第10話 「えっ。」

「えっ。」


「おはようございます。」


「あ…お…おはよう…」


 失恋したに違いない。

 そう言われても仕方ないけど。

 どう言われてもいい気がした。



 夕べ、自分で髪の毛を切ってると。


「後ろはどうするつもりだったんだよ。」


 母さんに呼ばれたらしい華音が、あたしの後ろに立ってた。


 華音は器用だ。

 その器用さをあたしにくれれば良かったのに。って思うぐらい。



「深夜営業してる店あるぜ。行くか?」


「ううん。ここで切る。」


「…後ろ、ヤバい事になってるぜ?」


「え?」


「ほら。」


「……」


 鏡を見せられたあたしは。

 華音が知ってるという、美容院に連れて行ってもらって。


「どうせなら、同じ髪型にすっか。」


 って…

 何だか笑えるけど。

 華音とあたし。

 久しぶりに双子らしい気がした。



 あたし達の帰りを待ってた母さんは。

 同じ髪型のあたしと華音を見て、可愛い可愛いって連発して。

 ギュッて抱きしめてくれた。

 その騒ぎを聞きつけて、部屋から出てきた父さんは。


「……」


 あたしを見下ろすような感じで見てたけど。


「おまえは、もっと自信を持て。」


 そう言って、頭を撫でてくれた。



 今朝は、座ってるあたしを聖が華音と間違えて。

 みんなで大笑いした。


 …うん。

 あたし、もっと自信を持とう。



「…イメチェン、すごいね。」


 仕事をしてると、昨日の出来事を思い出させる嫌な声が降って来た。


「何かご用件が?」


 顔を上げて言うと、真島くんがいた。


 …口元に、痣。

 もう、どこから見ても『殴られました』だ。

 …しーくん、あたしが知った…って…知ったのかな。


「……」


「……」


 真島くんは何か言いたそうにしたけど、言葉は出て来なかった。

 あたしは再びパソコンの入力作業に戻る。

 真島くんは隣の椅子を引っ張って座ると。


「…昨日は、すみませんでした。」


 小さな声で言った。


「…別にいいです。」


「…本当に?」


「もう、あたしに関わらないで下されば。」


「……」


 何も言わないけど…

 すごく視線を感じる。

 それを無視して仕事を進めてたけど…

 さすがに…


「…人の席を勝手に触らない方がいいと思いますけど。」


 隣の席の荷物を勝手に移動してる真島くんに言うと。


「今日から、ここ、僕の席。」


「…え?」


「異動になりました。使えない派遣社員の真島です。よろしく。」


 真島くんは、静かに笑ってあたしに手を差し出した。

 あたしはその手を…



 握らなかった。


 * * *



「ねえねえ、桐生院さん。」


 お昼休み。

 休憩室で、お弁当を食べてると。

 同期の浜崎さんが、人気のベーカリーショップの袋を持ってやって来た。

 最近、近くに早くて安くて美味しいお店が出来て、休憩室は閑散としてる。



「はい?」


「イメチェン、どうしたの?」


「ああ………失恋したの。」


「えっ…」


 あまりにもあたしがあっさりと言ったせいか。


「もう!!冗談キツイわー。」


 浜崎さんは、笑いながらあたしの背中を叩いた。


「桐生院さんの隣に来た真島くんて、ちょっと良くない?」


「さあ。興味ないけど。」


「母性本能くすぐるタイプだわ~。」


「あたしはちっとも。」


「彼氏、どんなタイプなの?」


「……」


 ああ。

 うう。

 彼氏…

 彼氏は…



「藤田まことみたいな感じ。」


「えっ?」


 どこも似てないわよ。

