完璧な焼肉
南木
焼肉接待
「いやはや、焼肉を食べるのも久しぶりですな」
「はっはっは、左様ですな部長」
網目状の穴が開いている鉄板が付いた机の向かいで、厳格そうな男とやや恰幅のいい男がくつろいだ態度で語り合っている。だが、机のこっち側にいる俺と、俺の上司の課長は、一部の隙も見せまいと背筋をカチンコチンにしている。
うちの課長は愛想笑いを浮かべつつも、俺に向かって「絶対に失敗するなよ」とアイコンタクトを飛ばしてきた。
今日は……目の前の二人の男の会社「
この接待に成功するかどうかで、8億円の商談の行方が掛かっているんだ。一部の隙も見せられない!
そして、接待の内容は『焼肉接待』……!
新人社員の登竜門であり、社会人としての常識を問われるのだ!
「悪いですなぁ
「いえいえ! 留津商事様とは末永くお付き合いしていきたいと弊社も願っておりますれば、むしろこのような些細な気遣いしかできず、却って申し訳ありません! ま、ま、商談成立の前祝とお思いくだされば幸いでございます!」
いつも部署内で独裁者の如く横柄にふるまう課長も、この日は卑屈な愛想笑いを浮かべながらぺこぺこ頭を下げる。
そして俺も、課長に合わせて相手に深々と頭を下げる。今度は俺があいさつする番だ。
「この度は、お忙しい中弊社に商談をいただき、まことにありがたく存じます! わたくしめはまだまだ若輩者ですが、お二方に少しでも日ごろのお疲れを癒していただきたく存じます!」
「なるほど、将来有望そうな新人ではないか」
「左様ですな部長。今後が楽しみですな」
正直なところ、相手の二人は「接待を受けるのが仕事」の地位の人間だから忙しくもなければ疲れてもいないはずだ。だが、商談のカギを握っている以上、必死に持ち上げなければ。
「失礼いたします。お飲み物をお持ちしました」
個室の扉が開かれ、ビール瓶4本とグラスが運ばれてきた。
焼肉は何がなくともビールからだ。それ以外の酒は日本酒とハイボール以外はNG。ましてや酒以外は言語道断だ。最近の新人はそれすらも分からない奴が多すぎる。もちろん、酒が飲めなければ出世不可能なのは言うまでもないだろう。
俺は留津商事の部長と課長、そしてうちの課長の順に完璧に美しくビールを注ぎ、最後に遠慮がちに自分のグラスに注ぐ。
「えー、では、商談の成立と、御社の益々の発展をお祝いしまして、乾杯!」
『乾杯』
うちの課長の音頭で乾杯し、食事が始まった。
だからと言って油断してはいけない。いや、むしろここからが油断できない。
「お注ぎいたします」
「うむ」
留津商事の部長のグラスが半分以下になったところで、即座におかわりのビールを注ぐ。
相手のビールを注ぐタイミングを逃せば失礼に当たるが、半分で注いでいいのか、最後まで飲んだら注いだ方がいいのかは相手によって好き嫌いがある。部長は半分以下になったら、課長は飲み干したら……注ぐタイミングはあらかじめ調査済みだ。俺にスキはない。
「失礼いたします。こちら、自家製キムチでございます」
店員が4人分のキムチを運んできた。それを他の3人に配るのも俺の役目だが、この時注意しなきゃならないのはキムチの「量」だ。
こういう接待では一つだけ少ないのがあるが、それは俺の分になる。これは、相手から「新人のくせに自分より量の多い皿をとるとは!」と難癖をつけられないようにするため、あえてわかりやすく少なくしている。
そして、上司たちが商談の詳細の話をしつつ、キムチをつまみながらビールを飲んでいると、いよいよ肉がやってくる。
「失礼いたします。上タン塩と、特上タン塩です」
「いやはや、これはいい肉だな」
「左様ですな部長」
「気に入っていただけたようでなによりですハイ!」
二種類のタンが運ばれてくると、留津商事の二人が目の色を輝かせ、うちの課長がさも自分の手柄の如く愛想を振りまく。分かっていたとはいえ、手柄を横取りされるのは面白くないが、いつか見返してやればいいだけのことだ。
この無能な課長よりも、俺の方が上手く焼肉を扱えるところを見せつけてやるっ!
「では、焼かせていただきます」
俺は恭しく一礼すると、まずはタン塩から焼き始める。皿に6枚ある肉を人数分――4枚を熱した鉄板に乗せる。
ひっくり返すタイミングは一度だけだとか、鉄板のよく焼ける部分とそうでないところを見極めるだとか、そう言った初歩のことはここで言うまでもない。俺たち一部上場のエリートは、それよりさらに上の気遣いを忘れてはいけない。
「うむ、いい色に焼けておるな」
「おお、そういえばタンは部長は大好物でしたな」
来た――――! やはり事前の調査通りだ!
