異世界転移コーディネート

一ノ瀬メロウ

異世界転移、ご依頼ください。

 木下は特段疲れ切っていた。


 一向に減らない作業量。

 上司からの理不尽な命令。

 古臭い官僚主義の行内風土。


 大手銀行から内定をもらった時は人生安泰だと喜んだものだが、現実は違った。安泰とは幻であり、非情な二十連勤だけが確かな現実なのだと木下は理解した。

 いよいよ精神の限界が近づくにつれ、「ここは自分の居場所ではない」と、現実を見限るようになった。


「ちくしょう、銀行なんてどうせ今に潰れちまうんだ」


 終電の窓から、遠くに並ぶビル街の明かりを見つめ愚痴をこぼす。映りこんだ自分の疲れ切った顔が、一瞬他人のように見えた。

 一番後ろの車両の、一番後ろの座席。いつの間にかここが彼の定位置になっていた。

 とにかく端っこにいれば、煩わしい何かから逃れられるような気がしていた。


 金融機関が安泰と言われていたのは遠い過去の話。旧態依然とした大組織は、社会経済のトレンドを掴めず、築き上げた有形無形の資産に依存しながらも、少しずつ衰退していった。

 今頃になって焦り始めた上層部の人間は、大した考えもなしに若手に過度な期待をする。

「これからは若手の柔軟な考え方が重要で――」などと聞こえの良いことを言いつつ若い従業員をはやし立てるものの、古臭く非効率で儀式じみたやり方は一向に変わらない。


 それどころか、効率化を推し進めようとした若者が肩身の狭い思いをするのだ。

 木下もその一人だった。

 ただでさえ日々の業務で多忙の中、上から押し付けられた業務改善に尽力したというのに、何も成果はなく、徒労に帰したのだ。


「もうどうだっていいさ。全部投げ出してしまえたら――」


 再び愚痴をこぼしながらふと上を見上げた時、妙な社内広告が目に入った。


 ――――――――――――――――


 ※※異世界転移、ご依頼ください。※※


 現実世界に疲れ切ったあなたへ

 別の世界で新しい人生を謳歌しませんか?


 株式会社アルトライフは、今の人生に別れを告げて新しい人生を歩みたいあなたを全力でサポートします


 異世界転移のお申し込みは、webサイトにて受け付けております(審査有り)


 ――――――――――――――――


(異世界転移……? そんな、ファンタジーの世界じゃあるまいし。)


 その時は馬鹿馬鹿しいと思った木下だったが、家に帰り一息ついたタイミングで、退屈しのぎにはなるだろうと、ネットで先ほど見かけた「アルトライフ」なる会社を調べてみた。


(何かの冗談かと思ったが、WEBサイトの内容はずいぶんときちんとしているし、これはもしかしたら本当に……?)


 モダンで洗練されたレイアウトに、丁寧な事業内容の説明。

 会社の公式サイトには、木下の興味をかき立てるには十分なほどの、異世界転移サービスの魅力が記載されていた。


 サービス利用者の人格・適正を見極め、その人に本当に合った世界で第二の人生を歩ませる。今暮らしている現実世界ではやっていけそうにない人でも、きっと活躍し、満足できる世界とマッチングさせる。

 それが、異世界転移サービスの提供する顧客価値だ。


 事業例の紹介を見て、木下は夢中になっていた。


(元の世界では冴えない中高年だったが、剣と魔法の世界で勇者に――。悪くないけど、もう少し落ち着いた生活がいいな。

 怠け者であればあるほど尊敬される世界で、賢者としての地位を築いた事例……。なるほどこういうのもあるのか。

 こっちはなんだ……? 美醜の概念が真逆の世界でモテモテに、か。なんだか漫画みたいだな。いや待てよ、これは向こうの基準で美人やイケメンに言い寄られるわけだけどそれってつまり……?)


 こんなにワクワクした気分はいつぶりだろう?

