日本潜入記

新座遊

それがルール

何年か前、日本が消えた。

消える直前、各国の日本大使館から、以下のメッセージが流れた。

「日本は鎖国します。いままでお世話になりました」

そのメッセージを告げた後、大使館の日本人は全員帰国し、戻ってくることはなかった。

世界各地に住む日本人は、その時点で日本国籍を失った。

また、日本に存在する各国の大使館員は、捕らわれの身となった。

在日米軍は、そのメッセージを事前に聞いていたのかあるいは別の理由だったのか、何年もかけて徐々に日本の拠点から撤退しており、日本が鎖国した時、僅かな連絡将校を残すのみとなっていた。

これは米国による陰謀ではないか、などと騒がれたものの、米国にその事態を引き起こすだけのメリットは見出せず、もちろん日本にそのメリットがあるとも思えず、各国は混乱した。


日本が突然消えたせいで、世界経済は大混乱に陥った。

サプライチェーンの重要な部分を担う日本が消えたのである。日本に依存していた国々は大恐慌に陥った。


「とにかく、日本に何があったのかを、探ってきてほしい」

米国のスパイマスターが俺に言った。

俺は国籍を失った日本人である。

米国領のとある島でバカンスと洒落こんでいたら、いきなり国籍を失ったのだ。すぐに米国の諜報員に採用され、このような依頼を受けたというわけだ。

「しかし、日本は物理的に消滅したんですよね?どうやって消えたか知らんけど、空から見ても海から探しても、日本列島が見つからなかったというじゃないですか。どうやって探ればいいんです」

「物理的に消えるなんてあり得ないだろう。単に、あらゆる感覚器官で捉えることが出来なくなっただけと思われる」

「それを物理的に消えるっていうんじゃないの」

「どうも人類の感覚器官に何らかの制限が加えられているようなのだ。日本列島を見ることが出来ない、という制約が」

「そこにあるけど、見えない、見てはいけない、そういうルールが脳みそに埋め込まれている、ということですか」

「そうとしか思えない。だからこそ、どんな情報でもいいから探ってきてほしいのだ。日本伝統のスパイ衣装を用意したから、それを着ていけ」

「言うのは簡単ですけどねえ、見えないものを探るのは、無理なんじゃないかと」

「唯一の救いがある。これはまだどこの国にも知られていないのだが」スパイマスターが声を潜めて口にする。「長崎の出島の部分だけは、認識可能なのだ。そこまでは俺も一緒に行くよ」


かくして、俺は、出島に出向くことになった。国籍を失ったとは言え、日本人であることに変わりはない。帰国申請すれば入れてくれるんじゃないか。


「ようこそ日本へ」という垂れ幕が出島の船着き場に掲げられていた。そういえば鎖国する前、出島を再整備するとかいうニュースを見た覚えがある。こういうことだったのか。

俺を出迎えるように、役人と思われる男が、にこやかに待っていた。

「さすがは米国ですな。ここを見つけることができるとは」と男は俺とともにやってきたスパイマスターに向かって言った。俺を無視する気か。

「米国は同盟国として、貴国の現状を把握する必要がありますのでね」

「いやあ、あいにく、鎖国とともに同盟関係も破棄してますよ。まあ友好国としての待遇はするつもりです」役人はにやりと笑う。「日本に悪影響がないことが分かれば、ね」


出島は、明らかに江戸時代を模した雰囲気で作られており、日本の世界に対する意思がどこにあるのかを想起させるものだった。本気で鎖国をするつもりらしい。

「出島があるということは、最低限度の情報交流や貿易はするつもりなんですね」と俺が聞くが、役人は俺の存在に気づかないような振る舞いで、スパイマスターを税関に案内する。スパイマスターも俺の存在に気づかないような振る舞いでその後についていく。どうしたことか。

俺を無視しているのではなく、存在に気づいていないのだ、という体である。まるで世界からは日本の存在が見えないように、彼には俺が見えないということか。


よく見ると、税関で働いている人々には2種類の制服があるようで、一つはこの役人の着る普通の制服であり、もうひとつは黒い装束で、顔も隠した変な連中である。

俺が質問しても答えを期待できないので、スパイマスターに黒装束について質問してもらう。

「あの黒装束の人たちについて、聞いてもらえますか」

しかし彼は不思議そうに周りを見回す。「ん?誰か何か言ったか」

俺は訳が分からなくなり、その場を離れて、黒装束の一人に近づいた。

「つかぬことを伺いますが、あなた方、黒装束はなにをしてるんです」

黒装束の奴は、俺を見て、小さな声で答えた。

「この服装をしているときは、存在しないというルールなんだよ。迂闊に話しかけるなよ」


あっと、気づいた。出島に来てからの違和感の訳がようやく分かった。

俺は忍者の恰好をしていた。だから、ここでは見えないというルールに縛られたのだった。




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