思い出の中の彼女
彼女との出会いは幼稚園年長クラスに上がった春。
普段は公務員で昼間はいない母親だが、町内会の役員をしていた年だったようで、その日も会合に行って、一時間ほどで家に帰ってきた。しかし、帰宅後すぐに康太を呼び出し、彼を連れて再び外に出た。何も理由を聞かされないままに連れ出された康太は、母親の気迫迫る様子に自分が何かしでかしたのかと思った。当時は今と違って、落ち着きがなく、よく周りに迷惑をかける子供だった。なので、今回も先生や同じクラスの友人たちの誰かに迷惑をかけ、その謝罪に行くのだと思っていた。
しかし、ある日本家屋に到着すると、主人らしき老女がにこやかな笑みを浮かべて、二人を招き入れた。老女の側には同年代の少女がおり、老女とは対照的に彼女は無表情だった。
母親と老女が別室で何かを話している間、少女と二人きりだったが、少女は一言も言葉を発せず、ただひたすら何かの本を読んでいた。
自宅に戻ると母親から明日以降、先ほどお邪魔した場所に毎日通うように、と言われた。そこに何があるのか分からなかったが、康太は素直に頷いた。
翌日、地元の幼稚園から帰ると、すぐに何も持たずに昨日言った日本家屋にお邪魔した。相変わらず老女の方はにこやかな笑みを浮かべて康太を招き入れてくれ、奥に案内してもらった。そこにはすでに四人の同年代の子たちが座って勉強しており、その中に昨日の少女がいるのかと思ってみていたら、その少女は一人の女の子の隣に座り、何かを伝えていた。よくよくそれを聞いていると、少女は女の子に今解いている問題を教えているようで、その解説は問題を見ていなくても、何を求めたいのか分かるような教え方だった。
康太も彼らと同じように問題を解き始めたが、途中で飽きてしまった。しばらくぼんやりしていると、老女から声がかかり、座って問題を解いていた子供たちが一斉に中庭へ出た。康太もそれに混ざって中庭に出て、彼らと一緒に遊び始めたが、ふと家の中を見ると、老女とともに少女が座っているのに気づいた。少しその女の子に興味を持ったが、非常に静かな彼女と接するのには勇気がいり、喋りかけることもできなかった。
何よりも、老女は社交的でどの子供たちともお喋りするのが好きで、康太ともしばしば他愛ないことを喋ったが、少女はずっと無口で、彼らの話を聞いているだけだった。康太はそんな彼女を初めて会った時から、苦手としていたのだ。
しばらく、彼はその日本家屋――『寺子屋』――に通い、老女と少女――――芳根楓先生と仁科優華――――に通うことになった。
通い出して数か月。夏のある日、彼女への認識を変える日がやってきた。
母親が仕事を定時で終えられなかったらしく、しばらく康太を預かってほしいと楓先生経由で連絡が入ったらしい。『寺子屋』の開校時間は午後四時半まで。ほかの子たちが帰ってから、一時間以上も母親が迎えに来るまで待たなければならず、当時、夢中になっていた塗り絵をして時間をつぶそうと思った。その場には優華もおり、彼女もまた、一人で本を読んでいた。
二人で静かに待っている間、楓先生がわざわざ、二人のためにお菓子を用意してくれた。先生は夕食の準備があるからと奥に入ったが、優華はその場に残り、本を読みながら菓子を食べていた。苦手としていた優華の側で、時間をつぶすことが苦痛で、塗り絵に集中できなかった康太だが、何の気の迷いか優華に話しかけてしまった。
少し硬さを含んだ声で優華が返答した時、彼女もまた、自分を苦手としていたことに気付いた。だが、彼女はすぐにその緊張を取り払ったかのような柔らかい声になり、康太も優華と淀みなく話せるようになった。しばらくの間、二人は互いにいろいろなことを話した。
彼女の父親はおらず、母親はどこかの先生だということもその時、知った。そのため、夕ご飯はかなり遅い時間に食べることが多いのだという。そういった他愛もない話をしていると、優華もだんだんと笑顔を見せるようになった。しばらくして『寺子屋』に母親が迎えに来て、康太は家に帰った。しかし、今日の二人の会話は康太にとって長く記憶されることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます