第四十二話 恋は突然やって来る
気が付いた時には、
女戦士――カトゥーラはピルツィが持つ〈
「ぶぎゃっ!?」
豚のような悲鳴を上げて床の上を転がるピルツィ。
衝撃で眼鏡のレンズが割れ、部屋の隅に飛んで行く。
「うぅぅううう……」
鼻を押さえて
「もう入って来ていいわよ」
「了解ッス!」
元気の良い女の声。
コナほどではないが背の高い大柄な女性で、がっしりとした骨太な骨格をしているのが分かる。
身に
彼女は床の上で
「ありゃりゃ、手ぇ上げちゃったんスか? 大丈夫なんスかこれ、後で怒られたりしないッスか?」
「フン、別に構いやしないわよ」
「それよりヴィルダ、あっち」
カトゥーラが顎で指したのは、バリケードで塞がれた倉庫の扉だった。
扉の向こう側は騒々しいが、危険はなさそうである。
ヴィルダと呼ばれた女
「あ~はいはい、了解ッス。それじゃあちゃちゃっと片付けちゃいますんで、周囲の警戒をお願いするッスよ~……―――おっ?」
ヴィルダがバリケードを退かす前に、ソレは倉庫の扉ごと、内側から体当たりしていた所員達によって破られた。
独特な刺激臭がツンと鼻を刺し、
研究室に雪崩れ込む所員達。
即座に状況を理解した彼等の行動は素早かった。全員でピルツィの
「―――
「言ってる場合か! ピルツィ所長! 大丈夫ですか、ピルツィ所長―――!」
「うぅぅううう……―――ハッ!? 貴方達、どうしてここにぃ!? 逃げ出したんですかぁ!? 自力で脱出を!?」
「倉庫にあった薬品を使って鍵を腐食させたんですよ! っていうか、それよりも鼻! 凄い鼻血ですよ、本当に大丈夫なんですか!?」
「あたまがぐらぐらしますぅ……まえがみえないぃ……」
目を回していたピルツィだったが、少しずつ意識がはっきりしてきたのか。失神する直前の出来事を思い出し、血相を変えて飛び上がる。
「いや、それよりもッ! 今、研究室に
「いい加減、そんなことはもう言いっこなしですよ! 第一、もうすぐそこに
「今まで散々、一緒に危ない橋を渡って馬鹿やってきた仲じゃないですか! 俺達みんな、死ぬ時だってお供しますよ!」
「貴方達……ッ! うぅぅううう! 結局ぅ、生まれてこのかた素敵なお婿さんには出会えませんでしたけどぉ! こんな素晴らしい部下達を持ててぇ……! ボクはッ、幸せ者ですぅぅぅ……ッ!」
円陣を組んで号泣する第005号砦技術学部研究所の一同。
辺りの空気は
あらゆる意味で割って入るのは
「はいはい、どーどー! お取り込み中なとこ悪いんスけど、こっちも色々と後の予定が詰めてて急がしいんで。そろそろその辺で
「―――愁嘆場っていうか、茶番でしょ」
「ちょっと~! ただでさえなんかややこしい流れになってんスから、
「フン……」
鼻を鳴らし、そっぽを向くカトゥーラ。
隊長である彼女のそんな子供じみた振る舞いに「まったくもう」と溜息を吐いてから、ヴィルダは努めてにこやかな表情で学士達に向き直った。
「皆さんは学士って人達で間違いないッスよね。ウチ等はアナタ方を迎えに来たんス。よく分かんないんスけど、新しいボスがどうやら皆さんに用があるらしくて。捕虜として丁重に扱うよう厳命されてるッス!」
「え……ボク、さっき殴られたんですけどぉ……」
「んー……まあ、そっちが武器を持って抵抗する場合はそうなっちゃうッスね。こっちも命懸けなんで。だから大人しくしててくれると助かるッス」
軽く拝む仕草をして、「ね?」とお願いするヴィルダ。それを受けて、技術学部の面々は揃って顔を見合わせる。
学士の一人が恐る恐る手を挙げた。
「……つまり、当面の間は俺達に危害を加えるつもりはないと?」
「その通りッス! だからひとまずは安心して欲しいッス!」
両手の人差し指と中指を立て、ヴィルダは可能な限り平和的解決を訴えた。
学士達はヴィルダの言葉に少なからず懐疑的な様子を見せているが、投降を決意するのは時間の問題だろう。
そもそも彼等が生き残るには、ソレ以外の選択肢などないのだから。
だが―――
(ひとまずは安心、ね……―――まったく、こいつもよくそんなことが言えるもんだわ)
密かに舌打ちを零すカトゥーラ。