留津商事の課長が、わざとらしく「大好物」を強調すると、うちの課長の目線が「わかってるよな」と言いたげに俺の方を向く。ふん、言われなくったって初めからそのつもりだ。
俺は、4枚のうち俺のものになるはずだった肉を、さりげなく俺の前から遠ざける。
やがて肉がいい具合に焼けると、留津商事の部長から順番に、取箸で鉄板からとっていく。
「旨いっ! この歯ごたえと、塩の絶妙さ! 素晴らしと思わんかね?」
「その通りですなぁ部長!」
俺以外の3人が上タン塩に舌鼓を打つ。だが、俺は自分の分には手を付けない。
「恐れ入ります。今日はお近づきのしるしに、この上タン塩も召し上がってくださいませ」
「いやいや、それはいけない。今日は交流を深めるのだから、君も食べなさい」
「いえ、わたくしよりも部長に」
「よいよい。そこまで気を使わなくとも、君の誠意は十分に伝わっておるよ」
「いえいえ、わたくしのほうからのお願いですので」
「そうかそうか、そこまで言うのなら仕方ないな」
こうして、俺は自分が食べる分を相手の部長に献上した。
接待相手の大好物があれば、自分の分を差し出すのは常識だ。断られても、3度勧めるのも作法の一つだ。
今回はまだ「相手からの合図」があったからわかりやすいが「合図」がない場合もある。もちろん、それをくみ取れなければ社会人失格で、最悪商談が消える。
あらかじめ相手の好みは調査しておかなければならない。
6枚あるうちの上タン塩のうち、4枚は相手の分であることは明白なので、残り2枚を相手の為に焼く。
もちろんその間にビール残量を気にしつつ注ぐのを忘れない。特に、相手の課長は4分の1程度が目安という面倒な嗜好があるせいで、気が抜けない。
さて次に特上タン塩を焼く。
これは4人前で4枚皿に乗っているが、当然そのうち2枚は、タン塩が大好物の相手の部長の分だ。
俺は1度相手に譲ったが、2回目以降は譲るやり取りなしに部長が2枚目を勝手にとっていく。俺は当然手を付けない。
「うむうむ、上タン塩とはまた違ったうまさがあるな。素晴らしい、上品な味だ」
「その通りですなぁ部長!」
タン塩がすべてなくなったら、一旦店員さんに頼んで鉄板を交換してもらう。
交換し終わってすぐ、次の肉が来る。
「お待たせいたしました。カイノミとハラミでございます」
おっと、二つ同時に肉が来た。こういう場合は順番に従って、脂身の少ないハラミから焼くことになる。
けれども、この店のハラミはかなりいい部位を使っているから、4人前なのに肉が3切れしかない。この場合は当然、ハラミは俺以外の3人が食べることになる。
「このハラミ、なかなかいけますな!」
「うむ、さすがは厳選素材なだけはある」
……見ているだけで旨そうだが、ここで腹の虫を鳴かすほど俺は非常識じゃない。接待に来る前に、あらかじめおにぎりを腹に入れてきたから空腹にはならないはずだ。
ハラミが終わったら次はカイノミ。これはきちんと4切れある。
このカイノミは相手の課長の大好物だが、課長は「合図」を出さない厄介なパターンだ。
こういう時は、焼けても手をつけないでさりげなく放置しておく。そうすると……
「おや、なぜかカイノミがあまってますな。私の大好物なので、せっかくですから頂きましょう」
このように、自分でとっていってくれる。
焼肉の「通」は「合図」を出すのを浅ましいと言って憚らないが、かといって好物を取るわけにはいかない。無言の気遣いこそ、奥ゆかしい作法なのだ。
「失礼いたします。特上カルビです」
2度目の網交換を終えると、店員が最後に特上カルビが出てきた。
特上カルビは6切ある。カルビは相手のどちらも「大好物」ではないのでようやく俺も肉を食える――と思うのは大間違いだ。
「んっ、えっへん……」
うちの課長が唸るように咳をした。そう、カルビはうちの課長の「大好物」なのだ………
この場合まず4枚焼き、3人がそれぞれの肉を取ると、俺もいったん自分の肉を取箸でとって、まだ肉の置かれたことがない自分の皿に移す。そして、残り2枚の肉を焼き、相手二人の目線が鉄板に移ったころを見計らって、素早く自分の皿と課長の皿を交換。これで課長は「1回で相手よりも多く食べる」というタブーを犯すことなく、大好物を食べられるという寸法だ。
こうして、1時間に及ぶ焼肉接待は終わり、留津商事の二人は非常に上機嫌だ。
完璧に接待を務めあげることができた俺の評判も上々といったところだろう。
この後留津商事の二人とうちの課長はタクシーで繁華街に行く。恐らく高級クラブで二次接待があるのだろう。
走りゆくタクシーを、見えなくなるまでお辞儀をして見送ると…………俺はすぐにスマホを取り出し、会社の同僚に電話を掛けた。
「もしもしー、おう、残業終わった? あのさー、このあと焼肉食いに行かね? 食べ放題の」
さて、今夜はうさ晴らしに白飯で焼肉と洒落込むか。
完璧な焼肉 南木 @sanbousoutyou-ju88
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます