第八十六話 獄炎の魔王が降臨した日

 シャンガリア王国、それは大国と言う程でも無くしかし小国と言われる程でもない規模の国で、それでいて国政もしっかりとしてる国民にはそこそこの生活水準を維持できているけど日常会話で国政の不満を言い合う事の出来る……そんな絶妙なバランスを保つ実に無難な王国であった。

 前国王が急死するその日までは……。


 前国王亡き後国政を継いだのは第一王子であったカロルスであったのだが……彼は野心の塊であったのだ。

 彼は自分の国が『無難』と言われる事に耐えがたいコンプレックスを持っていて……即位したその日から、今まで隠していた己の野望を実行し始めたのだった。

 手始めに王国内部で『無難』な国政に携わる役職の人々を悉く罷免、自分の提案する国政に反抗しそうな者は全て廃し、周囲に自分に従う『好戦派』の連中ばかりを置く事から始めた。

 この時だけで相当数の王侯貴族が取り潰され、少なくない血が流れた。

 そして即位から一年もしない内に隣国であるアスラル王国へと開戦する暴挙へと至った。

 結果はシャンガリア王国の勝利……カルロスにとって初戦になった戦争の勝利に“一部”の連中だけは大いに彼の偉業を称えた。

 そしてカルロスはその勝利に酔いしれ、更に領地拡大をしようと継戦を画策する。


 しかし……野望しか見ていない彼は国政に目が向いていなかった。

 

 シャンガリアに対しては遥かに小国にあたるアスラル王国に対して宣戦布告も無しの完全なる奇襲戦法であったのに勝利の中身は辛勝……軽く5倍はあったハズの戦力は終戦時には3割以下までに落ち込んでいたのだ。

 経済的に軍事費だけで見れば圧倒的な敗戦と言っても過言ではない。

 さすがのイエスマンだった好戦派だった連中もその事態に焦り、カルロスへと意見申し立てをしたのだが、カルロスは呆れたようにこう言った。


「何を慌てておる我らは戦争に勝ったのだ。だから敗戦国の兵力は全て我が国のモノになるではないか……」


 この言葉に『なるほど』と安堵する連中もいる事に戦慄する事が出来た者は、まだマトモと言える方。

 よりによって国王が、まるで戦争を将棋か何かのように自分が取ったらそのまま味方として扱えるとでも思っている……実に頭の悪い事を言い出したのだから。

 そして国費のほとんどを軍備に回し始めた事で国内のインフラは急速に下降、数か月も待たずに国民のほとんどが明日の食糧さえ危うい状況になってしまったのだった。


 しかし自分たちが頭に置いてしまったカルロスの機嫌を損ねればどうなるのか……彼の手先として散々手を汚してきた者はそれ以上の事を言えずに口を噤んだ。 

 そもそも前国王の『無難』な政策に不満を持ち、第一王子をこのような性質に作り上げたのは自分たちだったのだ。

『無難』と言うのが国にとって最高の誉め言葉だったと理解しなかった連中は、国政と言うものから倫理観や感情などを極力取っ払い、更に支配欲を高める事を目的にして教育の数々……その結果、野心と残虐性のみが肥大した見事な愚王が誕生していたのだから。


 しかも勝利と言っても首都を落とせたのは良いが、一番肝心な王族は悉くアスラル国王率いる近衛大隊による命を賭した奮戦で多くの国民と共に逃亡に成功。

 国王が自ら命がけで民を守り抜いた偉大な英霊となって、更にその親族は捕らえる事すら出来ずに逃亡されたのだ。

 統治すべき領土に偉大な英霊を頭に置いた大量の反攻勢力が潜んだまま、継戦など出来るワケもない。


 しかし継戦出来ないなど意見をしたらその瞬間に粛清の憂き目にあってしまう。

 まさに自業自得な無限ループにハマった連中が頭を悩ませているその時、いつも不気味な笑みを浮かべる魔導士長ドワルゴンがこんな事を言い始めた。


「それでは違う場所から戦力を呼び出せば宜しいのではないですかな? 地下に封じられている神々の遺産……異界召喚魔法陣を使って……」


 自らの探求心の為であれば人体実験すら厭わないマッドサイエンティストである彼の言葉に反対する者は誰一人いなかった。

 この時点ですでに『絶対に使用してはならない禁忌の魔法である』と伝承されてきた王侯貴族は現国王の国政の下に全て粛清されてしまっていたのだから……。

                  

