ワレモコウの咲き出す頃に

鈴木 千明

ある夏の日

 人にはそれぞれ、自分だけのルールがある。俺にもある。むしろ、多い方だと思う。

起床時間と就寝時間、通勤に使う道と電車、起床直後と就寝直前にすること、洗濯をする曜日、米を炊く曜日、スーパーに寄る曜日、週に見る映画の本数、月に買う生活用品の数、3度の飯と間食の内容、などなど。

俺の生活は事細かなルールで決められている。もちろん、これに沿わない日もある。夕飯を誘われたり、仕事が予想よりも長引いたり。ただ、俺を飯に誘うような友人は数えるほどしかいないし、仕事も卒なくこなせる。だから、この1日が崩れるのは月に1度ほどだ。

 アラームの音で、いつもの時間に目を覚ます。ベッドから起き上がり、お湯を沸かす。メッセージを確認すると、夕飯の誘いが来ていた。いつもと違うな、と思っていると、ケトルのスイッチが戻る。氷を1つマグカップに入れて、お湯を注ぐ。白湯を飲みながらテレビを付けて、冷凍の白米をレンジにかける。その間に器と卵を取り出して、納豆をかき混ぜる。いつも通りだ。

 居酒屋で近況報告をすると、目の前の男がわざとらしくため息を吐く。

「つまんなくないの、それ?」

数えるほどの友人の1人だ。俺の猪口に日本酒が注がれる。

「別に。」

「別に、ってなぁ…」

「いちいち考えるより、楽で良い。」

「だから彼女できねぇんだよ。」

「恋人がいたら、考えなくちゃいけないだろ。」

「はぁ…お前、告白されても断ってたもんな。」

こいつは高校からの友人で、勤め先が違う今でも俺に声をかける、変わった奴だ。

「恋人じゃなくても、良い趣味見つけろよ。旅行とかさぁ。」

「映画は好きだ。」

「もっとアウトドア系!仕事辞めたら苔が生えるぞ。」

「スーパーには行く。」

「それは〝出かける〟に入らねぇよ。それにお前のことだ、“ ネットで頼んだ方が割安で時間がかからない。” とか言い出すに違いない。」

「…それ、良い案だな。」

「実践するなよ!?」

勢いに押されて、渋々頷いた。

 その後、そいつのフラレ話を延々と聞かされ、居酒屋を出た。

「よーし、2軒目行くぞー!」

友人は、酒に強くない癖に、酒を飲むのが好きだ。

「良いだろ?明日は日曜だし、まだ8時だし!」

「お前の酔い方は深夜ばりだけどな。」

「酔ってねぇよ!」

どう撒こうか考えていると、友人が “ ん?” と声を上げる。視線の先には、1人の青年が立っていた。大きな鞄にスケッチブックが立てかけられている。

『ヒッチハイクで日本一周の旅をしてる大学生(休学中)です!どなたか一晩泊めてください!』

手にももう1つ、スケッチブックを持っていた。

『ついに東京!都会すげー!田舎者は震えております(笑)今までに助けてくれた方:162人』

その下には、“ 今までの旅の模様はこちら→ ” という文字と、SNSのアカウントIDらしきものが載っている。

「んー?」

寄って行こうとする友人の腕を引く。俺のハプニングへの対処法は、“ 自分に損失が出ない限り助ける。 ” だ。時間的ロスが生まれるのは目に見えている。

「そこのお兄さん!」

目が合ってしまった。

「はいはーい、お兄さんですよー。」

友人が俺の手をすり抜ける。

おい、俺らは〝おっさん〟だろうが。

「日本一周?すげぇな!」

「たくさんの人に助けていただいて、旅をしているんです。でも、今晩はまだ泊まるところが見つかっていなくて…こんな大都会で野宿かー、って感じです。」

人当たりの良い青年。このご時世、日本でヒッチハイクなんてできるのか疑問だったが、彼ならできそうだ。

「なら、俺ん家に泊まるか?」

「良いんですか!」

おいおい大丈夫かよ、この酔っ払い。このまま泊めて朝起きたら大騒ぎ、なんてなったら、さすがにヤバいだろ。

そんな俺の不安を他所に話は進み、夜飯を食べていないという青年と共に、2軒目に行くこととなった。

 青年によると、大学を休学し、いわゆる〝自分探しの旅〟をしているらしい。支度金が少なかったため節約していたところ、旅費をほとんど使わずにここまで来れたと言う。友人のスマートフォンでSNSのアカウントを覗いてみると、行く先々で助けてくれた人や、紹介された物、景色、あと、なぜか野良猫の写真がたくさん貼られていた。隣に座る青年は、そこでの思い出を語ってくれた。よくこれだけ鮮明に覚えているものだ。

 さすがに心配なので、俺も友人の家に泊まることにした。“ 珍しいー、寂しくなったか? ”と冷やかされたが、万が一、友人が何も覚えていなかったら、この青年が不憫だ。

 友人は家に着くと、すぐに寝てしまった。

お前が家主だろ。

仕方なく布団を自分で引っ張り出す。青年はバッグから寝袋を出していた。

「布団、もう1つあるけど。」

「いえ、寝袋で良いです。むしろ慣れすぎて、これならどこででも寝られるんです。」

青年は、もう寝息を立てている友人に “ ありがとうございます。” と静かに言って、布団を掛けた。

 寝る支度を済ませ、電気のスイッチに手をかける。

「電気、消して良いか?」

「はい、おやすみなさい。」

パチン、と部屋が暗くなる。青年を踏まないように気をつけながら、布団に潜る。いつもしているホットアイマスクが無いせいか、なかなか寝付けない。

あ、日曜の朝は米炊く日なのに…

「なぁ、」

「…なんですか?」

「旅、って辛くないの?」

「大変ですけど、辛くはないですかね。」

「なんで、始めようと?」

「…俺、けっこう決まりきった生活をしていたんです。同じ時間に起きて、同じことをして、同じ道を歩いて、同じ時間に寝る。嫌いじゃなかったですよ?自分に必要なことと、自分の好きなことで満たされた毎日ですから。でも、ふと思ったんです。もっと他に、自分の求めていることがあるんじゃないか。世界には俺の知らないことがたくさんあって、運命的な何かが待っているんじゃないか、って。」

「もし、なかったら?」

「はは、意地悪なこと言いますね。俺もそう思って、最初は不安でした。でも、たくさんの人が助けてくれたから、もし〝何か〟が見つからなくても悪い旅じゃなさそうだな、って。…もしかしたら、この旅そのものが〝探し物〟かもしれません。それは、終わってからのお楽しみですね。」

…米は、まぁ、良いか。

 次の日の夕方、青年を送り出してから自宅に向かう。いつも通勤に使っている道を、いつもとは違う歩幅で歩く。通る度に吠える犬が、今日はいなかった。何度も見ているはずの大きな一軒家の庭に、ワレモコウが咲いているのを初めて見た。赤い穂状の花々の、上半分までが開いている。夜飯は作り置きのものを温めればあるが、コンビニに寄った。酒売り場で足を止め、ショーケースの扉を開ける。予想よりも扉が軽く、頭をぶつけそうになった。

 家に戻って、普段は買わないおにぎりをかじる。テレビをつけて、観たことのないバラエティ番組を眺める。作ったばかりのアカウントで青年のSNSを見ると、3人でスカイツリーに登った時の写真が載っていた。

「…………」

少ない写真フォルダーの数字が、1つ増えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ワレモコウの咲き出す頃に 鈴木 千明 @Chiaki_Suzuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