斉藤タミヤ、異世界の地に立つ

プロローグ【辿り着いた先は、異世界】

「よし、皆既日食をもっと近くで拝みにいくか!」


 思い立ったが、吉日である。

 僕こと斉藤タミヤは、人生で初めて執筆した長編大作小説「滅びゆく世界のキャタズノアール」を完成させ、その達成感から次なる作品を書きたい意欲に燃え上がっていた。

 元々、僕は作品のクオリティを高めるためなら、どんな高価な資料を購入することも、取材に行くことも、労力も惜しまないが、今日は一際、好奇心を刺激される出来事が起きているのだ。


 ――それが、皆既日食。


 そう、今朝からずっと特別番組が組まれているように、今日は時期外れの皆既日食が起きていて、日本中で話題になっているのだ。

 もう午前九時を過ぎていると言うのに、外が真っ暗なのもそのためで、ちなみに原因は今もって不明らしい。

 科学で多くの謎が解明されつつあるこの現代日本で、こんな不可解な出来事が自分の日常へと浸食してきたなら、ワクワクしてこない訳がないだろう。

 退屈な毎日に飽き飽きしている同じ日本人なら、少しは理解して頂けるはずだ。


「世界の終わり? 人類の滅亡? いいねぇ、楽しくなってきたじゃないか!」


 すでにネット上では散々、情報が錯綜しているようだ。

 確かに、こんな怪奇現象が起こったのだ。日本中の人間がこの理解不能な現象に好奇心を抑えることが出来ないでいるのも無理はない。

 かく言う僕だって、日曜で仕事が休みなのを良いことに、物置に長いこと眠っていた天体望遠鏡を持参して家を飛び出しているのだ。

 目指すは、自宅から一番近くにある標高二百七十四メートル程の二上山。

 道すがら、窓から見える人達は、皆一様に空を見上げ、この現象への興味が抑え切れないのを隠すこともなく色めき立っていた。


「ま、仕方ないよな。皆、考えることは一緒だ」


 僕はそう呟くと、焦る気持ちで安全速度を超えないよう注意深く車を走らせながら、騒ぐ人達の中を目的地へと急いでいた。が、その時だ。僕はある異変に気付く。

 目的地である二上山まではこんなにも遠くなかったはずなのだ。

 それなのに、いつまでたっても目的地に到着する気配が、その兆しすらない。


 ――明らかにおかしい。まるで流れる景色がスローで動いているような……。


 そう思い始めた時、今度は急に胸に圧迫感を感じ同時に強い眩暈に襲われる。


「く、そっ……何だって、こんな時、に……」


 気が急きながらも体調不良を感じ、事故を避けるため車を道路脇に停車させた。


 ――その直後。


 車の椅子に横になり、小休憩しようとしていた僕の身に畳みかける様に、今度こそ理解を超えた出来事が襲いかかった。

 「え?」っと思ったのも束の間、空から巨大な槍のような何かが飛来してくるのに気付いた時には、瞬時にしてそれに貫かれ僕の車は派手に大破していたのだ。

 強い痛みと衝撃で意識が途切れる間際、最後に目に入ってきたのは、どこまでも僕の興味を誘うかのような、あの漆黒の太陽だった……。