 気が付けば、木下は申請フォームの項目を埋めていた。

 申請の動機、これまでの経歴、どんな世界に行き何者に成りたいのか、その理由などを簡潔にまとめ上げ、最後に誤字がないかさらりと確認した後、申し込みのボタンを押した。


 *****


「本日、面接官を担当します北嶋と申します。よろしくお願いします。」


「はい、こちらこそよろしくお願いします。」


 半ば勢いで申し込んだ異世界転移サービスだったが、木下はそのまま面接までこぎつけていた。


 この面接で、木下は異世界行きにふさわしい人間かどうか「審査」される。

 上手くいけば新しい別世界での人生を約束され、そうでなければ、これまでと同じように先の見えない現実を歩み続けるのだ。


「さて、木下さん。現在は銀行にお勤めのようですね。」


 面接官の北嶋は軽やかに、しかし丁寧さを失わない笑みで言った。

 北嶋は木下よりも少しばかり年上に見えるものの、木下の表情にすっかり染み込んだ疲弊の面持ちが対照的で、木下よりも若々しい印象を持ち合わせていた。


「そうです、4年目になります。応募用紙には書きましたが、とにかく忙しいのに給料がそれほど高いわけでもなく、上司も同僚も、みんな何かしらにイライラしてる余裕のない職場にいます。」


「それで、そんな毎日から抜け出したい、ということですね?」


 北嶋は手元の印刷された応募用紙を見ながら答えた。

 用紙には木下の現実世界への不平不満がきっちりとフォーマット化されてまとめてある。何人もの転移希望者を見てきた北嶋には、そこからその人物の大まかな傾向をつかみ取ることができる。


 だがそれはあくまで傾向であって、実際の人格や適性をより正確に判断するには、直接対話をするのが効果的だ。

 自分が望んでいるものとは全然違ったものが、案外本人を幸福にするということは少なくない。


「はい、いつまでこんな人生を続ければいいのだろうと考えてばかりです。」


「ずいぶんと疲れ切った様子ですね。ご希望では、静かな世界でゆっくりとした人生を歩みたいとありますが、静かというのは具体的にどういうことでしょうか」


「今の生活は、なんというか、ただ働くために生きているという感覚なんです。生活費を得るために平日は毎日遅くまで働いて、たまに訪れる休日も、生活を維持するのに必要なあれこれに時間を使って、あとはただ、仕事に備えてひたすら体を休める……。そんな日々の繰り返しです。

 だから、もっとゆとりが欲しいんです。別にこんなに働かなくても、生きていくだけのお金は得られるだろうし、余った時間をもっと自分にとって大切だと思えることに使いたいんです。

 『静か』というのは、いうなれば、そういう余裕を求める生き方に対する『休んでばかりなんてだらしがない』だとか、『忙しい人ほど立派で偉い』みたいな、世間の窮屈な圧力から解放された状態です。」


「なるほど、そういうことですか。木下さんは、今の世界はお嫌いですか」


「嫌いかって言われると、そこまでではないですね。もちろん不満はありますが、別に今の世界が憎くて傷跡を残してやりたいとかではなく、ただ逃げ出したいという気持ちが強いです。自分には、今の世界は向いてないんじゃないかと思います。」


「まだ木下さんの異世界転移を確約したわけではないのですが、例えば弊社のホームページにも紹介例がある、『怠け者ほど尊敬される世界』は魅力的に見えますか」


「それは……程度にもよりますね」


 少し悩んで答えた後、木下は続けた。


「その世界に行ったら、きっとしばらくは怠けて暮らせるでしょう。正直それは、魅力的に感じます。

 ですが、もしも何かに、忙しいほど夢中に取り組んだとしたら、軽蔑されてしまうかもしれない。そう思うと、理想的とまでは言えない気が……」


「先ほど木下さんがおっしゃっていた、『窮屈な圧力』というものが、向こうの世界でも降りかかってきますね」


「もちろん、完璧な世界に行けるなんて思ってませんよ。今よりましなら十分です。自分はどちらかと言えば怠惰な人間です。

 みんなが大事にしている、勤勉を良しとする価値観に疑問を持ってしまっている時点で、やっぱり今の世界は自分に向いてないと思うんです。だったら、ひたすら怠けていられる世界の方が性に合っています。」


