ヤスダとオレ 

 キイのばあちゃんは私の親戚です

  夏になるとキイのおばあちゃんの家に行っていた。

 キイのおばあちゃんは母方の祖父の親戚。だから私の親戚ということになる。

 キイのおばあちゃんは日本家屋の水回りだけ現代にリフォームした家に住んでいる。私は親戚が集まる時期にしか行かなかったから、他に誰が住んでいるのか知らなかった。

 従姉弟以外、みんな、十の位を四捨五入したら百歳いく人ばかりなので誰が家の住人でもしっくりきた。


 当時の私は集団から遠ざかる習慣を持っていて、勝手に押し入れから座布団を奪ってきて縁側で横になっていた。日ごろ俯いている私はこのとき久しぶりに空を見るのだった。

 しかし私の意識は地上へ戻される。


「カノホワちゃん」


 顔を向けるとキイのおばあちゃんが紺色の座布団を抱えていた。私が目を合わせてから「久しぶり」と言った。

「あの、どうしてこっちに来たのですか?目ざわりなんですけど」

 当時の私はていねい語で話せばどんな辛辣な言葉でも許されると思っていた。内容は生意気だがおどおどとした口ぶりがよかったのか、キイのおばあちゃんは怒った素振りは見せなかった。

「なんでって、一人でおったから」

「客間に人がわんさかいるから逃げてきたんです。一人ぼっちだから可哀想だと思って話しかけたのですか?」

「可哀想とは思わん。だって独りでいる方が落ち着くやろ?」

「把握されるのはイヤなんですけど」

「ごめん」

 キイのおばあちゃんははっきりとした声で謝った。この人は相手を不快にさせてしまったら謝れる人だ。

 でもそれだけだ。

 すぐに切り替えると私の横へ座布団を置いた。おばあちゃんが座ると線香の匂いが強くなった。この人はいつも線香の匂いをまとっている。なんだか幽霊を従えているようで、この人の前で悪い行いをしたら絶対罰が当たると信じていた。

 でも当のおばあちゃんはもう私を見ていなかった。

 キイのおばあちゃんは木箱を持ち歩いている。そっと箱を置くと、親指と中指で蓋をあける。中に入っているのは手紙だ。

 キイのおばあちゃんは簡単な挨拶を交わした後、私の隣を陣取って手紙を読む。








 キイのおばあちゃんは文字を見る才能がある。

 文字が連結した文章や寄せ過ぎで字形が崩れた文字でもおばあちゃんは涼しい顔を崩さなかった。

 一度だけ手紙を見せてもらったことがある。たぶん日本語なんだろうけど、ひらがななのかカタカナなのか漢字なのか判明のつかない記号が並んだ紙面を見たときは言葉を失った。個人的な内容を覗かれたくないからあえて読めない字形の手紙を選んだのかもしれない。

「なんですかこれ。常識の範囲をこえています」

「元気のいい字よ」

 キイのおばあちゃんは滞りなく一文を読み上げた。雨が降る時期に届く前提で書かれた挨拶文だった。おばあちゃんの聞き取りやすい掠れ具合の声とゆったりとしたテンポが文章に合っていた。この人は朗読が上手い人なのだと心の中で感心した。

 頭の中でキイのおばあちゃんに対する認識が変わっていく途中で母親の言葉を思い出した。

 キイのおばあちゃんは先生だから。

 いや母親だけではない。キイのおばあちゃんを知っているみんながおばあちゃんを褒めるときに「先生」という言葉を使う。何の先生なのか知らないけど、先生と呼ばれる人はたいてい尊敬される人なのだろうと勝手に納得していた。

 からかうつもりで私はキイのおばあちゃんに手紙をおくった。普段の字が汚いと言われているのだから意識して乱暴に書いたらみにくいのではないのかと思った。

「楽勝やね」

 キイのおばあちゃんは紙を広げて間を空けずに言った。

 三秒も経っていなかった。三秒以内に私がわざと汚く書いたのだと見抜いたうえで「楽勝」と言ったのだ。恐れ入った。

「さすが先生です」

「先生は関係ないよ。カノホワちゃんの字は癖がないし、簡略化していない。不格好なだけでちゃんと正しく書いとる」

 正しく書いていると言われたのは初めてだった。他の人は文字の見やすさを重視してものを言っているのに。文字に対する着眼点が独特だったから、この人は面白い人だと驚いた。

