「ルール」は守らなきゃダメだよ?

@sakuranohana

第1話 ルールは守らなきゃダメだよ?

「たっくん!

今日は私達が付き合った記念日だから、今から『ラブション』でディナーだよね!」

アポなしで俺の会社に押し掛けてきた紫織が、ニッコリと笑う。

ふっくらとした薔薇色のほっぺにできた、えくぼが可愛い。


「ごめん、今夜は取引先の接待があって、今からデートすること自体が難しいんだ…。

毎月6日当日に必ずお祝いデートをすることは、なかなか難しいんだよ。

できたら、毎月ではなく、半年に一回ぐらいの頻度でお祝いしない?」


「えー!

だって、私達が付き合う時に決めたルールだよ?

今更取り止めだなんて、ルール違反だよぉ。たっくんは、もう私のことなんて、好きじゃないのね」


そう言うと、紫織はうずくまり、しくしくと泣き出した。


僕は、これまで何度も繰り返したこのやり取りに、心底辟易していた。


そうとはいえ、俺は、泣きじゃくる紫織をなだめようと、反射的に紫織の肩に手を伸ばした。


すると、周りの景色が、突然暗転した。

暗闇の中には、俺と紫織の二人きり。


「たっくん…。約束したじゃない…。

ずっと二人で一緒にいようって……」

その声は、目の前にうずくまる紫織から聞こえるが、紫織の声ではない。

男とも女とも区別のつかない、地の底から呻くような声だった。


突如、うずくまっていた紫織が、パッと顔を上げた。

痩せこけた骸骨のような頬に、充血した真っ赤な目。


変わり果てた、目の前の紫織の顔を見て、俺は、絶叫した。


――――――


俺は、自分の叫び声で目を覚ました。


――また同じ夢だ。

紫織と別れてから半年も経つのにどうして…。


俺は両手で頭を抱えた。


「どうしたの?涼ちゃん。

突然大きな声だして。

びっくりしたよ。

顔色が悪いよ?」


亜衣が腕に手を絡ませ、心配俺の顔を覗きこんだ。

亜衣とは先週から交際を開始したばかりだ。


俺が時折、元カノの悪夢にうなされていることを、 亜衣はまだ知らない。


亜衣だって、俺が未だに元カノの夢を見ているなんて、知りたくないだろう。


「ごめん。俺のせいで亜衣を起こしちゃったよね。大丈夫だよ!ちょっと怖い夢を見ただけ」

そう言って、俺は亜衣を優しく抱き締めた。


すると、突然、俺の部屋の玄関のインターホンが鳴った。


亜衣がインターホンの音に驚き、ビクッと肩を震わせた。

「誰だろう?

ここのエリアは、こんな朝早くに宅配便が来るの?」

亜衣は、少し怯えた表情で俺を見上げながら言った。


スマートフォンの待ち受け時計を見ると、3/6の午前5時を指している。


恐る恐る、ドアの覗き穴に目を押し付ける。


すると、痩せこけた、目の赤い女が立っていた。

さっきの悪夢で見た女と同じだ。


「ひっ!」

思わず、俺は声を上げた。


「…たっくん、そこにいるんでしょう?」

かすれた低い声だが、それは確かに紫織の声だった。


「…」

俺は、驚きのあまり、声が出なかった。

渋る紫織を無理矢理説得して別れた後、初めて見る紫織の姿。

それは、以前の愛らしいそれとはかけ離れていた。


「たっくん、今日は付き合った記念日だよ。本当は月毎の開催だったけれど、半年毎にお祝いすることに変更したの、覚えているでしょう」


「俺達、半年前に別れただろう!」

俺は、思わず、ドア越しにいる紫織に向かって、声を張り上げた。


「そうだっけ」

紫織は、全く取り乱すことなく、答えた。


そして、そのまま、話続けた。

「でも、半年事に付き合った記念日のお祝いをするのは、二人で決めたルールだから。

たっくんも、半年毎ならば記念日のお祝いしても良いって承諾したよね」


「 だから、もうとっくに別れたのに、今更付き合った記念日なんて、おかしいだろう!」

額に冷や汗がにじむ。



「別れたら、お祝いを止める、なんて、ルールとして決めていなかった」


ドア越しに、紫織は怒りを含んだ声でハッキリと言った。


「たっくん、ルールはきちんと守ろう?」


そのセリフが聞こえると同時に、覗き穴の向こうにいた、紫織の姿が突然消えた。


それと同時に、右肩にずしりと重みを感じた。


俺は驚きのあまり、小さく悲鳴を上げ、飛び上がった。


振り替えると、亜衣が、俺の右肩に手をかけていた。


「何だ亜衣か、びっくりしたよ」

俺は、安堵のため息をつきながら、亜衣に笑いかけた。


亜衣は俺に笑顔を返すことなく、無表情のまま、語り始めた。

「私のお姉ちゃん、半年前に亡くなったんだ」


―――亜衣は何の話をしようとしているんだ?


俺は、亜衣の話の意図が掴めないまま、亜衣の顔を見つめた。


「お姉ちゃんは、世間知らずのお嬢様で、小学校から大学まで、ずっと女子校だったから、男に全然免疫がなくて。

それが、一年前、お姉ちゃんに生まれて初めて彼氏ができて。

それからはもう、こっちが心配になる位、彼氏中心の生活になっちゃった。

毎月、記念日を祝ってもらわなければ気が済まない、とか」


俺の背中には、変な汗が吹き出ていた。


「ある時を境に、お姉ちゃんが半狂乱になった。彼氏が残業と偽って他の女とラブホテルに行くのを見たんだって。

要は、浮気現場を見ちゃったんだよね。

その直後に、お姉ちゃん、彼氏に振られちゃって。

それ以降、お姉ちゃん睡眠薬無しでは眠れなくなった」


俺は、全身から血の気が引いていくのを感じた。


「悲しむのに疲れちゃったのかな。

お姉ちゃんは、ある日、睡眠薬を大量服用した。

その状態で、車を運転し、交通事故で

亡くなった」


「…」


そこまで聞いてようやく、俺は、亜衣の左手に鋭利な刃物が握りしめられていることに気がついた。


「あんた、一人の人間として、きちんと守るべきルール、あったんじゃないの」

そう言って、亜衣は、涙を浮かべながら、俺を睨み付けた。


次の瞬間、俺の胸部に鋭い痛みが走った。


遠退く意識の中で、亜衣の隣で、紫織が俺を見下ろしている姿が見えた気がした。






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