                *


 過ちと言うものは放っておくと積み重なり、気がついいた時には取返しの付かない状況になってしまうものだ。

 太古に失われた神々の遺産である異界召喚魔法の使用に、当初は愚王カルロスも自国の戦力増強になると興味津々に見ていた。

 しかし最初に行われた召喚魔法は高位の魔導士50人は動員してやっと発動出来たと言うのに……現れたのは何の力も持たない単なる少年でしか無かった。

 当初はその少年を『勇者』として歓待したカルロスだったのだが、その少年が只のワガママで虚栄心だけの無能である事を知ると、アッサリと彼を見限り国営の地下牢獄へと送った。



 そして、それからも幾度となく召喚の魔法は行われる事になったのだが……それから数々の異変が起こるようになった。

 まず初めに起こったのは国内外を問わずに神職に付く者たちへと齎された……太古に捨てられた世界を救い上げた救世神イーリスの『神託』。


『世界を破滅に導く異界召喚魔法は使用してはいけない。即刻封印するべし』


 この神託は当然魔術師長の耳にも入る事になったのだが……しかしどちらも耳を貸す事はなく、それどころか神託を報告する神職者たちを適当な罪状をでっち上げ更迭してしまったのだった。


「神ですら恐れる魔法であるなら、もしかすれば神をも超える何者かを召喚出来るかもしれないではないか!!」


 元々別の意味で国益など考えず、自分の知的好奇心を満たす事しか考えていなかったドワルゴンにとって女神の神託は火に油にしかなっていなかったのだ。




 そして次に起こった異変は異世界人……彼らの情報では『地球人』もしくは『日本人』と言われる者たちの召喚に成功はしても、数日もたたないうちにその者たちは姿を消してしまうようになったのだ。


 原因は召喚した異世界人が『黒衣の死神』によって連れ去られるという……何とも怪奇じみたものだった。

 最初の目撃証言では半信半疑であったのだが、何度も繰り返される異世界人の失踪に召喚後に防備を固めていた兵士たちはその姿を見たはずなのに……目に映す事が出来なかった。

 唯一見えた者は「恐ろしく早い赤い馬に跨った黒衣の死神が異世界人を掻っ攫っていったのだ」と語ったのだった。

 しかし恐れおののく兵士たちを尻目に、またしてもドワルゴンは笑いながら語る。


「あれは女神に遣わされた使徒なのかもしれない。そうまでして渡せない事情が神々にはあるのではないか!?」


 知的好奇心だけで行動する男は、自分の都合の良いようにしか状況を見ておらず……『神託』も『黒衣の死神』もこの期に及んでまだ自分たちを救おうとしてくれている神々の優しさだとは気付きもしなかった。



 そしてシャンガリア王国は最大の過ちを犯す事になった……。


 

                *



「よ~し、取り合えずは今回の召喚も成功したようだな……使える人材かは分からんが、中々見た目は良さそうではないか……」


 最近ではルーティンになりかけている異界召喚魔法の成功に魔術師長ドワルゴンは余り気合の入っていない風にそう言った。

 古代魔法文字で描かれた異界召喚魔法陣は解読されていない部分が多いのだが、何とか解読出来た『強い魔力』という部分以外を削り取る事で、当初50人の上級魔導士が必要だったのに、今では数人で発動できる程コスト出来ている。