 字が汚いことは当然なのだから指摘すればいいのに。そう思ってから、そういえば一度もキイのおばあちゃんは私を否定したことがないと気がついた。 

 キイのおばあちゃんは絶対に人を否定しない性格だと知ったのは親戚の人と喋っているときだった。

 おばあちゃんは基本聞き手に回ってその場に適した相づちを挟むのだが、愚痴を話し出さないようにふるまっている。赤い唇のはしにホクロがついている、小太りのおばさんが誰かの悪口のために口を開いたとき、キイのおばあちゃんは会ったこともない誰かを庇うのだった。おばさんの言い方を良い感じに言い換えただけだ。キイのおばあちゃんが訂正しただけで、おばさんがその人を嫌っているから悪く言っているようにしか聞こえなくなった。

 嫌いという感情は厄介だ。その人の良いところが見えなくなってしまう。

 なかなか共感してくれないと不服を抱いていたおばさんにキイのおばあちゃんはこう言った。

「腹が立つ気持ちは分かるけど、うちは見ず知らずの人を勝手に悪ものにはせんよ」 

 先生と呼ばれる人は人の扱いが上手くないといけない。

 いつも通り手紙を読んでいるキイのおばあちゃんの隣でどうでもいいことを考えていた。

「いやー面白かったよ」

「はあ?まさか全部読んだんですか?文字が読めるかどうか挑戦しただけなのに」

「もらったんだから読む権利はあるやろ。ねえカノホワちゃん、提案があるとよ」

「やめときます」

「まだ言っとらんよ」









 やっぱりキイのおばあちゃんの提案は私にとって良くなかった。

「カノホワちゃんはうちにお便りを書いてくとよ」

「嫌です」

「決断が早い。本気でやってから決めなさい。あ、手紙が嫌なら書写でもいいよ」

 当時私は何をやっても批判されると思っていたので、性格があらわれる手紙というのは怖かった。おばあちゃんが否定的な言葉を口に出さない人だと知っていても、思わず心のうちに率直な感想が出てくる。私について何かを思われるのは辛かった。

 しかしキイのおばあちゃんは提案を取り消さなかった。私が手紙をかくことは決定事項なのだと言わんばかりに堂々としていた。まさか私の執筆した手紙が目的で近寄ってきたのか。いや、おばあちゃんが提案を出したのは私がでたらめな字で書いた手紙を読んだあとだから、原因は自分自身にあるのかもしれない。

「どうしてそんなくだらない提案をしたのですか?暇なら他の人に手紙の催促をすればいいでしょ?」

「カノホワちゃんの文字を見たいから」

 キイのおばあちゃんは淡々と答えた。

「だから書写でもいいとよ。次に会う日まで、少なくとも三通はだしてよ」

 キイのおばあちゃんはエプロンのポケットからメモ用紙とボールペンをだした。滑らせるようにペンを動かし、マッチをする勢いでメモを破った。乱暴に引き抜いたのにメモ用紙にシワはついていなかった。

「これ住所ね。あと電話番号も。喋りたかったらかけてきてよ」

「暇人ですね」

「次に会うのは来年か。寂しくなるのう」

 たいして寂しくなさそうな声色でキイのおばあちゃんは言った。

 当時の私はやれと言われたことは極力やる人間なのでちゃんと手紙を書いた。ただし手抜きだ。私がカレー職人でキイのおばあちゃんがニンジン専門家の設定で手紙を書いた。うちのカレーは香味料の配合とジャガイモに力を入れているのでニンジンは邪道です。あなたから貰ったニンジンの種はお返ししますと、封筒に手紙と一緒に庭の石を入れた。

 次の手紙ではわざわざニンジン色のハムスターのマスコットを作った。自分だけ、続けて腐りかけのトマトを食べるから、トマトの呪いをマスコットに具現化して送りつけてやった。キイのおばあちゃんはトマトが嫌いだからトマトの呪いをかけられてもへっちゃらだろう。

 自己満足で書き上げたものの、ちゃんと届いているか不安だった。別に見なくてもいいのだが、キイのおばあちゃんから返事が来ないと次に会ったときに一通もポストに投函されなかったと言われたら努力が無駄になる。