戦いが始まってからずっと、研究室に立て籠っていた彼等には知る由もない。外が今、どんな
殺され、食され、犯される人間達。
その有り様はまさしく地獄だ。
カトゥーラは
魔王が強大な力を持っているのは間違いない。
だが、その存在を
けれど魔王は違う。
確かに彼は
天使をも容易く討ち倒すことの出来る力を。敵軍を
無論、その振る舞いは、『王』としては正しいものだ。
心酔し切っているモニカは元より、
だが――だからといって、非道な行いに目を瞑っていい理由にはならない。
戦場とは元より地獄そのものだ。しかしそうであるからこそ、戦士には誇りと矜持が必要なのだ。殺生とは仲間のため、正義の名の下に行うものであって、娯楽を目的とした殺しなど紛うことなき鬼畜の所業である。
別けても、カトゥーラの価値観においては。
そういう意味では、虐殺と姦淫に
今は味方だとしても――彼等の凶刃が、自分達に向かないという保障は何処にもない。
手放しで信じるには、あまりにも危険過ぎる。
口に出しはしないものの、それがカトゥーラの本心だった。
そして内心で同じような考えを持つ
とはいえ。
(色々考えたところで、結局――私達
「……はあ。ヴィルダ、後は任せるわよ。私は外で騎士共を殺してくるわ」
「えぇっ!? 大丈夫なんスか!? だって外は……」
ヴィルダはカトゥーラの顔と、彼女が背負っている弓とを交互に見やる。
言いたいことは言わずと知れた。
カトゥーラは
その彼女がどうして前線で戦わず、城の中で学士の捜索及び捕獲などという雑務をやっているのかといえば――当然、モニカとアーズィヴァが発生させた嵐の影響で、弓矢が使い物にならないからだった。
「やりようはいくらでもあるわ。それに、雑魚が相手ならコレだけで十分だし。問題ないわよ」
手の中の短剣をくるくると回して
それから、待機している男衆の方を向いた。
「アンタ達はこの馬鹿と一緒に、人間共のお守りをしてなさい。逃げようとしたら手足を折ったって構わないから。なんなら、ちょっとだけなら摘み食いしちゃってもいいわよ。―――は? 『一人は危険だから着いて行く』? ハッ、アンタ達がいたらむしろ足手纏いよ。いいからここにいなさい、邪魔だから」
鼻で笑い、カトゥーラは
研究室から出る前に、カトゥーラは学士達を軽く
「―――――」
その眼差しには憐れみの色が含まれていたが、それ以上に冷たく酷薄なものだった。
人間が養豚場の豚を見る時の目付きに近い。
第005号砦の学士を捕虜として連れて来るようにと魔王から命じられたが――その理由については、カトゥーラ達には一切知らされていない。何をする気なのかてんで想像も付かないが、きっと
さっさと研究室から去って行くカトゥーラ。その背中を全員で静かに見送ってから、学士の一人が口を開く。
「……あの、そちらの
「うん? ウチ? なんスか?」
「先程の可憐なオッドアイの女性は、えぇと……」
「か、可憐……? えーっと、カトゥーラの姐さんがどうかしたんスか?」
きょとんとした表情で、ヴィルダは首を傾げた。
対して、件の学士は妙にふわふわとした顔をしている。酒を飲んだ後のように紅潮して、目尻がとろんと下がっていた。
仲間の奇妙な様子を目の当たりにして、技術学部の面々も不思議そうに首を傾げている。
学士は自らに深く刻み込むように、何度かカトゥーラの名を繰り返し呟く。
「―――彼女の好みのタイプってご存知ですか?」
「え? は? なんスかいきなり?」
「そのままの意味です。俺は彼女のことが知りたいんですよ! ―――ああ、彼女は一体どんな男性が好みなんだろう。やはり
ヴィルダは元より、彼の性癖を知っていた技術学部の面々ですら驚きで目を白黒させている。
「あのぉ……貴方、まさか先程の
ピルツィが、意図して主語を抜いた質問を部下の男に投げる。
彼は如何にも面映くはにかんだ。
「はい……一目惚れ、しちゃいました……」
「「嘘ぉ!?」」
甲高い声で、ピルツィとヴィルダが同時に叫んだ。
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