じゃんけん

池田蕉陽

第1話 じゃんけん


 緊迫した雰囲気が生徒会室に漂っていた。十人ほどのギャラリーがいるにも関わらず、辺りは信じられないくらいに静まり返っている。俺の唾を飲み込む音でさえ、少しうるさく聞こえたくらいだった。


「準備はいい?」


 机を一つ挟んだ向こうのソファに座る生徒会長の大野目おおのめ 亜里沙ありさが醜悪の笑みを浮かべた。


 俺は額から流れる汗を拭いた後に「あ、ああ」と頷いた。


「では一戦目。最初はグー」


 大野目が拳を前に出すのと同時に俺もそうした。ただし、俺の拳だけは小刻みに震えていた。これでもう後戻りは出来なくなった。


「じゃんけん……」


 俺は軽く、握った拳をあげる。既に俺の頭の中では出す武器を決めていた。だが、それで勝てる自身は毛頭なかった。別の手を考えてもこの気持ちは変わらなかった。興奮のあまり、俺は何を出しても彼女に負けるのではという錯覚さえ覚えた。


「ぽんっ」


 大野目が腕を振り下ろした。彼女の掌は強く握られていた。グーだ。


 俺はそれを見て心臓を抉られる感覚に陥った。俺は彼女を刺すようにして出していた二本指をゆっくりと折り、そのまま拳を作った。焦りからか、それは震えていた。


「一勝目ね」


 大野目は自分のグーを顔元まで掲げ、ニヤリと笑ってみせた。


「おい健一けんいち! 何してんだよ!」


 ギャラリーの中の一人、友人の塚本つかもとが俺の肩を揺すった。その声は俺の耳元で発せられているはずなのに、何故か遠くから聞こえてくるようであった。


「やっぱり俺、こんなゲームやるんじゃなかった」


 ようやく出た言葉がそれだった。俺は俯き下の地面に目を移す。


「弱気になんなって! まだ二回チャンスあるだろ」


 それを聞いて、途端に俺は怒りが込み上げてきた。


「お前はいいよ。何にもリスクを背負ってないんだから。でも俺はこの人に負けたら退学なんだぞ」


 そう、あと二回。あと二回じゃんけんに負けたら俺は退学になる。


「仕方ないだろ。それは皆で決めたことじゃないか」


「それはそうだけどよ……」


 俺は歯切れを悪くする。塚本の言う通りだったからだ。四十人でじゃんけんをして勝った者が大野目に勝負を挑む。それが不運にも俺だった。しかも一発で勝負が決まったのだ。俺がチョキ、他三十九人がパーを出したのだ。仕組まれたのではと疑ってしまった。でも、そうではない。俺はこういう時つくづく運が悪いのだ。ただただ俺は神を呪った。


「健一くん……」


 塚本の隣にいた綾瀬あやせ 美織みおりが心配そうな面持ちで俺を見つめる。それを機に俺の怒りは少し収まった。そして俺は深呼吸をして、徐々に冷静さを取り戻していく。


 そうだ。俺は綾瀬のために大野目にじゃんけんを挑んだのだ。


 俺は彼女の事が好きだ。どうしようもないくらいに愛している。この抑えられない気持ちを伝えようと俺は昨日決心したばかりだった。


 しかし、それは叶わなかったのだ。俺が臆病だからではない。他に理由があったのだ。


 それは今日、新たに増えた校則、恋愛禁止によるものだった。その校則を作ったのが今目の前にいる女、大野目 亜里沙なのだ。


「じゃあそろそろ二戦目に行こうかしら」


 相変わらず大野目は自信満々の笑みでいる。それは彼女が負っているリスクが俺と比べて大したことではないからだろう。大野目が負ければ恋愛禁止を排除。俺が負ければ退学。それがじゃんけんをするにあたっての彼女の条件だった。


 しかし、もちろん俺の方が負ってるリスクは大きいので、その分俺が勝ちやすくなっている。三回じゃんけん行うにあたって、一回でも俺が勝てばいいのだ。


「よし、やろう」


 俺は再び深呼吸をして落ち着かせた。そう、まだ二回あるのだ。勝てる。負けるはずがない。


「では、最初はグー」


 俺と大野目が拳を出し合う。今度の俺は震えていなかった。


「じゃんけん……ポン」


 彼女の武器を見る。振りかざした時と変わらない手の形。つまりまたもやグーだった。


 そして俺の手はピースになっていた。俺はそのまま手を広げ机を叩いた。


「くそっ!」


「また私の勝ちね」


 最悪だ。追い込まれてしまった。この状況が俺は想定外だった。二回目くらいで勝負が決まると思っていたからだ。だが、今思ったらそれは何の根拠もなかった。


「知ってた? じゃんけんって迷えば迷うほどチョキを出しやすくなるのよ」


「へ、へえ」


 俺はわざと動揺を見せた。大野目の言葉は図星ではなかった。実はここに来る前から出す順番を決めていた。最初はチョキ、あいこになったらパー、その次はグー、その繰り返しをするつもりだった。その方が心理を読まれないと思ったからだ。


