ヤスダとオレ 

たいとるみてい


 行きつけの図書館からお気に入りの雑誌がなくなったと知り、フジサキは子供のように泣いた。もう高校生だというのに。


 なくなったといっても休刊ではなく買わないという意味なので、本屋に行けば売っている。

 ただ、高校生のお小遣いで買うには雑誌は高すぎる。


「雑誌を買うお金が減ってきたの。だから貸出回数が少ない雑誌からお別れというわけで……」


 そんなー!

 フジサキのくもりなきまなこから、クジラの潮吹きのよつな勢いで涙が噴射。


 雑誌はブッカーがかかっていない。カバンに入れてクシャクシャになってしまわないように借りずに館内で読んでいた。

 おのれ善意が裏目にでてしまった。

 こんなことなら借りておけばよかった。




「あの、ハンドメイドの本ってどこですか?」


 フジサキと入れ替わるようにカウンターへやってきた少女が司書にたずねていた。小学生くらいの女の子だ。

 今日は土曜日だから、午前中から子供の出入りが多い。


 児童書コーナーには、折り紙の本や自由研究の工作の本が棚に置いてあるのを見かけた。

 でも少女のお求めはハンドメイド。工作よりもっとオシャレで映えるのだろう。


「大人向けだったらたくさんあるけど、ちっちゃい子向けは、ないみたい」

「そうですか……。じゃあ、おいしい紅茶のいれかたやお茶に合うお菓子について書いてある本はありますか」


 そんな本あるの⁉︎ そもそも本屋に売ってあるの?

 フジサキは無意識に耳を傾けていた。


「うーん。これも大人向けしかない……」


 さすが知識の宝庫、図書館。いろいろなジャンルの本が置いている。

 しかし少女の要望には応えられそうにない。まことにザンネンである。




 少女は「気になっていたのですが……」と質問を投げかける。


「大人の本はいろんなジャンルが新しくはいるけど、子供の本は人気シリーズや絵本ばかりなのは、どうしてですか?」


 まだ小学生なのに、新しくはいった本にかたよりがあると指摘している。

 フジサキが少女と同じ歳だった頃、棚から面白そうな本を探していた。要求する選択だってあったのに。


「ごめんね。近くにある子ども図書館なら、詳しく本が取り揃えてあるんだけど……」

「近く? 歩いてすぐですか。せっかくなら行ってみたいです」

「あのー、よかったら自分が案内します」

 

 フジサキは勇気を出して声をかけてみた。

 その直後に、盗み聞きをしたのではなく、たまたま会話が聞こえたんですよという主張が伝わるように笑顔を作った。


「デュフフ……じ、実は私もちょうどその図書館へ行こうとしていたので。せっかくなんで一緒に行きましょ」

「盗み聞きですか」


 フジサキは笑顔が苦手だった。

 不気味に顔を引きつる不審者だと思われたのか、少女に睨まれてしまった。


 しかしそこへ救世主がフォローを入れてくれた。司書さんだ。


「大丈夫よ。フジサキさんはあやしい人じゃないから。ちょっと情けなくてコミュニケーションに問題があるだけで、道案内くらいならできるから」


 あれ? これってフォローになってる?