 中村主水は永遠のヒーローだ。

 だけど…

 しーくんは…

 カッコいいけど、ろくでなしだ。

 あ、もう彼氏じゃないや…。



「でも、真島くん、7階から降りてくるなんてね~。」


「畑違いなのにね。」


「あ、彼、資格の数すごいらしいわよ。」


 まあ…二階堂で働いてるなら、資格の数も多いだろうな。

 あそこは随分と頭のいい人材ばかりらしいから。

 何でもできる人が揃ってるでしょう。

 …性格は、いいとは限らないけど。



「あっ、ここでお昼なんだ。一緒にいいですか?」


 ふいに後ろから声がして、もう…振り向かなくても真島くんだと分かった。


「あっ、どうぞどうぞ。」


 浜崎さんは嬉しそう。


 …席を立ちたいけど、負けた気がする。

 あたしは無言でお弁当を食べる事に集中した。


「ねえ、ここどうしたの?」


 浜崎さんが、自分の口元を指差して言う。


「あ~昨日、見た目も性格もいい男に殴られちゃいましてね。」


 …ムッ。


「何それ。友達?」


「兄弟みたいなもんです。」


「兄弟ゲンカね。」


「まあ、そんな感じですね。」


 …どうして、いちいち…

 ああ、ダメダメ。

 相手にしない。



「それにしても、すごいイメチェンですね。」


 真島くんが、あたしの顔を覗き込むようにして言った。


「ねー、あたしもびっくりしちゃった。」


 知らん顔知らん顔…


「女の子がイメチェンって、ちょっと色々想像しちゃいますよね。」


「それが、あっさり失恋したなんて冗談言うから、あたしも驚いたのよ~。」


「えっ、失恋?」


 何、そのリアクション。

 自分でそうさせたくせに。

 …あんたのご希望通りよ。



「でも、可愛い。」


「……」


「……」


「僕の好みかも。」


「あっ、でも桐生院さん、彼氏いるんだもんね。」


「へえ…いるんだ。」


「そう。藤田まことみたいな彼氏だって。」


「え…」


「……」


「……」


「それって…」


「……」


「……」


「誰ですか?」


 ガクッ


 笑うとこだったのに。

 今時の若い子は、中村主水を知らないのか。

 必殺シリーズ、最初から見て来い。


「そうよね~。あたしだって、おじいちゃんが好きじゃなかったら知らないもん。」


 …まあ、あたしもそうだけど…


「検索してみよ。」


 二人は早速、携帯で藤田まことを調べてる。

 …二人で盛り上がって下さい。


「じゃ、あたしはこれで。」


 食べ終わったお弁当箱を片付けて、あたしは席を立つ。

 浜崎さんは、ちょっと嬉しそうにあたしの手を取って。


「じゃ、またね。」


 の後に。


「ありがと。」


 と、小さく言った。



 …もう、男の人なんて…信用しない。

 仕事頑張って、うんと稼いで。

 庭の温室をもっと大きくして。

 あたしは、あたしなりの人生を全うすればいい。



 …もう、恋なんてしない。


 * * *


「……」


 仕事を終えて、帰ろうとすると…ビルの外に、しーくんが立ってるのが見えた。


 …どうしよう。


 最後に部屋で会ったのは…いつだっけ…

 メールも…返信が減って…きっと忙しいんだ。って、自分で納得させてた時に…


 キャメルで…アレだ。


 …本当なら、きちんと別れるって言うべきなんだろうけど。

 そもそも、捜査のためとか…本当は泉ちゃんが好きなのに…とか…

 それなら、あたしは自分で勝手に終わらせてもいいんだって思った。


 それに、真島くんから聞いてるんだよね?

 あたしが…キャメルにいたこと。

 だから、真島くんを殴ったんだよね…?


