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@tabunaamehuru
第1話 誰も君を見ていない
「……あの、すみません。なんですか?」
図書室の静かな雰囲気と、絶え間なく降り注ぐ視線に耐え切れなくなって、僕は目の前の彼女に声をかける。
「あ!ごめ。ごめんね。君、何読んでるのかなあって思ってさ。それ、面白い?」
先程からじっとこちらを見ていた彼女は、僕が今まさに持っていた本を指差した。柔らかな笑みを浮かべる彼女の整った顔に、思わず僕はどきっとしてしまった。
「ええと、ミステリーですねコレは」
そう言うと、彼女は身を乗り出して、本の中身をじっと見た。その拍子に、耳にかけていたセミロングの髪がさらりと肩に落ちた。
「へー、好きなの?」
「えと。まあ……」
「ふうん。いいね。読書の邪魔してごめんね」
「あ、いいえ……」
びっしりと埋められた活字の連なりを見て満足したのか、彼女はすっと元の位置に座った。年季の入った図書室の椅子が、ぎしりと音を立てた。
「ごめんね。私今暇なんだ。ちょっとでいいからお喋りしない?相手になってよ」
「あ、いいですけど……」
僕は、本に栞を挟んで閉じた。この時改めて、きちんと目の前の彼女と向き合った。として名を馳せる吉田藍と。
吉田藍は、所謂「クラスのマドンナ」的な存在だった。いや、学校中で彼女に想いを馳せてる人間を僕は十数人知っているから、「学校のマドンナ」とも言えるのかもしれない。
学校だけでそのアレは留まることを知らず、有名な雑誌のスカウトマンからモデルをやってみないかと声をかけられたこともあるとの噂もあった。
そんな彼女が、なんでこんな寂れたとこにいるんだ?そしてきっとなんの接点もない僕とお喋りを?
「帰りたくても帰れなくてさ」
吉田さんは唇を尖らせて、指で髪の毛をくるくると動かした。なんてことない仕草でも、ドラマのワンシーンを間近で見ている気分になった。
「……と言うと?」
「待ち合わせですよ、待ち合わせ。終わるまで待っててくれとかさっ、理不尽すぎるよねー!」
突然ボリュームを上げた嘆きに、僕は思わず肩をびくりと揺らした。
よほど不快に思ったのか、背後から図書委員の態とらしい咳払いが聞こえる。それに慌てて吉田さんも「ごめん。ごめんね」と僕越しに謝った。
「誰と待ち合わせなんですか?」
「ん?君と」
「え」
ぱっと目があったその瞬間、吉田さんはにーっと子供みたいに白い歯を見せるように笑ってみせた。悪戯が成功したみたいに、ちょっと意地悪な顔で。
「一緒に帰りたくて、嘘ついちゃった」
「ええっ?!」
動揺している頭で考えても、その発言には嬉しさよりも、怪しさがまさった。きっとこれは、何かのドッキリだろう。
わたわたと周りを見渡しても、図書委員の鋭い睨みだけが視界に入る。
カメラはないし、掃除用のロッカーに誰かが隠れている気配も無かった。「はいドッキリでーす!ダッセーなお前!」とでも言われてもいいように、心の準備だけはした。
ドッキリだ、僕みたいな日陰人間にそんな興味を持つわけないんだ……。
「んふふ。うそうそ。ごめんね」
吉田さんは、両手で頬杖をついた。ブレザーから覗くキャメル色のセーターが指の半分を覆っていた。萌え袖だった。
「ですよね。付き合ってますもんね、吉田さん」
僕は当然のことのように納得した。そしてドッキリへの懸念は募るばかりだった。
「……付き合ってる?誰と私が?それ、誰から聞いてるの?」
先ほどまでの空気が一気に凍りついた気がした。
眉根を寄せて、吉田さんはこちらに詰問をする。
「え、サッカー部の副部長の先輩と付き合ってるって聞きましたけど」
というか、この類の噂はめちゃくちゃ聞く。吉田藍は他校の芸能活動をやってるやつと付き合ってるとか、実は化学の先生と付き合ってるとか、果てには女が好きで男は興味ないなどという話も聞いた。一番よく聞くのがサッカー部の副部長だったが。
とにかく謎が多い人なんだというよりは、美人は色々囃し立てられて大変だなあと他人事なことを僕は思っていた。
「アハハ!そんなわけないじゃーん!サッカー部?誰そいつ!今日イチ面白いわ。はー、なるほどね」
さっきまで険しかった吉田さんの顔がぱっと明るくなった。
「違うんですか?」
「まあ面白いからそのままでいいんじゃないの。勝手にそうしとけば。そう言っておけば、いろんな人納得するんでしょ?」
「いいんですか。めっちゃ噂になってますけど。大丈夫ですか」
外からは、運動部のジョギングの掛け声が聞こえていた。雄々しい声の群れが、僕たちのどことなく真剣な会話に割り入る。
「どうでもいいよ。そんな名前も知らない人のことなんて。関係ないもの」
吉田さんは、当たり前のことのようにそう言った。彼女は、名前の知らない人間でおそらく自分に興味を抱く男を、好きでも嫌いでもない無関心と捉えていた。
副部長とやらと同じように名前も知らない僕のことは、きっと「暇を潰せるための、どーでもいい存在」なのだろうなと思うと、すこし悲しくなった。
「君は?誰かと待ち合わせ?」
「あ。バスの時間が来るまでここに居ようかなって。僕今日ケータイ忘れちゃって、時計が見える場所に居たくて」
僕は机に置かれているデジタル時計に目をやった。壁に時計がないと苦情を受けた司書の先生が、急遽用意したものらしい。僕の家の目覚まし時計にどことなく似ていた。
「ふーん。って、この時計わりとがっつり遅れてるけど大丈夫なん?」
「え、嘘」
20分遅れているとなると、わりとまずい。あと数分というか数十秒でバスがこちらに来る。
ドッキリだとか、悲しいだとか言っている場合ではなかった。下手をすれば自宅まで1時間近くのハイキングを決行する羽目になる。
「まじまじ。ね。そうだよね?圭子。20分ぐらいおくれてるよねえ?」
僕を挟んだ向こうにいる図書委員に尋ねた。彼女はゆっくりと静かな声で「そうだね」と返事をした。なにかの書類を作成しながら。
「すみません。ありがとうございます!」
僕は急いで本をリュックの中に押しやって、それを担ぐ。
「――ね、また話しようよ。だいたい私放課後ここにいるからさ」
「え!えーと、ハイ。わかりました」
ばたばたと慌てて図書室を出ようとする最中、吉田さんの誘いに承諾した。頭の中でバスへの想いを馳せて。
「うんうん。また可愛い藍ちゃんの顔を拝みにおいで」
階段を下り、校門まで急ぐ中、僕は最後に聞いた彼女のその言葉を頭で反芻していた。
まあ、あんなに整った顔をしてるからそう自覚するのも当然か。ああいうことを、自分で言うのはすこし意外だったけれど。
僕はあまり嫌味に思うこともなく、明日の放課後の予定に何もないことを少し喜んでいた。
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