あなたの塗り絵専門の絵描きじゃないのよ?わかってる?」

「はい…」

「和哉さんは、天才画家なの。和哉さんの両親は画家で、

和哉さんもその血を引いて、とても有名な画家なのよ?」

なのにあなたは邪魔をしてる、と麗華は言い放った。

「ごめんなさい…」

「もう会わないことね」

麗華はそう言って去っていった。



麗蘭は、和哉に会うことをぱたりとやめてしまった。

和哉を忘れようとするも、なかなか忘れることが出来ず苦しんでいた。

忘れようと思えば思うほど、和哉の顔が浮かんでくる。


麗蘭は、部屋で一人、涙を流した。


「麗蘭ちゃん、だめよ。食べなきゃ」

「ごめんなさい、なんか、食欲無い」

「食べちゃうよ、いいの?」

美優が、麗蘭を見て言った。

美優は、春彦たちと朝食をカフェ・テリーヌで食べていた。

「みゆ姉、食べて」

そう言って、麗蘭はすぐに部屋に入っていってしまった。

「麗蘭ちゃん、すごく痩せちゃったね。ただでさえ痩せてるのに」

美優が牛乳を飲みながら言った。

「ああ、佐久間さんに会わなくなってからだな」

「そうねえ、心配…」

桃はうーん、と唸った。

「佐久間さんは来てないの?」

「そうなんだよ、みーちゃん。最近来てなくてな」

「そうなんだ…」

美優は俯いた。

麗蘭は殻に閉じこもったきり、出てくることは無かった。

そんな中、久しぶりに和哉が訪れた。


いつもの、閉店時間間際に。


「お久しぶりです、みなさん!」

「あら、お久しぶりね」

「桃さん、あの、麗蘭ちゃんは」

「…それは」

桃の顔がこわばった。

「どうしたんです?」

「麗蘭ちゃんは、なかなか部屋から出てこない」

「出て、来ない…」

「あら。それは?」

「ああ、僕、麗蘭ちゃんに絵を見せたんです。でも、すぐに突き返されて。

だから…麗蘭ちゃんの目が輝くような絵を描きたいなと」

そう言って、和哉は鞄からスケッチブックと色鉛筆を取り出した。

「本当は、絵の具で塗りたいなと思ったりしたんですけど、色鉛筆でもいいかなって」

和哉はスケッチブックの絵に色を足していった。

「あら!素敵じゃない」

桃が声を上げた。

「そうですかね」

「ああ。これなら、麗蘭ちゃん喜ぶな」

和哉は微笑みながら、絵に色を塗っていく。

何度も重ね塗りを繰り返し、完成したのは三時間後。


「できたー!」


「お疲れ様、佐久間さん。はい、これ」

「あ、ありがとうございます!」

和哉は、桃から紅茶をもらった。

「いつから書いたんだ?」

「あー、麗蘭ちゃんに…雲の上の人だって言われた日からですね」

「それじゃあ…だいぶ前ね?」

「ええ。麗蘭ちゃんと仲直りしたいし、僕は麗蘭ちゃんを振り向かせたい」

和哉は、眩しい色を放った絵を黙って見つめていた。




「麗蘭ちゃん」

桃と春彦が麗蘭の部屋に入ってきた。

「はいこれ」

「春彦さん?これは?」

「佐久間さんのスケッチブックだよ」

麗蘭は、いりません、と言ったが春彦は譲らない。

「是非見てほしい絵があるから、だから全部見てほしいって。

このスケッチブックは麗蘭ちゃんにあげるって佐久間さんが」

桃が、見てみようよと麗蘭を見て言った。

麗蘭は、スケッチブックを少しずつ捲り始めた。

街を行き交う人々を描いたものや、公園、それから自然を書くのが好きだと

言っていた風景画もたくさんあった。

カフェ・テリーヌの絵もたくさんあって、いろいろな角度から書かれたその絵は、

和哉にしか書けないものだった。しかも、どの絵にも色が塗られて写真のように輝いて見えた。

「最後のページね」

麗蘭が、桃の声に顔を上げた。

「最後のページが、自信作なんだって」

春彦の言葉に目を瞬かせた麗蘭は、最後のページを捲った。


「わああ〜!!」


麗蘭は声を上げ目をきらきらさせた。


「これって……」


麗蘭は、最後のページに書かれた絵をじっと眺めた。


その絵は、カフェ・テリーヌの店内を背景に麗蘭がカウンター席の椅子から立ち上がり、

ふと後ろを振り向いたところを描いていた。

絵の中の麗蘭は眩いほどの笑顔で、振り返った先には何があるのだろうと

考え込んでしまうほどの完成度の高いものだった。


「これって、わたし…?」


そうだよ、と春彦が言った。

「よほど麗蘭ちゃんが好きなのね、佐久間さんは」

「そんなことありません」

「あるのよ、それが。そのページに、何か書いてるでしょ」

「えっ?あっ、本当だ」

麗蘭は、絵の右下に小さめの文字があるのを見つけた。


『大好きな麗蘭ちゃんへ


麗蘭ちゃん、愛してる。僕の、大切な人になってくれないか。

これは、本当のことだから。僕は本気だから。

僕だけの麗蘭ちゃんでいてほしい。

僕のことだけを見ていて欲しい。

来週の日曜日、いつもの時間でこの喫茶店で会おう。


                       佐久間 和哉 』




麗蘭は、驚きと嬉しさのあまりスケッチブックを何度も触った。


「佐久間さん……」


麗蘭はスケッチブックを手に取り、抱きしめ佐久間の名を何度も口にしていた。




麗蘭は、和哉を待っていた。


(まだかな…)


カランコロンと鈴の音が鳴った。

「麗蘭ちゃん!」

和哉は、走ってきたのか、息を切らしていた。

「麗蘭ちゃん…待っててくれたんだね」

麗蘭は小さく頷いた。

「よかったよ。よかった」

「佐久間さん、あの…見ました。どの絵もすごく素敵で」

「よかった…最後のページは?」

「見ました」

「どう?」

「すごかったです…佐久間さんは、本当にすごいですね」

「あとは?」

「えっ?」

和哉は、麗蘭の顔を覗きこんだ。

「返事を聞きたい。最後のページを見たならわかるだろ?麗蘭ちゃん」

「…それは」

麗蘭は、直ぐにわかった。

返事というのは、和哉と付き合えるかどうかということだ。

「わたし、佐久間のことが…好きです」

「それじゃあ!」

「でも、佐久間さんとはお付き合いできません」

「えっ?なんで?」

和哉は、麗蘭の手を握った。

「佐久間さんには…婚約者がいるから」

「婚約者?」

いないよ、そんな人は、と和哉は言った。

「麗華さんって人です。いいんですよ、わたしに気を使わなくても」

「麗華?ああ…麗華は、ショップ店員だからな」

麗蘭は、わからないとばかりに首を傾げていた。

「麗華は、アパレルショップで働く店員。大学時代の同期」

「えっ?婚約者じゃ…」

「違うよ。僕の大切な人は、麗蘭ちゃんだけだ」

「でも……」

「もう一度聞く。僕のことが好きか?」

「好きです…!!」

麗蘭は、和哉を見て言った。

「ん、よし。それなら、僕と付き合えるよね?」

「でも、こんなわたしとなん…っ!」

麗蘭の唇を和哉は塞いだ。

「佐久間さん…!」

「隙あり!」

きゃあ、と小さく声を上げる麗蘭を、和哉は優しく抱きしめた。

「僕の彼女になってくれますか?」

「…はい、よろしくお願いします…」

麗蘭は、和哉の胸に抱きついたままだった。





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