第三十四話 〈円卓〉

 この世界において、人類の歴史とは即ち敗北の歴史だ。

 忌々しい闇の眷属ナイトウォーカー共に支配され、もはや奴隷という表現すら生温い、家畜として扱われる日々。死ぬほどに働かされ、本当に死んだら餌として貪られる。迫害と虐待、そして屈辱。まさに恐怖で満ち溢れた暗黒時代だ。


 それが打ち破られたのは、今からさかのぼること五百年前。


 とある女が、天使から啓示を得たことに端を発する。


 女の名はバーム・クルーヘルン。

 現教皇ハイプリエステスであり、人々から聖母と崇められる人物だ。


 聖母の呼び名通り、彼女は〈太陽〉を


 それを契機として、人類は闇の眷属ナイトウォーカーへ大々的に反旗をひるがえすこととなる。そして、あらゆる戦――その悉くに勝利した。偏に〈太陽〉がもたらした恩恵と、天使という絶大な武力によって。


 闇妖精ダークエルフ蘇屍人リビングデッド茸怪獣マタンゴ淫夢魔ナイトメア首無騎デュラハン―――


 家畜として扱われていた鬱憤を晴らすかの如く。人類は、数多くの闇の眷属ナイトウォーカーを絶滅へと追いやってきた。今や現存する闇の眷属ナイトウォーカーは、食屍鬼グール吸血鬼ヴァンパイアのみである。

 その内、吸血鬼ヴァンパイアは既に倒したも同然だ。

 連中が〈太陽〉の光を浴びたならば、その時点で身体がになって死ぬ。仮に日光の弱点を克服する術を手にしたとしても、聖都を中心として、十ある各砦を結ぶ形で築かれた堀がそれを阻む。吸血鬼ヴァンパイアはその生態上、流水の上を渡ることが出来ないからだ。

 聖都と第001号砦から第010号砦。

 それ等を繋ぐ水路は〈太陽〉の創造から程なくして築かれたものである。故にこの五百年間、人類は吸血鬼ヴァンパイアと矛を交えたことは一度もない。彼等は鉱山山脈の向こう側――〈太陽〉の影にずっと引き篭もったままだ。それ程までに、彼等は〈太陽〉を怖れている。当たり前といえば当たり前だが。


 人類にとって、目下の敵はやはり食屍鬼グールである。


 醜い獣の姿をした怪物。そして何より、人間を糧として、それ以外の食物は一切受け付けないという呪われた食性。その存在はまさに人類の天敵。必ず滅ぼさねばならない。

 この五百年、食屍鬼グールは数を減らしながらもしぶとく生き残り続けていた。


 しかしその命運は、当の昔に尽きている。一息に滅ぼされるか、真綿で首を絞めるようにゆっくりと死んでいくか。それだけの違いしかない。


 そこに先の大戦だ。


 食屍鬼グールの『巣』を発見した人類は、包囲の末の大規模な殲滅せんめつ戦を決行。


 当然、結果は人類の勝利だ。

 皆殺しという当初の目的は叶わなかったものの、種として存続不可能な数まで食屍鬼グールを減らすことができた。更には首領まで捕らえられた。暗黒時代に打つ終止符としては、丁度いい戦績だといえるだろう。


 しかし、それも少し前までの話である。


『―――報告、は、以上だ』


 第003号砦の領主――えい騎士ミューズリィの陰気な声。天使を経由して再生されるその音を、ゲヴランツは静かに聴いていた。


 彼は楕円形の、大きな円卓に着いている。


 円卓には他に十二人の騎士が座している。ただし、それは天使によって映し出された立体映像だ。聖都と十の砦を守護する領主達が一箇所に集まることは困難であるため、会議を行う際にはこのような形を取る。そういう決まりだ。


 議題はもっぱら、迷宮と食屍鬼グールについて。


 捕らえた王を奪還に現れた食屍鬼グールの一団。それだけならば何の問題もない。事実、殲滅を完了するまであと一歩という所まで追い詰めていたのだ。

 だが、敵勢力の思わぬ増援によって盤面を覆された。

 魔物に騎乗した食屍鬼グールの小娘。その力は絶大であり、瞬く間に三百もの戦闘用人造人ホムンクルスを撃破された。にわかに信じ難い話だが、円卓上に投影されている映像――天使が記録した戦闘時の様子――は紛れもなく本物だ。


『―――オイ、叡騎士! なんでテメェは戦わなかったんだ!? お前の実力なら、あれくらいやってもやれないこたぁねぇだろ! 敵を放置して逃げ帰るなんて有り得ねぇだろうが!』


 不満と苛立ちを露わに、赤騎士ショカゴラが吠える。


 対して、叡騎士ミューズリィの反応は淡々としたものだった。


『……あの時点で、私の任務、は、完了していた。が?』


『ハァ? 「が?」じゃねぇよ馬鹿! 糞害獣共を皆殺しにするのが俺達騎士の仕事だろうがッ!』


『…………』


 同じ〈円卓〉の騎士であっても、聖都を守護する聖騎士パラディンは別格だ。事実上の上司といって差し支えない。砦を治める領主といえど、口答えすることは難しかった。


『そう怒鳴らないでやれ、ショカゴラ卿。今は会議中だ』


 怒気をみなぎらせていきり立つ赤騎士を、黒騎士ツィトローネンがいさめる。


『だってよぉ、ツィトローネン!』


『私からもお願い致します、赤騎士様。同じ〈円卓〉の騎士なのですから。どうか、仲違いはなさらないで下さい。悲しいですから……』


『いや! これは、そういうんじゃなくて……だな……』


 暗く落ち込んだ様子の教皇――白騎士バームに言われると、途端に勢いを失くしてしまう赤騎士。彼は居心地悪そうに唇を尖らせ、俯き気味に『言い過ぎた。悪かったな』と謝罪した。