 ◆◆



 あれからどれくらい時間が経過したのだろうか。

 僕は体の芯から冷える寒さに起こされて、目を開けた。

 見上げると場所はどう見ても日本ではなく、空はこの世の終わりであるかのように赤く幻想的で、まるで別世界のよう……。そして……何よりも、だ。

 空に浮かんでいるのは、自分が知る月よりも大きく赤黒いものの、すでに丸い月が姿を見せており、皆既日食ではなくなっていたのだ。


「ここ、は……ど、どこだよ!?」


 視界に飛び込んできた異様な空を見て、がばっと跳ね起きながら叫んだ僕が違和感を覚えたのは、まず自分の声。やけに甲高いのだ。

 いや、女にしてはやや低いが、男にしては高すぎる声。


「ど、どうなってるんだ? 声だけじゃない、体つきもどう見ても……」


 僕はいつの間にか西洋の騎士甲冑のようなものを着込んでおり、胸には乳房らしき膨らみまである。

 状況を理解し切れず、動揺する僕だったが、少しでも現状を把握するべく、落ち着いて辺りを見回す。

 どうやら今いる場所は背が高い木が立ち並ぶ、どこかの森の中らしい。

 近くからは水の流れる音も聞こえてきている。

 水場があるなら今、自分の姿がどうなっているのか、確認するにはうってつけかもしれない。と、そう考えた僕は音がする方向へと走った。

 そして流れる川を覗き込むと、そこにいたのは……肩まで伸ばした茶色の髪に、騎士甲冑の左右の肩当てに青い月の紋章がある妙齢の女性だった。


「お、女だよな……やっぱりどう見ても。僕が女に。いや、しかもこの姿は……」


 そう、この女性騎士は僕が連載していた長編小説「滅びゆく世界のキャタズノアール」に登場するミコトと言うキャラと同一の容姿なのだ。

 ちなみにこのキャラは美しい容姿に反して幼少期から受け続けた性的虐待から逃れるために、満月の夜に父親を殺害してしまった設定がある。

 それ以来、強い殺戮衝動に襲われるようになり、同様に満月を見たり、衝動が極限まで高まると「血の酩酊に目覚めた獣」と呼ばれる殺人鬼に変貌してしまうのだ。

 そういえば今は満月で、さっきから何かが渇いて仕方がないような気がする……。

 その渇望が何なのか気付いて、それを否定するように僕は勢いよく首を振った。


「いや、いや……っ! 駄目だろ、それだけは!」


 僕は内から湧き上がる悍ましい衝動を痛みでごまかそうとするように、拳を勢いよく地面に叩き付けた。すると、当然ながら拳から痛みと共に血が滲み出す。

 それを見て、僕は胸が高鳴るような情動を感じ、震えながらその血を舐めて啜ってしまった。


「う、う……っ!」


 だが、すぐに理性で自分を取り戻し、啜った血を吐き出すと、僕は走り出した。

 何か行動をしていないと自分が自分でなくなるような、そんな気がしたからだ。

 自分がそう設定したとは言え、小説の中でミコトはこんな衝動に襲われていたのかと、少しだけ彼女を不憫に思うと、内なる気持ちに突き動かされるように、僕はここではないどこかを目指して、ただ走っていた。