「そいういうことですか……。私のような、現実と異世界の連絡を取り計らう立場の者が言うのもなんですが、とても現実的な判断ですね」


「それは……、確かに……」


 木下は苦笑した。

 これまで生きてきた世界と縁を切り、都合の良い異世界で人生のリスタートを切ろうなどという、非現実的な望みを抱いてここに来ているというのに、なんとも現代人らしい、妥協が前提の現実的な判断をしているのだ。

 そんな自分の滑稽さに、内心笑わずにはいられなかった。


 そのあとは、普段の生活態度に関することや、職場での苦労話など、現実世界での木下の暮らしぶりについて何度か質疑応答が交わされた。

 まるでカウンセリングのようですね、と木下が冗談交じりに言うと、「カウンセリングでどうにかなるレベルの人なら異世界行こうなんてしませんよ」と冗談なのか本気なのか分からない答えが返ってきた。


「……さて、これで審査は終わりますが。何かご質問はありますか?」


「実は、今日ここで色々話しているうちに、魔法が使える世界みたいな、少しくらい冒険のある世界も悪くないなって思ったんです。ですけど、向こうの世界に行ったら、やっぱり別の世界がいいなんて頼むことはできませんよね……?」


「ええ、そうですね。色々事情があるのですが、頻繁に何度も世界を移動なんてできないんですよ。よっぽど転移先での暮らしが悪いとかなら例外ですが、そもそも私たちはこうやって慎重に転移希望者の方々を審査して、適切な世界をご紹介しているので、滅多にないことです」


「分かりました。」


 木下は少し懸念していた。過去の経験から言って、この面接の感触なら審査はほぼ間違いなく合格だと思っていたが、とすると問題はその先で、転移先の世界が本当に自分に合っているかだった。


「では、審査の結果はいつくらいにお知らせしていただけますか?」


「別に今すぐでよければお答えしますよ。」


「でしたら、お聞きしたいです。」


「はい……。残念ながら木下さんを異世界に連れていくことは出来ません。」


「え……? そんな、自分で言うのもなんですが、面接は結構良い雰囲気のようでしたし、何も問題ないと思っていたのですが……。」


「はいそうです。問題がなさすぎますよ。」


 虚を突かれた返答に木下は返事を忘れていた。


「強いて言うなら木下さん、あなたにぴったりの世界は今の現実世界ですよ。間違いなく」


「……。何を言ってるんですか? 僕は、この世界に向いてないとずっと感じているのですが」


「応募用紙の内容を見た時から思っていましたが、きちんと自分の置かれた状況を理解しつつ、どうありたいか考えをお持ちのようですね。面接での受け答えもしっかりしていますし、今まで実際に異世界に行った人たちなんか、たしかにこの社会でやっていくのは難しいと思わせるくらい癖の強い方が多かったです。彼らと比べると、そんなんじゃ社会でやっていけてしまいますよ、と言いたいくらいです。」


「それでも今の環境はとてもつらく感じます。もう現実から逃げ出したいんです。」


「でしたら違う世界を目指す前に、違う職場を目指すべきです。」


 なんだか言いくるめられているようだと木下は思った。仕事がつらいなら仕事を変えればよいと言うが、この国に住んでいれば結局はどこでも忙しく生き続けるだけではないか、と思った。


「そう簡単に上手くいくものでしょうか」


「少なくとも、異世界に行くよりは堅実だと思いますよ。異なる世界の、異なる価値観に飛び込んで、ゼロからのスタート。そこで、自分に合っているからなんの未練も後悔もないという風に割り切るのは、普通の人にはなかなか難しいものです。木下さんは、なんだかんだで普通側のお方だと思いますよ。」


