ささくれた森をぬけて
鷹野友紀
第1話 手紙
ある冬のある朝。
私のところに一枚の手紙が届きました。
「それは病気がちの義母が、今度はいよいよ危ないかもしれない」と言うものでした。
そのことを私は薄々感じていました。
この間の父からの電話で本当は死期を悟っていたのです。
しかし、義母と私は少々のズレでギスギスしながら触れ合ってきましたから、独り暮しをするように東京の大学に進学し、卒業すると、そのまま都会の中で就職しました。
これらすべて親元から離れたい一心だったように思えます。
今、こうして今日という日を向かえ、思えば長い隔たりだったような気がします。
本来の原因であるはずの、血の繋がりが無いという事実よりも私に対する彼女の態度が、多感な時期の私の心を逆なでし、それがそのまま、知らぬ間に憎しみにまで変ってしまいました。
家から飛び出したのも同然のように此処何年か帰っていません。
数度、彼女は私のアパートを訪れましたが、その度に私は、その訪問を拒絶し続けました。
それは彼女が黙ったまま訪れたならば或いは例え少しでも言葉を交わす事が出来たでしょう。もしかすればすれ違うことも在ったかもしれません。
けれど、彼女は上京する時には、必ず短い電話を一本くれました。
「明日、そちらへ向かいます」
それだけの短い電話。
それが、私が何年も聞いていない彼女の唯一の声でした。
その声は静やな良い声なのですが、冬に鳴る風鈴のように寂し気で、まるで受話器の前で懺悔をしているような心持ちのように聞こえました。
もしかしたら恨みの言葉だったのかもしれません。
私は、その声を聞くたびに自分の顔がいやらしく歪むのが分かりました。彼女の静かな懺悔は私のさましい心を満たすのに充分な、彼女の心の悲鳴が私の心の奥まで聞こえてくるからでした。
だが、数秒も過ぎれば、その私の醜い満足感は、急に醒め始め、あとはただ、私は無表情になって、電話を見つめるしかありません。
「こんな、意地の悪い子供を持って、可哀相に……」
そう誰に言うともなく、呆然と目線を定めずに、呟く姿は、まるでマネキンのようで、私の心は底の抜けたように、ただ悲しくなるのです。
「明日、この家にいるならば私と彼女の心は昔のまま、そう初めて母と呼んだ。あの夕食の時刻に戻れるのかもしれない。母の代わりの人だった彼女が本当の母になりえたあの午後の日に……」
私は静かに呟いくと、今度は目を見開き、そのまま罵るように、少しだけトーンを落とし私の口は語り出した。
「そんな都合の良い話はない。いや、ある筈が無い。そんな出来もしない妄想に浸るよりは、明日の寝床を探すのが得策だよ。そもそもお前は彼女の事がきらいなのだろう。言葉を交わす事も拒絶しているお前が、もし明日、彼女に逢ったとして、何と話す。何を話す事がある。逢えやしないよ。お前がもし彼女に安心して逢える時とは、彼女が死んで言葉を無くした時だ。それなら彼女の言葉に惑わされる事も、自分の狭しい自尊心が傷つく事も無い。彼女がお前よりも良い人間である事は了承ずみさ。自分自身が知っている事実さ。お前は見ていただろう。彼女が開かれる筈の無い扉の前で、東の空が白けるまで、お前を待っていた事を、それを遠目に知ってお前は思わず隠れたな。自分の醜い心が表れた、そんな顔を心の壁で覆い隠すように。それで一晩中、お前を待ち続けた彼女を逃げるように見送って、最期に流した涙の意味は何だ。お前は可哀相な少女か? そんな夢見る年は過ぎ去って、今では、夢も見れまい……。本当に可哀相なのは彼女じゃなくてお前の方だ」
酷く心が揺れる。脈拍も乱れている。嫌いな女の死期を知ったと言うのに……。
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