 私はくだらない理由でキイのおばあちゃんに電話をかけた。プルルル。プルルル。ブツリと接続する音のあと「はい」と朗らかな声が聞こえた。キイのおばあちゃんだ。

『あ、もしもし…えっと』

『あ、カノホワちゃん?』

『はい…カノホワちゃんです』

 電話越しの声て肉声と異なるのによく分かったな。

『カノホワちゃんの大好物は何?』

『え、いきなりなんですか。大好物は怖い話ですけど』

『食べ物よ』

『グミとガムと飴ですかね。あとチョコレート』

『お菓子が好きなんだね。どういう経緯でカレー専門家になったとよ?』

 ちゃんと手紙を読んでくれていたらしい。

『お菓子ばっかり食べんで野菜もしっかり食べるとよ』

『好き嫌いせずに食べてます。余計なお節介ですよ』

『この前のワッペンは何ね。ワッペンだからエプロンに着けといたよ』

『綿が家になかったから綿抜きのマスコットです。あとエプロンに付けないでください。おばあちゃんに会う人が私をバカにするじゃないですか』

『大丈夫、可愛いよ。ね、ワタヌキちゃん』

『名前もダサいなんて可哀想です』

 手紙がちゃんと届いたと確認できたから電話を切ってもいいのだが、受話器をおろすタイミングがつかめない。キイのおばあちゃんはどんどん話題を変えて会話を途切れさせない。普段聞き手に回るのに口下手な私が相手だとよく喋る。私は風に吹かれて回り続ける風車のような気分だった。キイのおばあちゃんのペースに目が回りそうで、まだ終わらないかといい加減に返事をしていた。


『カノホワちゃん、元気?』

『はい。健康体ですよ』

『体じゃなくて心の具合よ。頑張ってない?』

『大丈夫です』

 「無理してない?」じゃなくて「頑張ってない?」と訊いたところがキイのおばあちゃんらしいと思った。

『あのさ、手紙が来たら来たって合図くださいよ』

『お返事欲しいと?でもうち手紙書くの苦手なんよ』

 いっつも手紙を読むくせに。読む専門かい。ずるいぞ。

『電話は面倒くさいので確認がとれるものを送りつけてください』

『わかった。考えとくよ』

『見たらすぐ捨てたいのでよく考えといてください』

『うへえ…』


 電話をかけてから数日後、私宛の封筒が届いた。裏を見ると「キイのおばあちゃん」と書いていた。私はキイのおばあちゃんの本名を知らない。キイが苗字なのか、どういう漢字なのかも知らない。

 封筒の中には折り紙で作ったぽち袋が入っていた。市販で売っているぽち袋しか知らなかった私は、紙を折っただけの包みが新鮮なものに見えた。真ん中に鶴まで折っているのにシワが見つからない。

 キイのおばあちゃんは字を読み取れるだけでなく、紙の扱いにも才能を感じた。

 しかし完璧すぎるせいで逆に捨てにくい。仕方なく、私は洋服を入れている箪笥に保管した。







 三通目の手紙の内容を考えていたのに、私はキイのおばあちゃんに電話をかけていた。

 自分一人しかいない家は、パラパラと雨音が響いていた。雨音が煩わしいのに音楽をつける気にもならなかった。それなのに、私は無意識にボタンを押して受話器を持ち上げていた。


『はい?』

『キイのおばあちゃん。訊きたいことがあります』

『なん?』


 私の声は分かり易く沈んでいた。だからこそなのだろうか、キイのおばあちゃんは明るい声を作るわけでもなく私のテンションに合わせて声を低くするわけでもなく普通の調子で「なん」と尋ねた。


 最近胸が弾むほど良いことがなかっただけで、これから話す内容はとてもくだらない。趣味が読書だったのに、最近急に本を読めなくなってしまった。

 今までは文字を眺めるだけで頭の中で文章を映像で再現できたのに、何故か単語を拾えなくなった。

 読書というのは学校へ行く私にとって唯一の現実逃避なのに。なんとしてでも本が読めるようになりたい。

『キイのおばあちゃんはいっつも手紙を読んでいるじゃないですか。読むコツとかあったら教えてください』

『コツ?うーん、難しい質問やね。だってうちはなんとなく眺めているから』

『ああそうか。おばあちゃんは文字を見ていましたね。読む、とは違いましたね』

『力になれんでごめんね…あ、そうだ。待ってて』

 受話器を静かに置く音のあと、堅いものを置く音が聞こえた。


『今ね、カノホワちゃんの答えになりそうな手紙を探しているところよ。あ、あった。ちょっと読んでみるね』

 次の瞬間、キイのおばあちゃんはいなくなった。

 ゆったりとした口調は手紙をあげると急に厳しさをまとった。生きづらさを説く内容の文章だったから読み方を合わせているのだろう。きっとこの手紙を書いている人は責任感が強く、絶対に希望を見失わないんだろうな。おばあちゃんの喋り方でなんとなく想像がついた。