 フジサキの顔色がもっと悪くなっているんだけど……。




 なにかあったら防犯ブザーを鳴らせばいいと判断してくれたおかげで、フジサキは案内役に選ばれた。


「ちゃんとブザーを持参しているなんて、お、お嬢さんはしっかりしてて偉いですね」

「中川です。その呼び方はイヤです」

「ごめんなさい」


 カベを感じる。初対面でしくじったせいだ。

 あーあ、日ごろからスマイルの練習をしておけば、女の子に警戒されずにすんだのに。


「いやだって! いつも一人だし、誰もいないところでヘラヘラ笑ってたら気味悪いじゃん」

「なにこの人。だれと喋ってるの? 気味が悪い」

「誤解です! フジサキは無害です。百歩ゆずって変人だとしても悪い人ではありません!」


 とにかく子ども図書館までこの子を連れて行こう。

 フジサキは無理に笑うのを諦めて、歩みをはやめた。




「フジサキは小学生の頃、本を読んでました?」

「もちろん。学習マンガや心理ゲームの本ばっかり。文字ばかりの物語は苦手です」

「へえ……」


 おや、少女──中川さんの表情が和らいだ。


「あたしも、小説以外の本をたくさん読みます」

「じゃあ中川さんは読書家ですね」

「そんなことない。みんな恋愛小説を読んでいて、あたしだけ話についていけない。読んでみたけど、楽しくないし、発見もない」

「その気持ち、わかります! 豆知識の本とかで盛り上がりたいのに、たいていの女子ってラブかオシャレの話じゃないと会話が冷めます。フジサキ悲しい!」


 そうか、中川さんは小説を読まない読書家ななのか。

 それじゃあ、図書館が絵本や人気の読みものしか買ってくれないと、不満になって当然だ。




「この本がほしいって、ちゃんと司書さんに伝えたほうがいいですよ」


 図書館の限りあるお金で本を買うとき、二種類の基準で本を決める。

 まずたくさん借りられるであろう本。人気の本や大賞をとった本など話題性のある本はみんな読みたがる。せっかく買うのなら、いろんな人に読まれる本にするべきだ。


 そして、専門的な難しい本。今はインターネットで調べられるけれど、本に書いている知識を求める利用者だっている。知の宝庫としての役割を果たすために真面目な本を取りそろえたい。


「新しくでたばかりの本を読みたい人がリクエストすると、司書さんはその本を買おうと検討します」

「え。じゃあ図書館にはいる本がかたよりますよ?」


 すぐにそれに気づくとは。イマドキの小学生はかしこい。


「だから、さっき中川さんがカウンターに行ったのは大正解です」


 図書館で働いているからといって、すべての本に詳しいわけではない。あのやりとりのおかげで、充実した本棚にしようと読み物以外の本を買うだろう。




 子ども図書館は、読み物以外の本が多い。夏休みの自由研究や調べものをしたいときに活用できる。


「SNSの使い方。プログラミング。ロジカルシンキング。え、投資? 現代的というか、子供向けにこんな本があったのですね……」


 あまりのジャンルの豊富さにフジサキはいつも圧巻している。

 いや、フジサキが小学生だった頃も、図書館は生きるうえで必要な本を買っていたかもしれない。

 たんにフジサキは興味がなかっただけで。


「すごいです。私好みの本ばかりです」


 中川さんは他にもチェスと落語の本も借りた。

 好奇心が旺盛だといろんな本が楽しめる。


「ところでお年寄りや大人が一人で真剣に本を見ていますが、やはり大人向けの本は難しいから易しい文章で書かれた本をお求めなのでしょうか」

「中川さんは洞察力もすぐれているんですね」

 

