幸いの国
深山木
出会い
冷たい風が頬を刺すように撫でては通り過ぎていく。
マフラーに顔をうずめるが、少しはましになる程度でしかない。
今日は晴れていたからまだマシだ。
これで雪でも降っていたらと頭をよぎったが、考えることを途中で放棄した。
遠くに白く化粧をした山々があり、稜線の向こうに陽は隠れてしまった。
夜の帳は刻々と深くなり、麓の村には人間の営みが灯っていた。
○ ○ ○
半刻程歩いて、村についた。
大きな壁に囲まれ、入り口は閉じられていた。
「誰かいませんか。こんな時間にすみません。門を開けてくださいませんか」
大きな声を出して呼びかけると、壁にある小窓から体躯のよい男が顔を覗かせた。
「おい、坊主。こんな時間に辺境の村に来るなんざ、なんか訳ありかい」
「・・・ゆっくり歩いていたら日が暮れただけです」
「そうか。こんな所まで歩いて来たんか。今、扉を開けてやるからそこで待ってろ」
言うが早いか、窓を閉めた。男が来るまでと、歩き通しで疲れていたボクは壁に背中を預け、風をなるべく受けないように蹲って待っていた。
「坊主、待たせたな。ん、ああ、そこか」
すぐに男は大きな門ではなく、隣にある大人一人通るのがやっとであろう扉から出てきた。
壁際にいたからかすぐに見つけられなかったのか、キョロキョロと辺りを見回していたが、見つけると柔和な笑顔を向けた。
壁から背を離し、立ち上がり、男を見た。
「仕事を増やしてしまって、すみません」
「いや、俺も暇していたし、これが仕事だからな。気にするな。とりあえず、外は寒いし、入れよ」
ありがとうございますと礼をモゴモゴと口ごもる。
男は先ほどまで自分がいたであろう部屋に案内してきた。乱雑に物が置かれた部屋は、暖炉があり、暖かい空気で満たされていた。外套を脱いで、座って待ってろと言うと部屋から出ていった。
人の部屋で勝手をするのも悪いと思い、コートとマフラー、帽子を脱いで、椅子の近くでただ立っていることしかできなかった。
また、しばらく待っていると湯気の立つカップとパンの入った皿を持って帰ってきた。それらを机に乗せると、こちらを上から下まで見てきた。
「なんだ。そんなところで突っ立って。ほら、その外套貸せ。そこに掛けるから」
勢いに押され、渡すとそれらは壁に掛けら
れ、自分が着ていた厚手のコートも隣に掛けた。
そして、こちらを向くとニッと笑い、机を挟んでボクの対面にある椅子に腰を掛けた。
「お前さんもそこに座って、それ食べろ。・・・さて、俺の名前はスヴェン。この村で先祖代々、暮らしている。お前さんは」
「えっと、ありがとうございます。ボクは、うんと南の村から来たジョシュアといいます。【幸い】の国を探して、旅をしています。なにか、知っていたら教えてもらえると、ありがたいです。この間寄った村には手掛かりがなかったので・・・」
再三促され、目でも促されたので、椅子に座るとスヴェンは満足げな顔をした。
「幸いねぇ。そんな国、聞いたことないが・・・。ともかく、話はお前さんが暖まってからだ。外は寒かっただろうからな」
「ですが、いろいろしてもらって悪いです」
「いいから、いいから。子供は大人に甘えてろ。ほら」
この人は、おせっかいが好きなのだろうか。きっと裏があるはずなのだ。
いくら子供だと言えど、初めてみる人に対して、こんなに優しくするだなんて。意味もなく優しくするなんてありえない。
そんな気持ちとは裏腹に、体は心底冷えているため、湯気を立てながら私を飲んでと誘ってくる飲み物は目に毒だ。
どうすればと考えていると、おじさんは再び裏表のない笑みを浮かべながら勧めてきた。
「あの。ボクは何をすればいいんですか」
「何を言っているんだ」
「だって、街の人は、見返りに無しに何かを与えることはなかった。あなただって、何か求めるんでしょう。でも、ボクには渡せるものは何にもない。返せない。こんなにしてもらっても払えるものがないんだ」
「・・・何も求めない。この村では困っている奴がいたら、助ける。だから何も返さなくていいんだ。その場で返してもらわなくても、巡り巡って自分のところに帰ってくるんだから」
「どういうことですか」
「ん・・・理解しなくてもいい。とりあえず、それ食べろ。冷めちまったら勿体ないだろう。そのあと話そう」
「いや。だから、なにもかえせなッ」
「つべこべ言わずに食えって」
静かに言い争っていると、いきなりスヴェンは、口に堅いパンを突っ込んできた。
不本意ながら、それを手に取り、顔を伺うと満足げな顔をしている。
パンを口に含むと、麦の香りがふわりと広がる。
思わず、顔が緩んでしまった。
膜を薄く張ったミルクが湯気を立て、私を飲んでと誘ってくる。
思わず手を伸ばし、コクリと喉を鳴らす。
内から冷え切った体をぬくもりで包んでくれる。
腹ペコだったこともあり、夢中になって食べていると、追加のパンが机に並んでいた。
「おいしいか。おかわりも持ってきたから気のすむだけ食べろ。な」
「これは、もし、毒が入っていてここで死んだとしても後悔しないくらい美味いです」
「おう。どんどん食べろ」
ボクを見やり、スヴェンもパンを口へ運ぶ。
実際、この人が毒入りの食べ物を用意しているとは思えない。
だけど、人を疑うことで今まで生きてきた。
だからなのか、素直になれずに口はいらないことばかり吐いてしまう。
そんな自分に嫌気がさした。
パンをしこたま食べてやったので、お腹がきつくなってきた。山のように積まれていたパンは、ほとんどなくなっていた、食事中、常にこちらを見ては、笑みを浮かべていたスヴェンに顔を向ける。
ここに着てから、まだ数刻も経っていないが、彼の笑った顔ばかり見ている気がする。
「そんなに観察して、何が楽しいんですか」
「嬉しそうに食事をしている人を見て、気分が悪くなる人がいるものか。パンはもういいのか。」
「・・・ごちそうさまでした。で、話を聞いてくれるんですよね」
「ああ。聞いてやる。お前さんは、何かを得るには、何かを返さないといけないと考えているみたいだからな。それが、食事の対価だ」
「はぁ。そんなのが対価でいいんですか。何の価値もないですよ」
「それでいいんだよ。そもそも、対価がないとなんて言い出したのはお前だろう。それに俺はこの辺の村しかしらないからな。旅人がほとんど来ないこの村で、南の国の話が聞けるなんてな。是非とも聞きたいんだ」
「あなたがそれでいいなら、話しますよ」
人が良すぎるスヴェンにつられたのか、美味しい食べ物に影響されたのか、ぽつりぽつりとボクが北を目指す理由を、口が紡ぎ始めた。
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