第15話 フェリスの行方



 街道を歩いて十数分後。


「おお……」


 何事もなくフューコットに着いた悠真は、大きな市門をくぐると、思わず感嘆の声を漏らした。

 眼の前に広がる光景、それはゲームで見慣れた街そのものだったのだ。


 市門から続く大通りと、それに沿って様々な建物、住宅や店、露店が並んでいる。小さな町だが、多くの人が行き交い、活気にあふれていた。


「ホントにあるんだ……すごいや……」


 転送された時からアヴァロンが現実の世界であることは分かっていた。しかし、街そのものをパソコンのモニターで見るのと、 生で見るのでは大違いだと思い知らされる。

 それに、ゲーム内ではずっとフェリスと二人でこの街の宿屋に滞在しており、自分にとってはいわばホームタウンのようなものだ。愛着がある。

 悠真は周りを見渡し、一人感動した。


 そしてまた、改めて自分の目で見ると、建築様式が独特であることに今更ながら気がついた。

 西洋とも、アジアや中東とも異なる。無国籍とでも言おうか、どこの国や文化のものとも微妙に異なるように思えた。

 一万二千年前の間、地球の他の地域と接触を絶ち、独自に進化してきたせいだろう。


(何もかもゲームと同じだ……)


 お上りさんのように、きょろきょろと周りを見回しながら大通りを歩いてみる。

 全体的な町並みどころか、店の主人の顔から看板のちょっとした傷や汚れまで、記憶にある限りゲーム内で見たままだった。本当にこの世界を複写していたと信じられるレベルである。


(ん? あれは……)


 しばらく進むと、露店の一つに馴染みの人物が目に入った。串焼き屋のおやじ、バンスである。ちょっとしたクエストで知り合いになり、彼の気さくな人柄もあって、通りかかるたびに言葉をかわす間柄だった。

 彼は、売り物の串焼きを炭のコンロで炙っているところだった。

 顔見知りの人物を見かけて嬉しくなり、そばまで寄って話しかけてみた。


「やあ、おじさん、元気?」

「お? おらあ、元気だが、おめえさん、だれだっけ?」


 笑顔だが、どことなく戸惑った顔つきである。

 きっと、いつもの笑顔で挨拶を返してくれるとばかり思っていたため、悠真は戸惑った。


「え、僕だよ、悠真だよ。冗談きついなあ」


 だが、彼は串焼きをひっくり返しながらも、怪訝そうな表情で首をひねる。


「ん? おめえさんの顔は見た覚えがねえんだが……。人違いじゃねえか?」

「えっ」


 からかっている様子はない。

 どういうことか面食らっている時に、横から客が数人やって来た。


「おやじ、串焼き三本くれ」

「あたいは、四本ちょうだい」

「へい、毎度」


 バンスが忙しそうに串焼きを紙に包みだすのを見て、悠真はその場を離れた。

 

(おかしい……)


 彼は気のいい人物で、冗談でも知らないふりをする性格ではない。


(……まあ、いいや。まずはフェリスに会ってからだ)


 腑に落ちなかったが、今は彼女に会いたい気持ちが先に立つ。悠真は、胸をときめかせながら宿屋に向かった。


 ところが、宿屋でも同じことが起こった。

 おかみさんに話しかけると、怪訝そうな顔をされたのだ。


「アンタ誰だい?」

「えっ」

「それに、フェリスって言ったかい? そんな娘はここには泊まってないよ」

「そ、そんな……」


 ここにきて、ようやく悠真は事態の深刻さが飲み込めてきた。

 自分のことを知らないだけでなく、フェリスまでここに滞在していないというのはどう考えてもおかしい。

 呆然と立ちすくむ悠真に、おかみさんが慰め顔で話しかけてくる。


「すまないね。どこか、別の宿屋と勘違いしてるんじゃないのかい?」

「は、はい。そうかもしれません……」


 絶対そんなはずはないのだが、おかみさんも嘘をつく人ではない。理由はどうであれ、自分のことは知らないし、フェリスも泊まっていないのだ。

 なんとか礼だけは言って、いったん宿屋を出た。


 さらに念のため、食堂のおばさんやら道具屋の主人やら、自分をよく知るはずの人物何人かに話しかけてみたが、やはり反応は同じだった。

 

「ごめんなさい、どこでお会いしましたっけ?」

「ん、人違いじゃねえか?」

「どちら様?」


 どうやら、本当に誰も自分のことを覚えていないらしい。


(どういうことだ……?)


