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テンガ・オカモト

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 金田始かねだはじめが何時ものように教室へ入ると、机が1つ少なくなっていることに気づいた。


「火野のやつ、凍結されたらしいぞ」


 隣の席の男子が言う。消えた席に座っていたのは火野丈ひのじょうといって、すらりとした体形の優男だった。クラスメート達は、誰に対しても友好的で棘のない性格をしていた火野がまさかと思っていたが、これが今の世界のルールだと諦めに近い納得もしていた。


 凍結とは、一切の活動を停止するという意味合いだ。言い換えるなら、粛清である。


 非合理、非論理、それら不安定なものを排除し、安定した管理社会を作り出すという名目の元、金田の住む世界の"運営"はとある計画を実行した。すなわち、ディストピアの実現である。そのための秩序、すなわち独善的なルールを運営は敷いた。


 まず第一に、思想の単一化及び強制。運営に従うことこそが幸福であり、学び舎での教育はその理念の刷り込みを主としている。これは謂わば、一種の洗脳に該当するものだ。


 第二に、徹底した監視体制。運営に対するあらゆる批判、侮辱を封殺するため、24時間365日、至る所に張り巡らせたネットワークを駆使し、一挙手一投足を隈なく見張っている。数は不明だが、運営の息がかかった人間が潜り込んで密告しているという説もある。


 第三に、体制に不都合な存在の始末。凍結と呼ばれているこの制度は、原理は不明である ものの、対象者をまるでコンセントが抜けたかのように一切動けなくさせる。生きているのか、死んでいるのか、或いはその中間地点に閉じ込められているのかもしれない。


 一度凍結された者を解除できるのは運営のみ。実質、死刑宣告に近かった。また、運営のさじ加減は非常に厳しく、少しでも異論を唱える者、及びその賛同者も容赦無く凍結。理由は全て、「運営に対する営業妨害」の一言で済まされる。


「火野、良いやつだったのに。一体何をやっちまったんだろう」


「さぁ……最近はちょっとした愚痴でも凍結されることもあるらしいし。俺たちも気を抜いたら明日は我が身、かもな」


 火野が消えてしまったことを惜しむ声がちらほら聞こえる。しかし、誰も彼を庇う者はいない。賛同者と見なされれば巻き添えを喰らうからだ。


 最後に火野と話したのはいつだったか。金田は記憶を遡り、三日ほど前に家庭科室から出て来た彼と言葉を交わしたことを思い出す。


「やぁ始」


 思わず気の緩んでしまうような、人当たりの良い笑顔だった。


「家庭科室なんかに用があるのか」


「なんか、とは随分な言いようだなぁ」


「掃除当番以外で入らない場所だと思うんだけど」


「担任の先生からの頼まれごとがあったからね」


「ふぅん」


 興味を失った金田は、そのまま火野の横を素通りしていった。

 それが二人にとっての最期の会話。せめてじゃあな、ぐらいは言っておくべきだったか。窓の外を眺めながら、金田は首筋を左手で抑える。青々と広がる雄大な空、いくら眺めても虚しいだけであった。




 火野が凍結され、消えてから二、三日は静まり返っていた教室だったが、人が突然いなくなるのは既に日常茶飯事である。慣れというものは恐ろしいもので、徐々に元の喧騒を取り戻しつつあった。


 そんな中、金田の顔は日を跨ぐ度に険しさを増していた。


「随分辛気臭い顔してるな。そんなに火野と仲良かったかお前」


 担任にまでこう言われる始末。しかしそれには理由があった。


「先生」


「どうした急に」


「数日前、火野に家庭科室に行く用事を頼みましたか」


「いや、知らないな」


 額を嫌な汗が一滴、するりと流れ落ちる。


 ここ数日、凍結された人間が忽然と姿を消す事件が多発している。全てを管理したがる運営にとって、把握している凍結数とズレが生じているのは由々しき事態であり、行方を総当たりで探してることだろう。


 その消えたリストの中に、火野丈の名前が載っていたのを金田は見逃さなかった。

 

