調香師見習いリァン

黒鍵猫三朗

調香師見習いリァン

「うーん……? この香草はそろそろかなぁ。こっちはまだね……」


 見習い調香師リァンは棚の引き出しを次々と引っ張って香草を取り出すと鼻の近くに持っていく。香草を見たり振ったりとしばらくいじっては引き出しの中に戻したり机の上に置いたりしていた。


「あれ、ここの香草ってなんだっけ?」


 リァンは棚の一番上の一番端にあった引き出しを取り出すために脚立に上る。スカートを抑えながら引き出しを引き抜くと中を覗き込んだ。


「何これ?」


 引き出しの中にはジャムが入ってそうな瓶があった。瓶の中にはお店の商品である香り袋、それもずいぶん古いタイプのものが入っていた。


「リリアン・ファルクス・ボーステーラ?」


 人の名前だ……。ボーステーラってどこかで……。あれ? リァンは困惑する。先生の教えに反していた。



“人が持つ生来の香りを調合してはならない”



 これは調香師になるうえで一番最初に教えられたことだった。まだ、見習いとして大して経っていないリァンにはどうしてそうしてはならないのか、わからない。

それでも、その程度の事も守れないで師匠に教えを乞うわけにはいかないよね。でもなんで……? これは先生の字だし……。


「すみませーん!」


「あ、はーい!」


 リァンはツボを元の引き出しの中に戻すと、慌てて店先へと走る。


「いらっしゃいませ!」


 そういいながらカウンターに入ると一人の男がそこに立っていた。髪の毛をがちがちに固めアクセサリーをたくさん首から下げているその男はリァンの主に胸をちらりと見た後、リァンに言う。


「実はー。俺の好きな人の香りがする香り袋を作ってほしいんすけどー?」


 リァンはペコリと頭を下げて言う。


「すみません。人の香りを調合することはできないんです」


「えー? そうなの?」


 男の表情が明らかに曇る。


「はい、その代わり、差し上げる方の特徴をお聞きして最適な香草を選ぶことができます!よければ私が選びますよ?」


「じゃーお願い」


 リァンは男に香草の香りや効能などを説明した。だが、男はほとんど聞いていないようだった。結局、男は一番最初に見たラベンダーを指定すると、リァンが疲労回復のおまじないを少しだけかけたところで香り袋に詰めて持って帰ってしまった。


「あれはちょっと危険だな」


 リァンが後ろを振り返るといつの間にかカウンターにローブを着こなす初老の男が立っていた。手には作りかけの香りの瓶詰が握られていた。


「イオン先生! いらっしゃったなら出てきてくださればよかったのに」


「いや、彼はきっと私が話しても聞きはしなかっただろう。それにどうせ明日、彼はもう一度うちに来るよ」


「ええ?」


 イオンはリァンにそれ以上語ることはなかった。リァンは悶々(もんもん)としながら香草の整理をする羽目になってしまった。


 翌朝、リァンが店を開けた途端に昨日の男が店に入ってきた。


「お前たちのせいだ!」


「どうされましたか、お客様!」


 リァンは大声で叫ばれてしまい、心臓が飛び上がってしまう。


「これ、どうしてくれるんだよ!」


 リァンは男が指さす鼻を見る。その花は真っ赤にはれ上がって昨日の三倍ほどの大きさになっていた。


「ええっ! これは一体……?」


「これのせいで彼女と別れることになっちまったじゃねぇか! 金、返しやがれ!」


 リァンがあたふたしていると奥からイオンが出てくる。男の状況をさっと見て把握すると言う。


「香り袋に何を入れた?」


「は?」


「香り袋に何を入れたのか聞いている!」


 イオンの剣幕に男は押される。男は一度言い返そうと顔を上げた。だが、イオンの目がまっすぐに男の目を捉えているのを目の当たりにし、黙ってうつむいてしまった。


「大方、好きな女の皮膚やら髪やらを入れたんだろう? 馬鹿者め」


「馬鹿じゃねぇよ!」


「いや、大馬鹿だ。そんなことをして得たのがその鼻だ。人の香りを得ようとその人の何かを香り袋に詰めるとな。そのにおいを嗅いだ人間にその人が見ている世界を映し出す。そんなおまじないをかけたことになるんだ。お前はその彼女とやらからそんな風に見られていたというわけだ。その真っ赤な鼻を持った、ピエロのようにな」


 男はしょんぼりする。リァンは気が付いた。ピエロのように思われていると感じていたからこそ、彼女の匂いを追い求めたんじゃないかと。そんな風に思われていると知っているのに追いかけてくる男がいるっていう女。すごいな。


