スーパーのレジ係をしていたら中学時代に好きだった人が来た話

いお

第1話 再会

「233円のお返しです。……ありがとうございました」

 これまでに何度口にしたかもわからないセリフを繰り返すレジ係。

 何度聞いたかもわからないセリフには興味もなく無言で立ち去る買い物客。

 そしてそんな意味のないやり取りにもすっかり疑問を抱かなくなってしまったレジ係。それが私。


 大学を卒業し、就職した会社はすぐに辞めた。

 辞めた理由は特になく、なにかが嫌だったというわけもない。強いて言えば、なにも好きではなかったからだ。

 それから両親の元でだらだらと過ごしながらもうすぐ5年になる。いや、生まれた時からずっと実家暮らしなのだから27年か。

「合計で3,128円です。……5,150円お預かりします。……22円のお返しです。……ありがとうございました」

 自動レジは素晴らしい。考え事をしていてもお釣りを間違うことがない。

 仕事を辞めてからはバイトを転々とし、今はこうしてスーパーのレジ係。

 いつの間にか『子育て中のパートさん』だと思われても仕方がない職と年齢になってしまった。でも残念ながら独身です。もちろん子供なんていやしない。


「これくだしゃい!」

「お願いします」

 カウンターの下からわずかに顔を出す幼児の可愛らしい声に続いて、その上からは男性の声。

 普段はお 客さんの顔なんて意識して見ないようにしているのに、この時はどこか聞き覚えのある声に思わず顔を上げた。

 知っている顔だった。中学時代の同級生。ありきたりだけど、好きだった人。

 私はこの人に何度もフラれていた。何度も振られたということは、何度も告白したということだ。中学校の3年間でなんと9戦0勝9敗0分。これで最後だと10戦目を挑もうとした卒業式ではすぐに帰られてしまったのでノーゲーム。いや、不戦敗か。

 ともかく、相手からしたら私はストーカーみたいな人物だっただろう。


 しかし心臓が高鳴るとはこのことか。嬉しさからくるものだろうか、それとも恥ずかしさだろうか。

「はい、お預かりしますねー」

 すっかり忘れてしまっていた出所不明の感情を出来るだけ隠すように努めながら、子供の方に笑顔を向ける。

 商品についたバーコードをスキャンしながら、チラチラと相手の顔を窺う。

 人のことをどうこう言える立場ではないけれど、決してイケメンというわけではない顔立ち。背は高い方だけど、細身で色白、か弱そうな印象は変わらない。

 モテることはなくとも、モテないこともないだろう。現に中学時代は何人かの子と付き合っていたみたいだった。私のことはずっと振っていたのに。

 でも私は、私の描く下手な漫画を面白いといってくれるこの人が好きだった。

 冷静に考えれば振っても振っても告白してくるだけで十分異常なのに、その上で自己満足な漫画を読ませて続けてくる女ってとんでもないな。私の話だけど。


「合計で2,700円です」

「これでお願いします」

「カードお預かりします。……ではこちらカードとお控えです。……ありがとうございました」

 お釣りを渡す時に手が触れるというイベントすら発生しなかった。クレジットカード越しにその体温を感じることは出来ない。今の私にはそんな権利すらないのだ。あの時だってなかったのだけど。

「ありがとう」

 私のことには気が付いただろうか。それとも他の客と同じように、ただ機械的な会計係として意識にも残らなかっただろうか。

 中学時代に狂ったように告白してきた女だ。黒歴史として記憶から抹消されていてもおかしくない。むしろトラウマだろう。いや、だったら逆に覚えているのか? でも絶対に良い印象ではないんだろうな。

 ただ、忘れらているのだとしたら、贅沢だけどそれは寂しい。


 サッカー台で商品を袋に詰める後ろ姿。その横に立つ可愛らしい娘さんは3歳くらいだろうか。保育園からのお迎えの帰りなのか、制服らしきものを羽織っている。

 って、ダメダメ。いくらお客さんが途切れたからって見過ぎでしょ。いや、でもせっかくの機会なんだしもう少しくらい――。

「ねぇ、すずさん。この袋もう1枚もらえる?」

 懐かしい呼ばれ方。中学時代の、私の呼び名。

 一瞬、状況が理解できなかった。ようやく頭が動き始めた時にはあの人がこちらを見ながら近付いて来る。

「は、はいっ。どうぞ真野くん」

 一番小さいのでいいんだけど、の言葉だけを頼りに棚から小さなビニール袋を引っ張り出した。

 微かな笑顔を見せながらありがと、と言って少しだけ、本当に少しだけ触れた手はすぐに私から遠ざかっていく。

 商品を詰め終わり、後から渡した小さな袋にはお菓子を1つだけ入れて子供に持たせていた。自動ドアを通り過ぎ、小さくなる後を姿を見ていたら、いつの間にかカウンターの前には次のお客さんが立っていた。慌てて謝り、会計を始める。

 商品をスキャンしながら、ビニール袋は1枚5円で販売しなければいけなかったことを思い出していた。

 でも、ま、いっか。それくらいは私が出しておいてあげよう。その分、来月のシフトを増やせばいいだけなんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る