 たしかに、わかりやすい本を探している人もいるだろう。

 でもね、他の目的でこの図書館に来た大人だっている。


「読み聞かせのボランティアが絵本を選んだり、小学校の先生が調べもの学習に利用できそうな本を探していると、司書さんから聞きました」


 とくに絵本は子供の心を育む栄養であると考えているこの図書館は、いろんな絵本を取り揃えている。

 絵本の読み聞かせもひんぱんにおこなわれ(しかも年齢別)子ども図書館はにぎわっている。


図書館だから、徹底しているのかな……」


 中川さんは納得していた。




「ええー! くまクマシリーズって、そもそも置いてないの⁉︎」


 隣のカウンターで男の子が驚きの声を上げた。

 どうやら読みたい本を探していたのに、はなから図書館になかったようだ。

 その男の子は「せっかくここまで来たのに面白そうな本が一冊もない」と不満げだった。

 でも仕方がない。

 なぜなら、子ども図書館はしか置いていないのだ。


「ごめんね。とても人気があるようだけど、この図書館にふさわしくないから置いていないの」


 ふさわしくない。その意味がよくわかっていないようで、男の子の顔に「?」がついている。


「子ども図書館は良書──世界の名作や教養のある日本の小説がたくさんあります」

「リョーショ……キョウヨー?」

「つまり質の良い本を取り揃えています」


 男の子に説明が伝わっていないようで、ポカーンと口を開けていた。そうだよね。良書とそうじゃない本の違いなんて小学生にはわかるわけがない。


 子ども図書館は、児童にふさわしい本を徹底して選んでいる。

 たとえエンターテイメントに富んだ素晴らしい本でも、良書でなければ買わないのだ。


 軽々しく、子供に人気な本を買ったりしない。




「例えるなら、親は栄養のある食事を摂ってほしいけど、当の子供はお菓子やハンバーガーを食べたい……というズレが子ども図書館にはありますね」

「つまり、真面目で面白みのない文学を集めているのですね」


 フジサキの例えを、中川さんはバッサリと一言でまとめた。

 子ども図書館を出たあと、フジサキと中川さんは神妙な顔で歩いていた。さっきのやりとりが原因だ。


「そういえば、学校の図書室なら置いてある児童向けの文庫本が一冊もなかった……」

「自分で買いなさいって、図書館側は思っているでしょう。その代わり、貴重な本は図書館に置く方針です」

「そんなの……良いとか面白いとか、そんなの本人が決めることです」


 だから押し付けないでと、中川さんは頬をふくらませている。


 面白い本と読むべき本。

 そういえば、フジサキは文学賞を受賞した、ある本が気に入っている。現代の子供なら共感しそうなテーマで、感動的な内容は多くの読者の心をつかんだ。

 でも、顔見知りの司書はこう意見した。


「最近の児童書は説教じみているように感じる。でも読む価値がある本だから図書館に置くようにしているよ」


 たしかにその本は楽しい本ではない。

 それに、フジサキが小学生だったら読まなかっただろう。

 成長して、児童書に興味を持ったから出会えた本だ。


「読みたい本は人それぞれですよね」


 フジサキはぼんやりとつぶやいた。

 最近、ヤングケアラーや多様性などの本を多く見かける。




 後日、フジサキは久しぶりに、近所の小さい図書館に行った。

 近くに幼稚園があって、よく園児が絵本を借りにくる。だから絵本をたくさん買っている。


「……と、思ったけど、ティーンズコーナーが充実している」

「そりゃそうさ……。卒園しても本に興味がある小学生や中学生が利用するから……」


 地獄の底から這い出たような低い声で解説してくれたのは、フジサキの友人川中だ。


「児童向けの文庫の話だが、受賞作は積極的に取り入れているデュフ」

「話題になる本は子供に借りられるからですか」

「大人もよく借りている。おそらく小説家を目指している人が研究するために読んでいるゲフォ」

「大変そうですね」


 フジサキは、編集者が主役の漫画を読んだばかりで、売れる本について考えるようになっていた。

 小説を書きたいのならノートに書くなりサイトに投稿すればいい。

 でも小説家は立派な職業で商売だから、買ってもらうことも考えないといけない。



10


「ところで川中さん。かぜのウワサで聞いたんだけど、絵本コンテストで最終選考まで残ったそうですね」

「ククク……。自分でも驚いでいる」

「なんで絵本コンテストに応募したのですか? 絵を描くのが好きだから?」

「我が家は親が共働きで、よく絵本で寂しさを紛らせていた。次はわがはいが最高の絵本をつくるのだ」


 思ったよりしっかりした理由だった。見当違いの憶測にフジサキは恥ずかしくなった。


「たとえ落選しても、選考している人が、あの作品を読んで楽しんでくれたらいいな」


 なにをどう思うかは人それぞれ。だったらわがはいが好きなものをつくる。

 そう言っていた友人川中が誰かを楽しませるために絵本を作っている。


「図書館におかれて、たくさんの人に借りられるといいですね」


 たとえ本になっても、買ってくれないと読まれない。

 図書館で面白い本に出会えることがどれだけ奇跡なのか、フジサキはわかっているつもりだ。

 これからも図書館で面白そうな本を探している。

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