 いや、自分が一体、どこへ向かおうとしているかは、内心では分かっていた。

 現代日本ではないこの世界がどんな所かは分からなかったが、人が集まる村か町、そこでならこの衝動を存分に……と、そう考えていたのだ。


「いや、駄目だ、駄目だっ! 何を考えてるんだ、僕はっ!」


 内から湧き上がるものに全力で抗いながらも、衝動により研ぎ澄まされていた五感が、それを探し当ててしまったのかもしれない。

 頭を抱えながら走っていた僕の目の前には、心の内では渇望してやまなかった枯れ草の広がる小さな寒村があったのだ。

 それを見て僕はあろうことか、ごくりと生唾を飲み込む。

 そして人の気配が僅かに感じられるその村へと、足を踏み入れていく。


「……っ!?」


 だが、すぐにその村が尋常ならざる事態に陥っていることに気付いた。

 血の匂いがするのだ。それも夥しい量の。

 そして僕よりも前に、村とそこに住む人々をこんな状況に追い込んだ先客にして、元凶達が、ゆっくりと姿を現し始めた。


 ――それは黒い化け物達だった。


 外見こそ狼や熊、豹などに酷似しているが、どこか異形で、すべての個体がさながら影のように真っ黒なのだ。

 そして口からは血が滴り、目は赤く煌々と輝いており、どう見ても僕に対しても害意を抱いているのが理解出来た。

 僕を敵と認識した化け物達は、じりじりと僕との距離を縮めてくる。

 しかしそんな中にあって、どこか安堵している自分がいた。

 なぜなら……奴らの眼光と姿は明らかに邪悪な化け物そのものだったから。

 たとえこの殺戮衝動の矛先を向けても、僕に罪の意識を感じさせなさそうな連中が、こうしてみすみす僕に殺されるために姿を現してくれたのだから。


「あ、安心したよ……お前ら。もう、限界で……抑え、切れな……くてさ」


 そして僕はついに、抑えていた殺戮衝動に身を任せた。

 僕の髪が長く腰まで伸びて、白髪となり、設定通りに恐らく目は赤黒く変わっていることだろう。

 それを発端にして、化け物達も痺れを切らして飛びかかってきたが、僕はその中の一体である豹型の化け物の頭を無造作に掴むと、力任せにもぎ取った。

 そしてその断面から血が噴き出すのを見て、心の底から高揚感が湧き上がった。

 一体、また一体と己の膂力だけで、襲い掛かってくる化け物達の体を引き千切っていく僕だったが、己が渇望するものがやはり血だったことを再認識する。


「あへぁははははっ、ははぁひはぁっ!! そう、血だ! 血が見たいんだっ!」


 容赦はしなかった。いや、情動が邪魔をして、そんな考えは起きさえしなかった。

 僕が血の酩酊に目覚めた獣と化して暴れ回ってから、どれだけ経ったろうか。

 最後に襲い掛かってきた熊型の化け物の頭を拳で陥没させた時、すでに村の中で立っているのは自分だけだと言うことに気付く。

 湿った空気の匂い、頬をなでる冷たい夜気。すべての敵を倒し、欲望を存分に発露し終えた僕は、内からの衝動が収まり、姿は元のミコトのものへと戻っていった。


「はあっ……はあっ……」


 僕は息を切らしながら、自分の体を確認する。全身血塗れだった。

 そんな自分の姿を見て、もしこいつらが村を襲う前に、僕がここへ辿り着いていたらと思うと、心底ぞっとした。

 だが、考えようによっては僕が間違いを起こすより先に、この殺戮衝動の収め方を知れたのは、幸運だったと言えるかもしれない。

 今のように存分に暴れまくってしまえば、平常心を取り戻すことが出来ると分かったのだから。


「どう、する……これから。こんなよく分からない世界でどこへ行けば……」


 ゆっくりと歩き出し、当てもなく村を後にしようとした僕だったが、その時。

 突然、背後から無数の足音が聞こえ始めた。

 まだ村に生存者がいたのかと咄嗟に振り返った僕だったが、そこには凛とした美しい顔立ちの女性騎士を先頭に、二メートルはありそうな巨漢の男と、百人は下らないであろう騎士甲冑の者達が立ち並んでいた。

 そして僕はあっという間に、彼女らに周囲を取り囲まれてしまう。


「言い訳があるなら聞こう。先ほど貴様が放っていた、あのどす黒く溢れんばかりの殺気と異形の姿。貴様はやはり魔種ヴォルフベットの手の者か!?」


 僕を真っ直ぐに見据えながら敵意を漲らせ、彼らの指揮官と思われる紫の髪とルビーのような赤い瞳を持った女性騎士は、僕に向かって毅然とそう言い放った。

 彼女が言った魔種ヴォルフベットとは何なのか分からなかったが、その口調は明らかに僕を敵と認識している。今の血塗れの僕の姿を見られてしまっては、疑いを払拭するのは難しいと思えた。

 もし、戦いになったとして……。恐らくもう一度、殺戮衝動に身を任せれば、彼女達に勝つことは簡単に出来るだろう。

 だが、彼女達はどう見ても人間であり、さっきの化け物達のように殺してしまうのは、殺人は重罪だと言う僕の日本国民としての良識が躊躇させた。


「その無言、認めたと判断する。皆の者、この女は魔種ヴォルフベットだ! それも魔人クラスのなっ! 総員戦闘準備をしろっ!」


 女性騎士の号令と共に、騎士達は一斉に腰に差した鞘から剣を抜き放つ。

 避けられそうにない戦いに、僕は逃げを打つことも考えた。

 しかしすでに四方を囲まれており、それも難しいことを悟る。


「……まったく、今日は理解を超えた災難ばっかりだ。けど、僕だってこんな訳の分からない所で殺されてやるつもりは毛頭ないけどなっ!」


 ついに戦うことを腹に決めた僕だったが、藁にも縋る思いで腰に差したミコト愛用の刀剣である村正を抜いて手に取った。

 だが、今も彼女達を殺すことに躊躇があるのは確かで、やはりギリギリまで殺人を犯すことにだけは抗ってやろう。と、僕は心の中で、そう呟いていた。

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