行儀のいい日

@ns_ky_20151225

行儀のいい日

 小さい子たちが手をつないで歩いている。幼稚園児だろう。皆いい子たちで、先生の言うことをよく聞き、静かに歩いていた。

 そこに通りがかった中高生くらいの女の子二人連れは、園児の列が通り過ぎるまで立ち止まって道を譲った。先生と園児たちが頭を下げた。


 その向こうで、食料品店から出てきた中年過ぎの女性は菓子を剥くと包装紙をそのまま捨てた。いつもしているようなためらいのない一動作だった。


「象徴的だな」

 私は喫茶店からその出来事を見ていた。それから一口コーヒーを飲み、前の友人にそう言った。


「でも、あたしらはあのポイ捨て女の側よね」

 そう返事してこっちをじっと見る。きれいだが、すこし皺が寄り、沈んだ目だった。


「どのあたりが境目かな、三、四十くらい?」

「そう思う。『大混乱』の後の世代はみんな処理済みだから」


 処理、か。あえてぼかした言い方をする気持ちはわかる。我々の世代は人の心を制御しようとする試みに対し、拒否的反応をするようにできている。

 しかし、それが偏見だとしたら。


「正直言って、あの子たちの事、気味悪いって思う」

 声を潜めた。そうする必要はないのだが、社会批判を堂々と大声でする気にはなれないのだろう。

「規範強化処理されてるから? それと、年取った俺らにはもう受けるのは無理だから?」

「はっきり言うのね。そうよ。あたしたちはひっくり返ってもああはなれない。遺伝子や神経のレベルで規範を守るなんて。せいぜい頭の中で考えるだけ」

「だから、昔は人それぞれだった。道徳や、倫理や、規範をどう解釈し、実践するかは個人まかせだった。考えようによってはそっちのほうがおぞましいな」


 彼女の言い方がきっかけになり、頭の中がざわざわした。軽い議論をしてみたくなったので、規範強化処理を推進した側の言い分をわざとぶつけた。


「だからって、道徳や倫理をウィルスとナノロボットで遺伝子に書き込んだり、規範を守るよう脳の報酬系をいじったりするのはやりすぎ」

 彼女も乗ってきた。当時の反対派の意見だった。

「『大混乱』を引き起こした奴らには価値はないよ。個人を過剰に強調し、思想の多様性を尊重しすぎた結果があの悲惨な時代だろ。群れを作る生物であるヒトがばらばらになりかけたんだから」

 今度は急進的推進派の主張を混ぜてみた。実際、欧米の一部の国家は内部から解体してしまった。そういった『進歩的人権擁護派』の支配する国々は個人の価値を高く見積もりすぎた挙句、社会が崩壊してしまったのだ。

「つまりはゴミのポイ捨ては個人の自由でも何でもない。ただの悪だな」

「いいえ、ポイ捨てそのものはだめだけど、その『だめ』っていうのは個人の自由意志から出た思考でないといけないのよ。すでに書き込まれてるんじゃなくて」


 私はちょっと苛立った。規範強化処理をめぐる様々な考え方をなぞるつもりだったのだが、『思考の自由』にはどうしても同意できなかった。個人によって構成される社会があって、社会が自由なものでないのに、個人だけ自由でどうするというのだろう。

 それに、昔から自由なんてあったのだろうか。


「でも、『思考の自由』を認めてた時代なんてなかったんじゃない? 以前は親や教師とか、大人っていう権威が子供に道徳を教えて従わせてたんだから」

「違うわ。その時代には若者は反抗できた。反抗期ってのがあって、やたら規範に逆らってた。そうして自由に考える事を体で学んだのよ」


「何が悪い? こんなにいい時代なのに。若い世代は行儀よく、物静かで、譲り合って暮らしてる。社会の一員っていう感覚が本能になってるから合理的であれば絶対に規範を破らない。まさか、君は処置をさせたくないの?」


 彼女は首を振った。


「いいえ、戻りたくない。今はとってもいい時代。だけど……」


「だけど?」


「あたしたちねぇ、『近頃の若い者は』って言えない最初の世代なのよ」


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