 …うん。

 もう、終わった事。


「……」


 小さく深呼吸して、あたしは歩き出す。


 視線を遠くに向けていればいい。

 彼の姿を視界に入れないように。


 ビルを出て、急ぎ足で左に曲がる。

 そこにしーくんが居るのは分かったけど、走り去る勢いであたしはその前を通過した。


「サッカ。」


 …だよね。


 しーくんはあたしの手を取って。


「話があるんだ。」


 真剣な声で言った。

 あたしは…顔を見る事もできない。


「頼む…聞いて欲しい…」


「…ごめん。もう、いいの。」


「…え?」


「あたし、薄々気付いてた。しーくん…あたしの事、好きじゃないよねって。」


「……」


「捜査のために仕方なく…そうしてたんだから…もう、それって終わっていいよね。」


「サッカ、違うんだ。」


「何が違うの?泉ちゃんを好きなんでしょ?」


 初めて、顔をあげて…しーくんを見た。

 しーくんはあたしの涙も浮かんでない目を見て。

 何か言いたそうにしながらも…何も言わなかった。


「…これ。」


 バッグから合鍵を取り出す。


「はい。」


「……」


 受け取ろうとしないしーくん。


「…これも。」


 ついでに、ネックレスも。


「……」


「もう、要らないから。」


「サッカ…」


「もう、会う事もないから。」


「……」


 しーくんの手は握りしめられてて。

 それを受け取ってくれる気はなさそうだった。

 あたしは、そばにあったゴミ箱にそれを捨てると、しーくんを振り返ることなく走り去った。



 …苦しい。

 西野さんと別れた時と、くらべものにならないぐらい。

 後から後から…どんどん、波が押し寄せるみたいに…辛さがやってくる。


 好きだよって…

 あの声が…


 だけど…

 やっぱりどこかで予感してたのかも。

 その証拠かどうか…あたしは一度も泣いてない。

 …実感がないだけなのかな。


 カッコ良くて、優しくて…

 非の打ちどころがない人が、あたしに本気になるなんて…ないよ。

 今更のように、そう繰り返す。


 …ああ…

 あたし…忘れられるかな…


 毎日真島くんが隣だなんて…

 どうしても、嫌な事思い出しちゃうよ。

 異動希望出してみようか…

 それとも、思い切って…


「…退職…」


 …いやいや、辞めて何するつもり?


