警備日報

三上一二三

日報の公開について

 昨年末、○○関東ビルで起きた事件。その真相について多くの方に知っていただきたく、当事者であるS隊員の警備日報を公開します。警備業務日報の公開が契約違反、個人情報保護法違反なのは承知の上です。


 S隊員は温厚で人当たりもよく、同僚はもちろんのこと、お客様からも慕われる人物でした。年下の私にも礼儀正しく、思慮深い態度で接してくれました。私が急な体調不良で欠勤しても、文句ひとつ言わずに勤務交代してくれました。貸与したカードキーを投げ渡すようなお客様でも、笑顔で接客できる人でした。


 一週間前、巡回中、S隊員をビル敷地内で目撃しました。事件後すぐに依願退職させられたS隊員は『不審者』です。けれども、私は懐かしさのあまり警戒するのを忘れ、一緒に働いていた頃に戻ってしまい、彼に駆け寄ると質問攻めにしていました。心身ともに健康なのか、今は何をして暮らしているのか。当時、彼が何に怯え、何に惹き付けられていたのか。


 S隊員はくぐもった声で意味不明なことを話すだけでした。唯一「妻に会いたい」だけ聞き取れました。S隊員は私のことなど気にも留めず、ふらついた足取りで南方面へ退去しました。二人のやり取りは監視カメラの死角だったので、映像記録は残りませんでした。報告書に「不審者一名 S」と書く気にはなれませんでした。


 思わぬ再会により、私はS隊員の警備日報を思い出しました。当時、隊員全員がうす気味悪いと冷笑していた彼の日報。それが今では、怪現象を解決するための糸口かもしれない。私は警備室を隈なく探しました。警備日報は七年間保存する規定なのに、彼の痕跡は紙切れ一枚残っていません。私はまさかと思いつつ、ゴミ置き場へ向かいました。ゴミの山から日報を探し出そうなどと、まともな精神状態ならしなかったでしょう。連日の睡眠不足により疲労困憊し、やけっぱちな気分で、すえた臭いのゴミ山を一時間以上掘り返しました。そして見つけたのです。希望は、ゴミ山の奥底で、踏みつぶされた虫のような姿に成り果てながらも、私を待っていてくれました。


 今さら、S隊員の悲劇がビルに巣食う何かのせいだ、と言ったところで誰も納得しないでしょう。日報の公開は、彼の汚名返上を果たすどころか、辱めるだけかもしれません。S隊員を利用しているだけであることも承知しています。それでも公開に踏み切るのは、この巨大なメディアを利用して情報を集めたいからです。大勢の読者の中に、怪現象を止める方法をご存じの方がいてくだされば、と願うばかりです。


 現在、私だけが、ビルに巣食う連中の気配を感じています。私の身の回りにだけ、説明のつかない現象が起きています。お願いします、助けてください。連中は、私の計画に勘付いています。この文章を書いている目の前で、ドアノブがゆっくりと回り続けています。奴らが警備室になだれ込むのも、時間の問題です。

 

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