「そいういうものなのでしょうか」


「普通の人が、あまりの忙しさで疲れ切ってしまい、思考が極端になっている状態です。もっと現実的な選択肢があなたにはたくさん用意されているはずです。異世界で新しい人生を送るくらいの意気込みがあるなら、それらの選択肢を思い切って実行する勇気が出せると思います。 

 『この世界に向いてない』なんて言ってはいましたけど、木下さんの経歴や現状を見る限り、むしろ向いてる方だと思いますよ。」


「そいう言われてみると……」


 木下が考え込んでいると、急にまわりの空気が変わった。

 一瞬だけ、真空のようにすべての音が失われた後、風がほほをかすめた。

 木下は、自分がいつも利用している駅のホームにいることに気づいた。


「ここは……」


 いったい何が起きたのだろうかと周りを見渡したが、木下がいつも見ている風景と何も変わらなかった。もう夕暮れだった。


 しばらくして来た電車に乗り込み、ふと上を見ると、以前も見たあの広告が目に入った。確かにあのアルトライフという会社は実在していたようで、面接に行ったのもきっと現実なのだろう。

 

 ただ、そもそも異世界というものは本当にあったのだろうか?

 

 自分のように、現実から逃げ出したいと思っている人を呼び寄せて、あれこれ説得して元気づけるのが目的だったのではないだろうか?

 だとしたら上手くできているものだ、と木下は思った。 

 妙に晴れやかな気分で窓の外を眺めた。

 

 遠く、茜色に照らされたビル街がゆっくりと流れていく。あそこでは、休日だというのに忙しく働いている人もいるのだろう。

 窓に映った顔は、確かに自分のものだった。


 *****


「オリヴィアさん、けっこう演出にこだわりますよね……」


 北嶋が誰もいない面接室で言った。


「そう? でもどうせ審査落ちなら、ちょっとミステリアスな感じで送り返した方が面白いじゃないですか」


 イヤフォンから返事が返ってくる。


「いきなり目の前で転移魔法が発動して、こっちは驚きですよ。」


「まあまあ、いいじゃない。映像で見てたけど、相変わらずここの世界の人は真面目ねー。あなたも、さっきの人も。」


「だからこそ、落としたんですよ。ああいう、完全な怠け者にはなれない普通の人が、この世界じゃ多数派なんです。彼は、なんだかんだこの世界で上手くやっていくでしょう。」


 北嶋が、床に落ちている紙を丁寧に拾いながら言った。


「ところで、部屋の片づけ手伝ってもらえませんか? 次の会議までに椅子と机を並べておく必要があるのと、見ての通り、魔法が発動したときの風で紙が散らばってるんです」


 何枚かまとめた書類を机の上に置いて、部屋の隅の隠しカメラに向かって言った。


「はいはい分かりましたー。」


 オリヴィアが部屋に転移してくる。風と共にスーツ姿の女性が現れ、何か大仕事でもやり終えたような満足げな表情で、細い尻尾を優雅に揺らした。

 北嶋がまとめた書類は、再び宙を舞った。


「あ、ごめんなさい」


 *****


「ねえ北嶋さん。さっきの人さ、別の世界でもまあまあやっていけそうなくらいには魔力持ってたけど。もったいなくないですか?」

 

 床に落ちて貼りついた紙切れを拾うのに苦戦しながら、オリヴィアが言った。


「適材適所を図るのが、僕らコーディネーターの仕事ですからね。とにかく人を送ればいいってわけでもないですよ。オリヴィアさん、逆に変な人材をこっちに送るのはやめてくださいよ」


「ええー、送ってないよー。審査の時は割とまじめにやってるんですよ、私。」


「まあ、それならいいんですけど……。あ、そういえば、さっきの木下さん、どこに転移させたんですか。」


「ちゃんと駅のホームに飛ばしました。もう線路に転移させたりしないあたり、私も北嶋さんの真面目さが移ってきたかも……」


 北嶋が呆れた顔になった。自動改札を出るとき引っ掛かっちゃいますよね、と突っ込みを入れようかと思ったが、面倒くさくなったのでやめた。

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