 ゆえに知的好奇心の権化であるドワルゴンであっても少々の飽きが生れていたのだった。


「とりあえずは黒衣の死神の襲来に備えて防御陣形をとるのだ。いい加減一人でも確保できねば国王陛下に顔向け出来んぞ」

「「「「は!!」」」」


 ドワルゴンの言葉に魔法陣に現れた“一人の少女”を囲む兵士たちが最速で現れる『黒衣の死神』を警戒し少女の外側に向けて武器を構えた。

 そんな中、ほかの魔導士がドワルゴンに耳打ちする。


「魔術師長、召喚直後には3名の女性が確認されたのですが……今は一人しかいません。他の異世界人は一体どうしたのでしょう?」

「ふむ……魔法陣簡略化の影響だろうか? 力場が不安定になって他の者は違う場所に飛ばされてしまったようだな…………まあよいか……」


 ドワルゴンは些末な事とばかりに召喚した少女へと向き直ると、偉そうに、しかも威圧するかのような口調で声を張り上げる。


「我は栄えある王国シャンガリアの魔術師長ドワルゴンである! これより貴殿は我々の監視下に入ってもらう事になるが……宜しいか!!」


 魔術師長……一見するとひ弱な印象のある肩書とは思えぬ程の迫力がその声にはこもっていた。

 それはただの大声というワケではなく魔力こめた『威嚇』である。

 本来何も知らない日本人の少女であったなら、その怒号に恐れおののき腰を抜かしていたのかもしれない……事実以前行われた召喚で現れた異世界人はこぞって怯えたもので、召喚直後に反抗的であった者でも瞬時に大人しくなってしまうのだった。



 しかし……それはこの時に限っては最大の悪手であった。



 魔法陣の中央に現れた黒いドレスをまとった少女は……ドワルゴンの『威嚇』の震え一つ起こさず、顔を下げたままボソリと呟いた。


「…………もう少し……だったのに……」

 ブワリ…………

「? 何か言ったか…………む!?」

「もう覚悟は出来てたのに…………明日は二人で両家にご挨拶のつもりだったのに……」


 瞬間、魔術師長は今までの異世界人召喚では無かった現象を少女から感じ取る。

 自分たちには常識でも召喚した異世界人が最初から使用できないはずの力。

 すなわち『魔力』を……。

 その力は最初のうちは矮小と一笑に出来る大きさだったが……徐々に徐々に、まるで忘れていた事を“思い出す”かのように際限なく膨れ上がり始めた。


「!? ぜ、全魔導士を動員!! 即刻“魔法無効捕縛結界”《ディスペルバインド》を!!」


 慌てるドワルゴンの号令で取り囲んでいた兵士たちは内側へと剣先を向けた。

 更に周囲に展開していた全ての魔導士たちにより発動した“魔法無効捕縛結界”は光の檻となって少女を取り囲み、影から伸びた幾重もの黒い鎖がその全身を雁字搦めに縛り付けた。

