ノマと終末
あるくくるま
第1話 オノマトペのノマ
「ゆらゆら」
「おい、危ないぞ。降りろ」
一度さすったならば、手の平に夥しい錆が付着するであろう鉄骨の上を、ノマは両手を大きく広げて歩く。
「てくてく」
「はあ、まったく」
地図によると、次のキャンプまでは残り数キロだ。
だからと言って無警戒に歩くにはこの世界はあまりにも優しくない。
「そろそろ本当に降りろ。落ちても知らないぞ」
「ぐらぐらぐらぐ……」
――その瞬間、彼女は大きく右にバランスを崩した。
「おい、ばかっ」
地面ギリギリのところでノマの服の襟をキャッチした。
「ひやひや」
「お前、だから言っただろう、落ちるから降りろって」
「へこへこ」
一応反省はしているようで、肩の長さまである金髪を縦に揺らして謝っていた。
「次から気をつけろ」
彼女、ノマとは半年前、崩壊寸前のキャンプで出会った。
年齢を聞いたことはないが、十代の半ばといったところだろう。
俺とノマは家族や兄妹、ましてや恋人なんかではない。
ではなぜ一緒に旅をしているのか。
ノマの両親は、ノマの目の前で殺されたのだ。俺の手によって。
紛れもない真実だ。
しかし、ここまで端的に表現したら、俺とノマの旅路について疑問を持たぬものはいないだろう。もう少し分かりやすく言うならば、ノマにとって俺は、両親の仇であると同時に命の恩人でもあるのだ。
ノマの両親は盗賊の一味で、ノマはそこで両親からほぼ奴隷のような扱いを受けていた。
俺にとっては旅の途中に降りかかった火の粉を払ったに過ぎないが、彼女の目には自分を閉じ込める鉄の檻を壊した救世主に映ったようだ。
何歩歩こうがノマは後ろから「とてとて」と付いてきた。
そして気が付いたら「てくてく」と横に並んで歩いていた。
始めの内は拒絶していたが、ノマの頑固さに俺の方が次第に折れていった。
そして、俺たちは今、キャンプからキャンプへと渡り鳥のような生活をしている。
「次の町まであと少しだ。休憩なしで行けるか?」
「こくこく」
彼女は首を縦に振る。渋々ながらも彼女の同伴を許しているのは体力が人並み以上に備わっており、旅の行程に支障が出ないという理由もある。
それ以外は問題だらけだが。
「ノマ、だから高いところに上るなって」
ノマは懲りずに、瓦礫の山を進行方向に沿って登り始めた。
「きょろきょろ」
「ん?」
ノマが何かに気が付いたようで、瓦礫から降りて俺の後ろに身を潜める。
そして、数秒遅れて俺も気が付いた。
「あと少しでキャンプなのに、面倒だな」
視認できるぎりぎりの距離から、どんどんとこちらの方へ近づいてくる。
表情はにやにやと崩れているものの、右手に握られている柄の近くの刃が錆びたナイフが、この男が友好的な人間ではないことを俺たちに知らせる。
「へっ、ご両人。随分吞気に楽しそうにしてるじゃあねえか」
このご時世、女連れで旅なんてしていたら誰だってそう思うだろう。俺もそう思う。
「ぎろぎろ」
「そんな怖い目で見るんじゃねえよ、嬢ちゃん。俺と楽しくやろうや」
まあ、大方そんな狙いだろうとは思った。
食糧、女。この二つにはよくハイエナが群がる。
「こんな奴と遊んでなんかいないでよお……」
――男は加速し、俺に切りかかる。
不意打ちにもならない凡庸な刺突を、俺は男の手首を掴み回避する。
俺の右手を振り払おうとするのより先に、俺は男の手首をひねり上げる。
そして奪い取ったナイフをそのまま男の腹部へとお返しする。
「が、あがああああ、ああああ」
男の悲痛な叫びが叩かれた鉄のように、鈍く灰色の空に響いた。
「ぐ、あひい、くそ、ううう」
男はその場にうずくまる。
「た、たすけてくれ、しんじまう、う」
「ノマ、行くぞ」
ポケットに入っている布で手に着いた血を拭う。
こんなことよくあることだが、ノマとの二人旅になってから余計に増えた。
「ひい、待ってくれ、しにたくねえ、え」
よくもまあ殺そうとした相手にこんなことが言えるな、と辟易としていたが構わず先に進むことにする。惨めすぎて憎悪すら湧かなかった。
「お、おい、嬢ちゃん。見てねえでたすけてくれや」
「てくてく」
「おい、やめろ!ノマ」
ここからが毎度お馴染みのノマの最大の悪癖だ。
男に近付くとノマは腹部のナイフに手を掛ける。
「ほっとけよ、ノマ。そいつはもう動けねえ」
ノマは腹部に刺さっているナイフを引き抜く。
「ひぃ、そ、そうだ。そのまま、し、止血してくれ」
「はあ、ったく……」
この旅を通して何度見た光景だろうか。
男はもう戦闘の意思を持たないのだから放っておけばいいものを。
――ノマは引き抜いたナイフを、今度は喉元に突き立てた。
「かっ、あ、あ……」
そう、これがノマの悪い癖だ。
「ふきふき」
ノマは頬に着いた返り血を袖で拭った。
「だから、わざわざそんなことしなくていいって」
「ぷいぷい」
彼女は肩の長さまである金髪を横に振り乱す。
彼女には彼女の信念があるのだろうが、それを理解することができる日が果たして来るのだろうか。
俺たちは次のキャンプへと再び歩を進めた。
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