 何度もこの街を救ったり、いろんな市民からクエストを引き受けたりして、知り合いも多く出来た。むしろ、勇者ということで自分の知らない者たちからも知られているはずだ。それなのに、見向きもされない。誰も自分のことを知らないように思える。

 薫は完全なコピーと言っていたのに。

 だが、そこまで考えたとき、急に理解が頭に落ちてきた。


「そうか!」


 悠真は思わず声を張り上げる。通りすぎる者たちが何事かとこちらを見た。

 だが、そんな視線に構う余裕はなかった。ただ自分の発見に思いを巡らせる。


 確かに、あのゲームはこの世界のコピーなのだ。

 しかし、自分がゲーム上でプレイしたのは、コンピューター上のコピーであり、この世界自体と直接関わったわけではない。

 つまり、この世界からすれば、今初めて悠真が現れたのと同じなのだ。


(ゲームをリセットしてやり直してるようなものか……)


 これまでのデータを消し、最初に戻った状態。

 それなら、まだみんな自分のことを知らないのは当然である。

 悠真は、物悲しい気持ちになった。

 これまで、いろんな人たちと知り合いになり、交流を深めてきたのに、全てが白紙に戻るのだから。

 とはいえ、もともとゲームでも3ヶ月ほどしかプレイしていない。何年分もの思い出が消えたわけではないし、バンスを始め、一度は仲良くなった人たちだ。すぐに打ち解けるだろう。

 それに、ありていに言ってしまえば、フェリスさえいればそれでいいのだ。

 そう納得し、歩き出そうとした時だった。


「!」


 頭を殴られたかのような衝撃が走った。


(もしかして……。いや、間違いない、フェリスも……)


 そう、彼女もまた自分のことを知らないのだ。


 これまでの三ヶ月間、助けたり助けられたりしながら一緒に冒険して、いろんな思い出を積み重ねてきた。そして、悠真にとって本当に大切な存在になっていたのだ。彼女が実在すると知ってからはなおさらである。

 それがこの世界では全てなかったことになった。

 悠真は足元から崩れ落ちそうになるのを必死にこらえた。


 それだけではない。彼女の助けがなければ、遥を探すことも困難になる。


「どうしろっていうんだ……、こんなの……」


 思わず泣き言が口から漏れる。

 コボルド一体に瀕死の重傷を負わされる状態では、先が思いやられる。


(こんなこと、今頃気がつくなんて、僕はバカだ……)


 勇者気分でコボルドと戦って瀕死の憂き目に合わされたことといい、どうやら浮かれすぎていたのかもしれない。激しく自己嫌悪に陥り、うなだれた。


 だが、


(いや、まてよ……。確か、フェリスは……)


 その時ふと、初めて会った時から彼女が自分に好感を持っていたことを思い出した。

 これは、あとになって彼女本人から聞いたことだから間違いない。

 それに彼女は、もともと人助けと修行の旅に出たがっていた。

 それなら、たとえ初対面でも事情を話せば、助けてくれるのではないだろうか。


(そうだ、会ってしまえばなんとかなる)


 そう思うと、少し元気が出た。

 二人の思い出が消えたのはつらいが、これからまた仲良くなればいいのだ。

 それに、ここに来た以上、泣き言を言っても始まらない。この状況で遥を探しださねばならないのだから。


 ただ、もうひとつ別の問題があった。


 どうやって彼女に会うかだ。


 ゲーム内で彼女と出会ったのは、最初に引き受けたクエストがきっかけだった。

 道具屋の主人にちょっとしたお使いを頼まれ、診療所に薬草を届けた時に、その道程で彼女に出会ったのだ。

 だが、先ほど道具屋の主人に話しかけた時、そのクエストは発生しなかった。

 というよりも、ここはゲームではない。最初から決められたシナリオなどないのだ。


(ということは、まず自分でフェリスを探し出さないと……。ゲーム開始時点で、どこに住んでたっけ?)