 その様を見届けるとドワルゴンは冷や汗を拭い、今度は嬉しそうな顔を浮かべた。


「ほお~今日はいつもと違って使えそうな人材が現れたな。これ程の魔力を扱える者とは……しかも中々の美貌、これは是が非でも隷属の呪詛を用いて…………ぬ?」


 隷属の呪詛、言葉の通り生物を強制的に自分の隷属とする魂に刻む呪いの魔法。

 しかし目の前の少女を今後思い通りに出来ると妄想していた魔術師長だったが、自分の額から自然と再び冷や汗が流れている事に気が付いた。

 隷属の言葉を口にした自分に、少女の瞳が向いた……ただそれだけで。


「……隷属? 今貴方……私を隷属するって言ったのかしら?」

「な、なんだと?」

「私の人生最良の瞬間を邪魔しただけでは飽き足らず、更にあの人だけのものである私に、自分の物になれと……?」


 少女が発したそれだけの言葉……なのにその声を聞いただけで数名の兵士がぶっ倒れた。

 まるで心臓を鷲掴みにされたような激しい激情に当てられて……。

 顔を上げた少女の瞳は憤怒の業火に燃えていた……睨まれただけで魂から燃やし尽くされるような迫力で。

 しかしドワルゴンは冷や汗を拭うと未だに“魔法無効捕縛結界”のうちに囚われている少女に向かって蛮勇を発揮、声を張り上げた。

 それが“引き金”であるとは露とも思わずに……。


「ああ言ったがどうした!? その結界はすべての魔法を無効にし動きを封じる物。喩え上級の魔法を行使出来ても絶対に抜け出せぬ強固な魔法!! 貴様如きが抜け出せる道理は皆無!! 大人しく隷属を受け入れるのであれば…………」

「…………この程度で捕縛?」

「……なんだと?」

炎焔魔人イフリート…………」


 ボソッと少女が呟いた瞬間、捉えているハズの結界の外側に炎に彩られた巨大な魔人が虚空から姿を現した。


『オ、オオオオオオオオオオ!!』

「な、なん…………があ!?」


 その瞬間、周辺で警戒に当たっていた兵士も魔導士たちも全てが吹っ飛んだ。

 特に攻撃をされたワケでも無く、ただ“現れた”というだけで……。


「バカな!? 魔法無効捕縛結界の中にいながら……ヒイ!?」


 魔導士の一人が目の前の光景に悲鳴を上げた。

 その恐怖の対象は突如現れた魔人の方ではなく、一時的に捕縛結界で捕らえたと“思い込んだ”少女の方だった。

 人知を超える……そんな言葉しか浮かんでこない程の、けた違いの魔力の奔流に自然と体が硬直して震える。

 同時に思い知る、自分たちは一体何て者を呼び出してしまったのか……と。

 そのケタ違いの魔力を惜しみなく行使した少女は更なる炎の眷属の名を紡ぐ。


火吹蜥蜴サラマンダー


 現れる魔人に勝るとも劣らない巨大な紅い炎を纏った蜥蜴……。


鳳凰フェニックス


 現れる美しくも妖しい炎で作られた体で空舞う鳳……。


火炎龍ファイアードラゴン


 現れる巨大な咢の長大な体で空を泳ぐ赤龍……。

 すべてが炎に彩られた存在で、すべての存在が中央の少女に同調して協力するように、ただただ炎の魔力を際限なく高めて行く。

 いつしか自分たちの足元が赤く溶け始めている事に気が付く。

 あまりの高温で石造りであるはずの地下室が融解を始めているのだ。

 まだ何も攻撃などしておらず、ただ眷属たちがそこにいる……それだけの事でだ。


「ぎゃあああああ!! 熱い熱い熱い!!」

「ひいいい!! 石材が! 鋼鉄が融解して!?」

「そ、総員地上まで退避!! 城内の兵力を総動員して迎え撃つのだ!!」


 部下の悲鳴にようやく状況を察したドワルゴンが命令を出すが、その時点ですでに大半の兵士、魔導士はあまりの高温に身動きが取れなくなっていたのだった。


「…………!? ……!! ……」

「!! !!! …………」


 超高温の空間ではすべての水分は強制的に蒸発してしまう。


「大獄炎魔法…………」


 言葉を発する事も出来ずに悶え苦しむ大勢の同僚、地上へと逃げ出す自分たちに助けを求める同僚を残して、何とか地上に戻った魔導士の一人の耳に……これ程までに高温であるのに凍り付くような少女の声が、背後から聞えた。


「カラミティイイイイイ、アマネ、エクスキューショオオオオオオオオオオン」


 そして白き炎の柱が立ち上がる。

 それはシャンガリアが誇る豪華絢爛で巨大な王城がたかだか数秒で地上から姿を消した瞬間であった。


 呼び出してしまった獄炎の魔王……その少女の名はアマネ・カンザキと言った。



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