『…なんといいますか、難しいですね』

 読み終わった後、私は率直な感想を述べた。

『ごめんね』

『おばあちゃんが私に言うことはあります?』

 当時の私は長い時間、ずっとまいっていたのだろう。ふさぎ込む癖が定着していて、が発した言葉に対して耳と目がただのザルのように役割を果たさなかった。

 でもキイのおばあちゃんに相談をもちかけたのは私を把握しているから。私が求めている解答を分かり易く教えてくれると思ったから。

『そーやねー…。カノホワちゃんは意気込みすぎるから、適度にサボるのはどうかね』

『意味がわかりません』

『例えばね、人は当然のように二本足で歩くけど、頭の中でいちいち体の動かし方を確認していたら分かんなくなるね』

『たしかに長時間歩いていたら脚の動かし方が分からなくなります』

『本を読もうと思って無理してない?会話だけ読んだり、好きな言葉だけ拾ったり読み方を変えればいいんじゃない』

『なるほど、ありがとうございます』


 そのあとなにか喋っていたが、三通目の手紙の構想を練っていたせいで上の空で返事をしていた。

 三通目をおくるまでに時間がかかった。べつに手の込んだ仕掛けカードを作っているわけでもないのに。手紙をだした次の月にキイのおばあちゃんの家に行く。早く会いたいようなやっぱり会いたくないような、なんともいえない気持ちが続いた。








 夏休み、やっとキイのおばあちゃんの家に行った。玄関まで出迎えてくれたキイのおばあちゃんは杖をついて歩いていた。

「おばあちゃん、足腰悪かったんですか」

一昨年おととしから膝を痛めたとよ。去年も杖を使っていたけど今年は頻繁に活躍しているね」

 暢気にこたえるおばあちゃんに、「そうなんだ」と言うのが精いっぱいだった。

 頭の中で思い浮かぶキイのおばあちゃんは必ず座っていた。客間で談笑している時も手紙を読んでいる時も、きちんと正座をして、何が来ても真っ直ぐに受け入れてやろうと少し構えて人と接し手紙を読む。私はこの、よそよそしい距離感が心地よかった。


 仏壇の前で手を合わせたあと、台所へ行った。コンソメの匂いが充満した台所で、キイのおばあちゃんは鍋をかき混ぜていた。キイのおばあちゃんは家へ訪れた親戚にスープを振る舞う。毎年飲んでいるのに、味が思い出せない。


「おばあちゃん」

「うん?」

「三番目の手紙、読みましたか」

「うん、何度も見たよ」

「米粒みたいに小さくて見えにくかったでしょ。わざとですよ」

「ちゃんと見えたよ」

「さすが先生です」

「先生は関係ないよ」


 キイのおばあちゃんはガスコンロの火を消すとテーブルに置いていた木箱を開けた。

「今、いかね」

「そのために私は来たんですけど」

「そうね」


 キイのおばあちゃんは指の腹で一枚の紙をつまんだ。椅子に腰かけ背筋を伸ばし、私が作ったを声に出して読んだ。

 最後に出した手紙に私は指示を出した。紙の表面に「朗読してくれ」とだけ書き裏にを綴った。

 キイのおばあちゃんが読んでくれているあれは文法が破綻していた。単語を並べたり辞書に載っていない擬音語を繰り返しただけの意味不明な文章だった。

 うたを書いている時、キイのおばあちゃんの声を意識した。マ行を滑らかにサ行をはっきりとタ行を優しく発音する

 私は話しかけるのはイヤだったけれど、キイのおばあちゃんの声は好きだったんだ。

 だからを書いた。自分が書いた文章をどう読むのか、気になった。それだけのために作ったのに、キイのおばあちゃんは真剣に読んでくれた。


「―はい、以上よ」

「ありがとうございました。それと、ごめんなさい。いきなりおかしな命令をしてしまい…」

「いいよいいよ。カノホワちゃんの言葉選び、好きよ。あ、お茶飲む?」

「いりません。……いりませんて」

 もう一度断ったのに、おばあちゃんはさっさとコップにお茶を注いで私の前に置いた。キイのおばあちゃんは手紙を箱にしまうと、鍋に近づき再びスープをかき混ぜはじめた。椅子に座ったら、私の正面になってしまうから移動してくれたのだろう。


「最近どうね」

「ビミョウです」

「そりゃあ深刻な問題やね」

「微妙なので、まだ深刻ではありませんよ」

「カノホワちゃんの場合、『ビミョウ』はヤバイサインよ。塵も積もれば山となる。些細なことを我慢し続けていたらホントにヤバイんだから」

「…でも、おばあちゃんには関係ない」

「関係ある人の中にカノホワちゃんを助けてくれる人はいる?」

「大丈夫、いなくてもいいように努力はしてきました」

「そうね」

 