「これを飲みなさい。三日もすればもとに戻る」


「……ありがとよ」


 男の肩は見るからに落ちていた。リァンはそんな男に一つ、カウンターの後ろに置いてあったアロマキャンドルを渡す。


「これ、私が練習で作ったものなんですけど……。よかったら焚いてみてください。きっと、今のあなたにぴったりだと思います」


 薄く緑色に着色されたキャンドルには心の平穏を込めたおまじないをしていた。男はキャンドルとリァンの顔を交互に見つめるとボソッと言った。


「胸はねぇけど優しいな。ありがとよ」


「んなっ!」


 リァンは口を大きく開けて男を見送ることになってしまった。後ろを振り返るとイオンが口元を抑えている。リァンは顔が真っ赤になるのを感じた。胸を抑えつつ、イオンにツンとした声で話しかける。


「……イオン先生。さっき男に渡したものの材料は何ですか?」


「え? リァンの髪の毛」


「えっ!」


 リァンは自分の髪の毛を抑える。


「嘘。私の爪の垢だよ」


「ええっ? それだけですか?」


「ふふふ」


 リァンは眉をひそめてイオンの事を見つめる。イオンの弟子が全然増えない理由がこれだ。真面目に教えてくれることが無い。私の修行の中で最初に身に着けるべき力は先生の発言が本当なのか嘘なのか、それだけなのかまだあるのか見極めることなのよね……。


「ごめんください!」


 走り込んできた男は全身に見事な金属光沢をまとった衛兵の男だった。


「どうかしたかね?」


 相手の慌てようを全く受け止めることなく、イオンはのんびり答える。


「ボーステーラ王からの伝言です。例のあれ。頼む。と」

リァンはあっと出てしまいそうな声を抑えてイオンを見る。イオンははぁぁぁぁぁぁと長い溜息をつくとひとり呟いた。


「そうか。もうその時が来てしまったか。リァン、棚の一番上の一番端の引き出しに入っている瓶を持ってきなさい」


「はっ、はい!」


 リァンとイオンは衛兵に連れられ王城の中に入った。ほとんど手続きをすることなく、あっという間に王の寝室へと通された二人はやせ細り、時より咳をする王の横に座った。


「よく来た。イオン。例のあれ。持ってきたか?」


「はい」


「もういいのだよな? 私の死に際に開封すると言う約束だったろう?」


「おっしゃる通りでございます。こちらを」


 イオンはリァンから瓶を受け取ると王の前に見せる。


「ああ、我妻リリアンよ……。さあ、イオン、開けてくれ」


「はい」


 イオンは恭しく一礼すると瓶の蓋に力を籠める。年代物の瓶だったため、少し耳に残る高音が鳴りながら蓋が開く。イオンはすぐに瓶を王の鼻の前に持っていく。


「ああ。リリアン。お前の匂いだ……! もう、十年以上、お前に触れていない……。だが、庭園に入るとき。風呂に入るとき。布団に入るとき。ふとした時にお前の匂いを思い出す。そのたびに私の心は鞭打たれ縄で縛られる思いだった……」


 寝室の中にいた大臣や側近たちがざわめく。リァンもその光景に見とれていた。目の前の王が、いつの間にか若かりし頃の精悍でたくましい青年になっていた。


「リリアン。そうか、待っててくれているのか。今行くぞ……」


 青年の面影はすぐに消え、王の瞳から光が消えた。側近の大臣、そして王の息子がイオンに一礼する。イオンも黙って一礼を返す。リァンは王の表情を見つめる。なんの後悔も残していない。すがすがしい死に顔だった。


 帰りの道すがら。リァンはイオンに聞いた。


「ねぇ、先生。人の香りは作っちゃいけないんじゃなかったの?」


「ん? その通りだ。他人の香りを作ってはならない」


「他人!? それなら自分の香りは作っていいの?」


「その通り。自分で作る自分の香りにはその時の自分の気持ちを込めることができるからな。王妃様は先に行って待っているという思いを込めてあの香り袋をお作りになられた」


 リァンは先生の教えがとても言葉足らずであることを再認識し、教えを受けたらちゃんとその理由まで考えようと後悔する。


 でも、言葉足らずなのも先生としては失格よね? 突然、リァンはにやりと悪い表情を浮かべると、イオンに格別な笑顔を向けて言う。


「ねぇ、先生。私も自分の香り袋作ろうかな!」


「ほう? リァン。好きな人ができたのか?」


「イオン先生だよ!」


 イオンは眉間を打ち抜かれたかのようにぽかんとした表情を浮かべる。


「嘘! 先生、ドキッとした?」


「しない!」


 イオンはそっぽを向いて早歩きし始めてしまった。


「待ってください、先生!」



 いつか私も先生のこと、私の調合した香りでドキッとさせたいな。

 そう願いながら、リァンは早歩きのイオンに駆け寄った。



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