 三ヶ月前の記憶を辿って、思い出す。


(そうだ、町外れの修道院にいたんだ)

(行こう。フェリスのところに)


 悠真は、大通りを抜けて修道院に向かう小道に向かった。



◆◆◆



 そして、二十分後。

 悠真は、町外れにある石造りの大きな建物の正面に来た。修道院である。


 大きなアーチ型の扉の横に、『御用の方は、呼び鈴を鳴らしてください』と書いてあり、大きな呼び鈴が取り付けられていた。


 紐を振ってベルを鳴らすと、しばらくして、ギギギと重い音とともに扉が開き、修道女らしい女性が現れた。

 フェリスより少し年上らしい女性は、白い修道服を身につけ、清楚な佇まいである。


(確か、この人はサフィナさんだったな……)


 ゲーム内で、一度悠真も会っている。身寄りのないフェリスにとっては姉のような存在だったはずだ。


「はい。どのようなご用件でしょうか?」


 慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、サフィナが悠真に問いかけた。


「あ、あの、僕は悠真といいます。フェリスに会いに来たんです」


 お久しぶりという言葉を飲み込む。

 彼女も自分のことは知らないはずだ。迂闊なことを言って警戒されたくない。


「え?」


 ただ、悠真のセリフがよほど意外だったらしく、驚いた顔をされた。もしかして、この修道院ではないのかと不安になる。


「えっと、フェリスはこちらに住んでいると聞いたのですが」

「確かに、その通りですが……」


 フェリスの存在が架空のものでなかったと確認できて、悠真は安堵した。

 

「彼女に会いたいんです」

「でも……、あの……」


 サフィナが戸惑った顔で何かを言いかけるのを遮り、悠真が熱心に言い募った。


「お願いします、僕はどうしてもフェリスに会わなくてはいけないんです」

「あなた、もしかして……」

「え?」

「あ、いえ。なんでもありませんわ」


 なぜか、彼女は憐れむような表情で微笑んだ。


「……分かりました。こちらです」


 彼女からは、悠真をフェリスの元に連れて行くことに、後ろ向きというか何か抵抗があるように感じられる。

 だが、そんなことを気にしている場合ではない。


 修道院の中に入り、長い石造りの廊下をサフィナについて歩く。

 いよいよフェリスに会えるという興奮と、初対面となる邂逅がどのような結末になるのかの緊張で、途中、大聖堂の脇を通ったが、あまり目に入らなかった。

 そして、突き当たりまでいったところで、サフィナがドアを開け、二人は裏庭に出た。

 てっきり、フェリスの部屋か何処かに連れて行かれるのかと思っていた悠真は、意外だった。

 だが、ここが修道院だったということ思い出した。男子禁制なのかもしれない。

 

 そして、裏庭のさらに奥まったところに連れて行かれた。

 何かの記念だろうか、悠真の腰ほどの高さの、薄くて平べったい石碑が建てられている。その周りには花壇が設けられ、様々な花が満開になっている。

 柔らかな日差しに照らされて、心が安らぐ場所であった。


 だが、石碑の前まで案内され、何気なくそこに書いてある文字を見て、息が止まった。


「……っ!」


 『魂よ安らかなれ』という言葉とともに刻まれていたのは、ある名前だった。


「ま、まさか……これって……」


 悠真が、顔面蒼白でサフィナを振り返る。

 彼女は、泣きそうな顔で微笑んで、頷いた。


「フェリスです」



 その石碑。それはフェリスの墓だったのだ。



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