 そして放課後、火野と最後に会った家庭科室。金田はその隣の準備室にいた。部屋の隅に置いてある戸棚、床のほこりから動かした形跡があるのを確認できた。

 その戸棚の裏にあるのは、使われなくなった物置場へとつながる扉。生徒は誰も入ったことがない開かずの間。


「……その扉の前に、これか」


 埃の中に混じった、一本の毛髪。真紅のそれは、あの火野丈の髪色と一致している。

 戸棚をずらしたその場所に落ちていたという、偶然にしては不自然さのある事実。火野はあの日、本当は何をしていたのだろうか。


 ドアノブに手をかける。がちゃり、と抵抗もなく回転したことに驚いた。鍵はかかっていないらしい。眼前には、吸い込まれるような暗闇。奥深くへと階段が続いていた。


「降りてみるしかなさそうだ……」


 壁に手を当てながら、一段ずつ慎重に降りて行く。足を踏み出す度に、こつん、こつんと音が反響し、それが一層気味の悪さを増していた。


 やがて階段も終わりに差し掛かったところ、金田はわずかに溢れる光が見えた。それは扉の隙間から細く伸びた光だった。

 急速に早まる動悸。

 もう一枚扉があったことも驚きだが、それ以上に、誰がそこにいるのかを考えると、やはり火野の顔が真っ先に思い浮かんでしまう。


「ここまで来て、引き下がれるかよ」


 がちゃり。やはり2枚目の扉にも鍵はかかってない。


「なんだ、ここ」


 絶句。

 金田の眼前に飛び込んできたのは、体育館ほどの広さがある空間。どうやってこの広さを確保したのか、考えるよりも先に目を奪われる。一人や二人では下らない、凍結された無数の人たちが整列しており、あたかも大名行列のように長い一団となっていた。


 恐る恐る近づく。金田にも見覚えのある顔がちらほら散見された。先月凍結されたクラスメートの女子もいた。


「やぁ、始」


 背後からの声。振り返るまでもなく、誰だか分かった。家庭科室前で交わしたときと変わらぬ口調。


「火野」


 凍結されたはずの火野丈は、先日と変わらない穏やかな笑顔で金田を出迎えた。


「思ったよりも驚かないんだね」


「お前が無事なことにか、それともこの場所にか」


「両方だよ」


「驚いてるさ。驚きすぎて反応が追いついてないだけだ。それよりお前、凍結されたんじゃなかったのか」


 火野はおもむろに自分の首筋へと手を当てる。


「ここさ、なんか偶にチクチクしてたんだよね」


「……何の話だよ」


「まるで小さな針でしつこく刺されたみたいにさ、痛むんだよ。ちくちくちくちく、あんまりにも続くからさぁ、僕もイラついちゃって。出来心だったんだよ」


「だから何の話を」


「マイクロチップ」


 凍り付く空気。数秒、静寂のみが広間を支配する。


「オーバーヒートってあるでしょ。過熱によって起こる動作不良。てっきり蚊とかダニのせいだと思ったからさぁ、首筋を思いっきり熱したんだ、熱かったなぁホント。そうしたらブチッ、だよ。なんだよブチッって、そんな簡単に壊れちゃうとか思わないでしょ普通」


 腹を抱えて笑う火野は、いつもの優しい火野とは別人のような狂気を孕んでいた。


「それで凍結から逃れた、って訳か」


「笑っちゃうよね。僕達をがちがちに縛り付けようとしてる連中が、こんなお粗末だったなんて。だからさ、運命だと解釈したよ。僕という火種を野に放って、炎に変えるんだ。そして焼き尽くす。運営を名乗る馬鹿馬鹿しい奴らの、呆れたルールごとね」


「そのための人材集めがこれか。よく一人でやったもんだな」


「まぁね。ところでさ、始」


 口角を釣り上げたかのような、歪な笑顔。少しずつ、金田との距離を詰めていく。



「僕は一度もマイクロチップが凍結に関わるなんて言ってないのに、よく分かったね。それにさっきから首筋に触れようともしない。普段あんなに弄ってるのに、なんでかな」




「……ハッ」


 金田の吐き捨てるような笑いが、その答えだった。


「がっかりだよ、始。密告者、いや運営側の人間が同じクラスにいるだなんて」


「そいつは悪かったな。だが、これは賢い生き方というんだよ。運営に取り入りつつ、付かず離れずの距離を維持して生き残る。それが俺の戦略だ」


「そのための生贄は仕方ない、と」


「何を当たり前のことを。生きるためには他の生き物を食べるだろ、それが他の人間になっただけの話だ。大体、凍結は死んじまうわけじゃない」


「それを聞いて安心した」


 火野が構えたのは、どこから仕入れたのか、小型のピストル。それに呼応するように金田も構える。同じく、小型のピストル。どちらも最初からこうなることを想定していたような、滑らかな動作だった。


「今の会話、もう上の連中に筒抜けだとは思わないのか」


「ご心配無く、ここは奴らの監視外の場所だからね。通信機の類も電波が届いてないでしょ。だから知ってるのは君だけだよ、始」


「そうかい。たしかに、凍結できないお前を始末できるのは俺だけだわな」


「ははっ、何だかそこだけは気が合うみたいだね」


「全くだ」


 まるで友人のように会話をする二人は、同時に引き金へと指を掛ける。


「この一発が始まりだよ。この狭い世界を壊すためのね」


「いいや、終わりさ。この一発で元通りだ」




銃声が二発、静けさを打ち破るように木霊した。

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