 蚊が消え行くような、酷く小さな声だった。


『……食屍鬼グールの王については、そのままお願い致します。明日には第005号砦へ。宜しいでしょうか、御両人方』


『はい。手筈は既に整っております』


「ええ。こちらも受け入れの準備は出来ております。教皇猊下におかれましては、どうかご心配召されぬよう」


『ありがとうございます。……ですが、お気を付けください、獣騎士様』


 不意に名指しで呼ばれ、ゲヴランツは軽く首を傾げた。


 とはいえ、何を言われるかはおおむね予想は付いているが。


 それでもそんな内心はおくびにも出さず、とぼけて見せるのが社交辞令というものだ。


「ほう。と、言いますと?」


『迷宮の件です。剛鷹騎士様の件、そして先程の戦いの様子からして、魔物が食屍鬼グールに与しているのは間違いないと見るべきでしょう。もしかしたら、食屍鬼グールの王を奪還すべく襲い掛かってくるやもしれません』


「なるほど。迷宮の入り口から最も近いのはこの第005号砦。更に私は副官であるマジパナを欠いた状態でもある。付け入る隙がある、と敵が愚考するのは道理でしょう。ですが怖れるには及びませんよ、教皇猊下。必ずや返り討ちにして御覧に入れましょう」


「…………」


 実に涼し気なしたり声で滔々と述べる。


 ……ぴちゃぴちゃ、と控えめな水音が会議室に響いている。しかし、天使が伝えるのは騎士の姿と声のみだ。ゲヴランツの声以外は聞こえていない。


無辜むこの民達の為にも、宜しくお願い致します、獣騎士様。第003号砦、第006号砦、第008号砦では派兵の準備を進めております。第005号砦は迷宮探索の上で重要な拠点となるでしょう。戦力が整い次第、迷宮への偵察をお願い致します』


「承知しております、教皇猊下。全てこの私にお任せ下さい」


『ありがとうございます……。誰か、他に何かお話しておきたいことはありますでしょうか』


 教皇の呼びかけに、特に手を挙げる者はいなかった。


 それを確認してから、教皇が閉会を告げる。


『それでは、今日の所はこれにて御仕舞いに致しましょう。皆様、お疲れ様でした。―――……どうか、天使様の加護が在らんことを」


 ―――――A'men.


 聖句と同時に天使の姿が掻き消え、通信が断たれた。


 円卓を囲んでいた騎士達の姿もまた、一斉に消失する。残ったのはゲヴランツのみだ。彼はゆっくりともたれに身を預け、深く息を吐いてから、下へと視線を向ける。


 そこでは、修道服を着た美しい女が、ゲヴランツに奉仕していた。


 この奉仕は会議中ずっと行われていた。無論、ゲヴランツの命令である。


「美味そうに頬張るではないか。敬虔な修道女にあるまじき姿だな?」


「…………」


 己のことを完全に棚に上げて、嗜虐心に汚れた表情で女を見下ろす。

 女は反論することなく、しかし奉仕の手を緩めることもなく。困った風に眉を下げ、背徳と羞恥に悶えた表情で、黙ってゲヴランツを愛撫していた。


 ゲヴランツは女の頭に手をやると、無理やり動きを速めさせた。そして不意に押さえつけ、欲望をぶち撒ける。


 突然のことに女はえずくが、吐き出すことなく、口の中の苦い液体を嚥下えんげした。


「…………」


「いいぞ。次は、そこに手を突いて尻を出せ」


「…………もう、もうおやめください……こんなことは……」


 涙声で、修道女が懇願する。


 目尻に涙を湛えて、上目遣いに。羞恥心で頬を紅潮させて。だがそんなものは逆効果だ。愛欲と嗜虐心を煽られたゲヴランツは、闇にも似た黄金の瞳をすっと細めて、殊更に嗜虐的な笑みを浮かべる。


「ほう。獣騎士であり、この砦を治める領主である私に意見するのか。どうやらまだ自分の立場を分かっていないらしい」


「あ、ああ……! お許しください! お許しください、領主様……っ!」


 ぶるぶると震えて慈悲を乞う子羊。


 その首筋に、黄金の獣の毒牙が掛かる。


「ならば言われた通りにするがいい。さて、私はさっき何と言ったかな?」


 意地悪くささやく。


 修道女は俯いていたが、小さく頷いた。彼女はひざまずいた姿勢から立ち上がると、ゲヴランツに背を向け、黒い修道服のスカートをおもむろくり上げた。


 下着を下ろす。


 そして神聖な円卓に手を置き、尻を突き出した。


「ククククク……」


 蹂躙する。


 その感覚が堪らない。だがそれと同時に、奇妙な苛立ちが胸に募る。それを解消するためにまた女を抱く。その繰り返しこそが、獣騎士ゲヴランツの趣味だった。


 焦らしてから、ゆっくりと突き入れる。

 修道女の目から、遂に涙が零れ落ちた。

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