「咲華。」


 声をかけられて振り向くと、華音が車から顔を覗かせてた。

 同じ髪型になって、ちょっと可愛く思える。



「何百面相してんだ?」


「…どこ行くの?」


「事務所。」


「スタジオ?」


「ああ。」


「…ついて行っていい?」


「あ?」


「ちょっと、まだ帰りたくなくて…」


「……」


 華音は少し黙った後、携帯を取り出して。


「あ、母さん?今外で咲華に会ってさ。うん。一緒に事務所行って、飯食って帰るわ。」


 どうやら、母さんに電話してる。

 そして、あたしに手招き。


「……」


 あたしは少しだけ笑いながら、助手席に乗り込む。


「ああ。ははっ、分かった。うん。じゃ。」


「…母さん、なんて?」


「父さんもスタジオ入ってるから、見に行ったらどうかって。一発で機嫌良くなるから。」


「…ふふ。そうね。」


「……」


 華音はあたしをじっと見て。


「ついでに、高原さんにもその髪型見せて来いよ。」


 笑いながら言った。


「え?なんで?」


「あの人、結構咲華贔屓だからなー。小遣いでもくれるかもだぜ。」


「小遣いって。」


 笑いながらシートベルトを締める。

 華音の車なんて、久しぶり。


「よし、出すぞ。」


「うん。」


 あたしは、流れる景色を見ながら。

 自分が小さくなって行く気がした。


 * * *


「か…」


 事務所に行って。

 いきなりビルの入り口で高原さんに会った。


「可愛い。」


 高原さんは、あたしの頭を抱きしめると。


「ピアス、よく千里が許したな。」


 華音に言った。


「許すも何も、そいつ勝手にあけて帰って来たし。」


 華音は笑いながらも…得意そう。


「ははっ、そりゃあ千里怒っただろ。」


「ええ…まあ…」


「ショートカットなんて初めて見るなあ…って、華音と同じ髪型か。ははっ。おまえらビューティーツインズだな。」


「ビューティーツインズって…」


 高原さんはおもむろにポケットから財布を出して…


「咲華、そこの店で気に入ったピアスを買いなさい。」


 真顔でそう言って、華音が肩を揺らして笑ってる。


「えっ…あ、いえ…そんな…」


「買って来いよ。」


「華音。」


「じゃあ、ついてってやるから。」


 華音はギターをインフォメーションに預けると。


「七時までに決めろよ?」


 あたしに言った。


「俺は出かけるから、写メしてくれ。」


「分かりました。」


「えっ、ちょ…っと、本気で?」


 華音が高原さんからお金を受け取ってる。


「年寄りはこういうのが楽しみなんだから。」


「おいっ、華音。」


「じゃ、行って来ます。」


 華音はあたしの腕を引いて、事務所の向かい側にあるジュエリーショップを目指した。



 …高原さんは、物心ついた時から、うちのクリスマスパーティーに参加してる人。

 父さん達が所属する事務所の会長で、世界的に有名なバンドのボーカリストでもあった。

 あたしはリアルタイムで見た事はないけど、映像で見た高原さんは、すごくハイトーンで…キラキラしててカッコ良かった。


 うちと高原さんの関係性は…

 …何となく、分かるような、分からないような。

 ハッキリ聞いちゃいけない気がして、あたしは聞けずにいるけど…


 華音は知ってるのかな。



「ねえ、華音。」


「あ?」


「…高原さんって…あたし達の…」


「じいさん。」


 華音はあっさり。


「…えっと…」


「何、おまえ知らなかった?」


「いや…何となくは…」


「母さんの本当の父親。うちはかっちょいいじいさんが三人もいて、お得感タップリだな。」


 そう言って、華音は笑う。


「…おばあちゃまと、高原さん…?」


「ああ。」


「華音はいつ知ったの?」


「最初は親戚のオッサンぐらいしか思ってなかったけど、笑った顔が母さんソックリなんだよなと思って。」


「……」


 それは、あたしも思ってた。


「おまけに、髪の毛の色とか。」


「…確かに…」


 おばあちゃまとおじいちゃまでは、母さんの髪の毛の色にはならない…はず。

 母さんの髪の毛は、赤毛に近い。

 ハーフの高原さんも、たぶん…地毛はそんな色なんだと思う。

 今は茶色だけど、昔はオレンジだったそうだ。


「中1のクリスマスの時に、ばーちゃんに聞いた。」


「お…おばあちゃまに聞いたの?」


「ああ。」


 意外な所に聞いたな…と思ったけど。

 華音は割とおばあちゃん子だ。


「うちは大家族で、波乱に満ちた事もあったみたいだけど、結果愛の溢れた家だと思うよ。」


 星が輝き始めた空を見上げて、華音が言った。


「…そうね。」


 愛の溢れた家。


 …本当だ。


 こう言っては…おかしいかもしれないけど。

 そういう関係性の高原さんを交えての、クリスマスパーティー。

 クリスマスは、母さんと華月と聖の誕生日。

 高原さんの存在を認めてる、おじいちゃまも…素敵だ。



「これ、似合うんじゃないか?」


「派手じゃない?」


「せっかくイメチェンしたんだから。」


「そっか…そうだよね。」


 ジュエリーショップで、華音とピアスを選んだ。

 あけたばかりだから、まだ化膿するのが怖くて18金をつけたままのあたし。

 店員さんからも、用心のために、もう数日は消毒して、自分のタイミングで付け替えられたらいいと思いますよと言われた。


 高原さんのお言葉に甘えて。

 あたしは、もらったお金でピアスを二つ買った。

 一つは、小さなダイアモンド。

 もう一つは…小さな赤い花。

 花の部分はルビーで、葉の部分ペリドットだと言われた。


 それから…あたしは華音のスタジオ練習を少し見学して。

 父さんのスタジオにも、お邪魔した。

 父さんは昨日の今日で、不機嫌そうな顔だったけど。

 あたしがにこやかに父さんの歌を聴いてると、いつの間にか笑顔になってた。


 帰りは三人で和食のお店に行って。

 高原さんが出資してくれて買ったピアスを見せると。


「俺だって買ってやる。」


 と、父さんはムキになった。



 …なんだ。

 あたし、ちゃんと自信持てるところ、ある。

 こんなにあたしを大切にしてくれる家族がいて。

 あたしに、魅力がないわけがない。


 …ちゃんと、背筋を伸ばそう。

 あの会社で、頑張ろう。

 真島くんがいたって、関係ない。


 …うん。



 あたし、頑張れる。

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