 そしてこの作戦は俺と塚本と綾瀬で決めたことだった。俺は塚本と目配せをする。作戦変更をするかどうかを確かめるためだ。


 それには塚本は首を横に振った。俺はやはりと思った。塚本は頑固な所があるからだ。


 しかし、俺はそれに賛成ではなかった。作戦を変えるべきだと思っていた。このままでは負けるような気がしてならないのだ。こういう勘はよく当たってしまう。


 俺は少しの罪悪感を隅に、新たな作戦を練った。


 案外それはすぐに思いついた。しかし、勝率が上がるかと聞かれればそうでもなかった。ただ、向こうの心理を揺さぶることは可能なはずだった。ギャンブルは冷静さを失った方が負ける。そこを付け狙うのだ。


「生徒会長さん」


 俺は少し顔を上げて大野目と向き合った。彼女は「なに」と訝しそうに目を細めた。


「最後の戦い。俺はこの手で必ずチョキを出します」


 俺はそう言って右手を掲げ、チョキの形にした。


 大野目は一瞬眉をひそめたが、すぐに口の端を吊り上げた。


「なるほど。本格的な心理戦に持ち込むわけね」


「ええ、その通りです」


 俺は腕を下ろした。横目で塚本と綾瀬を窺うと目を見開かせていた。


「なら、私はグーを出せばまた勝てるのね」


「そうです。あと、僕がさっきの条件でチョキを出さなかった場合も退学でいいですよ。それにもう一つ、今回だけは『あいこ』になっても生徒会長の勝ちでいいです」


「え?」


 彼女はさすがにこれには目を剥いた。動揺が走った証拠だった。俺の作戦通りでもある。


「本気なの?」


「ええ、本気です」


 大野目はまだ面食らってる様子だった。


「では行きますよ。最初は……」


「ちょちょちょっと待ってよ。考えさせて」


「ええ、構いませんよ。でも、迷えば迷うほどチョキが出やすくなるので注意してくださいね」


 俺は最大の嫌味を込めて言った。それでも大野目は怪訝にしている様子はなく、ただただ考える仕草を続ける。


 大野目の目付きが決心したように変わったのは一分後のことだった。


「やりましょうか」


「ええ」


 彼女が頷くと、俺は「最初はグー」と切り出した。じゃんけんの進行役を務めるのも、彼女の心理を揺するためだった。


「じゃんけん……」


 俺は拳を振り上げる。


「ポンッ」





 放課後のことだ。俺は屋上にいた。もうすぐ綾瀬もここに来るはずだ。俺が呼び出した。


 もちろん彼女に告白するためだった。そう、今日で学校生活が終わってしまうので、最後に告白だけしようと決めたのだ。


 俺は生徒会長に負けた。結局俺はチョキを出して負けたのだ。俺は大野目がパーを出すと思っていた。


 単純にチョキとグーは出しにくいと思ったのだ。俺が最後に残した嫌味で彼女からチョキが封印され、今まで出していたグーも出しにくいと踏んだ。その可能性を高めるために俺は彼女の心理を揺すった。


 例えば俺は右手では必ずチョキを出す意味的なことを発言した。大野目はすぐに俺が左手で別の手を出してくると考えただろう。だが、それも俺の罠だったら? そのように深く悩ませることで彼女にパーを出させたかったのだが、俺は結局負けてしまった。無様だった。


 屋上の扉が開く音がした。綾瀬だ。なんとも言えない表情で俺に近づいてくる。


 彼女が俺の少し前で止まった。早速告白しようと俺は口を開けた。すると、彼女が笑った。


「あーあ最高に面白かった。馬鹿なのあんた? なんでクラス全員でやったじゃんけんの時点で気づけないわけ? あれ全部お前を退学させるための私たちの作戦だから。生徒会長にもお前が全部チョキを出すことも伝えた。なんでそうするかって? それはクラス全員お前のことが嫌いだからだよ。言っとっけどお前に友達とかいないから。キモイうざい。マジ死ねゴミ。早く消えろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

じゃんけん 池田蕉陽 @haruya5370

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