 キイのおばあちゃんはそれ以上追及しなかった。棚から漆塗りのお椀にスープをよそい「味見して」と差し出された。ストレスのせいで常時食欲を感じない体だったけど、命令には素直に従った。一気に飲み干し、「私は良いと思いますよ」とお椀を返した。そして別のことを考えていた。どうしてスープの味が思い出せないのか納得していた。味がしないのだ。もちろん原因は私の舌が不調だから。



「カノホワちゃん、あなたは文字を書くといいよ」

 キイのおばあちゃんは私に背を向けて言った。

「小説でも詩でもいいよ」

「なんでですか」

「カノホワちゃんが文を読めない理由が分かったかもしれん。今まで本を読んで言葉を吸収してきたから、新たに文章を読んでも頭の容量がいっぱいでもう入りきれなくなったとよ。だから書くことで言葉を整理するとよ。ね、どうよ」

「命令であれば努めましょう」

「命令じゃないよー。カノホワちゃんの文章は面白いから素晴らしい提案だとおもうんやけど」


 キイのおばあちゃんは背を向けたままなのに箱の方向へ指さした。


「うちは少なくても三回手紙を出してほしいと言ったけど、カノホワちゃんがよければ何回も手紙を出してよかったとよ」

「正直手紙なんて面倒くさくて進んで書きたいものではないですね。なんで書かされたんだって未だに不満を持っていますからね」

「嫌々書いていたの?楽しそうに書いていたのかと思っていたよ」

 キイのおばあちゃんは「あちゃー」と声に出して肩を落とした。それから「悪いことしたね。ごめん」と謝った。

 謝ってほしいとは思わなかったのでおばあちゃんの謝罪に驚いた。

「だって手紙を書いたのはおばあちゃんの一声がきっかけですよ。どうして手紙をだせなんて提案をしたのですか?」

「文字を見たかったからよ?前に言わなかったっけ?」

「意味がわかりませんでした」

 べつに詳しく訊かなくてもいいかと思っていた。なぜならおばあちゃんは私の文字が見たいから、つまりおばあちゃんの都合でそんな提案をしたのだと勝手に決めつけていたから。

「カノホワちゃんが最初に書いた手紙を覚えている?」

「カレー専門家になりきった手紙ですね」

「いやいや、手紙の内容じゃなくてねー、文章云々じゃなくて、それ以外の話。たとえば文字とか」

「そんなの覚えていませんよ。だって手紙の内容を気にしていたので文字の形なんてとくに意識していませんでしたよ」

「あのねー、ペンシルで書かれていたとよ」

「そりゃあシャーペンは一番使いますからね」

「でね、筆圧が相当薄かったとよ」

 だからなんなんだろう。

 薄くて文字が見えにくかったとでも言いたいのだろうか。

「最後にだした手紙も同じシャーペン使った?最初と比べて文字が大きくてくっりきり書かれとる。それにあの作文は心にゆとりを持って書いたんじゃない?」

「どうしてわかるんですか?」

 私は余裕でうたを書いていたか?いいや、そんなの知らない。夢中になってペンを動かしていたから、逆に切羽詰まっていたと思う。でもどの手紙も、後半になると楽しくなっていた。まるでマラソンみたいだ。辛いけど、走るのは楽しい、そんな感覚だった。

「文字を見ればね、性格が見えてくるとよ。とくにずっと文字を見続けてきたうちよ、わかるよ」

 キイのおばあちゃんは楽しそうに笑った。楽し気に弾む背中を見ながら、雑誌で漢字の書き方で性格診断できるコーナーが載っていることを思い出した。

 おばあちゃんは文字の形で私の状態をうかがっていたのか。たしかに質疑応答では気構えてしまうから、ありのままの私を知るにこの方法は悪くなかったかもしれない。

「さすが、先生です」

「先生は関係ないよ」





 それからキイのおばあちゃんには手紙をだしていない。三通までと言ったのにこれ以上手紙を書く必要はないだろう。

 寒い時期に綿を貰ったので今度こそ綿を入れたマスコットを作った。不格好なのは当然として、いい出来だと思う。マスコット作りにはまったので気が済むまでの一時期、趣味が裁縫となった。

 今度の夏に仲間たちをキイのおばあちゃんに見せてやろう。どんな反応をするのか楽しみだ。

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