秋霜烈日

大艦巨砲主義!

第1話

 冬の風が身にしみる季節のある日。

 神奈川県川崎市の郊外にて、信号機のある横断歩道を渡る最中、1人の女子高校生が車にひき逃げされるという悲惨な事故が発生した。

 幸い被害者の少女は事故の音を聞いた付近住民が早期発見したことで一命を取り留めたものの、記憶の混濁が激しく自分が引かれたことさえ覚えておらず、また第一発見者が駆けつけたときには既に車は去った後でその姿は確認できなかった。


 しかし警察が調査した結果、残されたタイヤ痕とヘッドライトの破片からついに犯人の特定に成功する。


 事故を起こし一度停止した、つまり事故の認識がありながら被害者の救護をすること無く逃げ出した卑劣な容疑者は、あろうことか現職の国交大臣の息子だった。


 この事件は一躍世間を騒がせる大騒動となった。


 ………そして、その事件を担当することになったのが、因幡 和也という28歳の検察官であった。

 まだ若手ながらすでに多くの案件を手がけており、厳しく冷静な視点から事件や事故の全容を調査、判断し、機械のように冷徹に処理を進める、人間味が薄いと仲間内に噂されることが多いがほぼ欠点のない優秀な検事である。


 横浜地検にて、担当案件の1つとなったその事故に関する警察から受け取った報告書に目を通す。


 事故の発生時刻は19:24。(第一発見者が事故の音を聞いた際にいた、公園の時計で確認)

 容疑者は中沢 健一。現役国交大臣、中沢 博臣の長男。事故当時は夕食を外食で済ませた帰りだったとのこと。

 被害者は宮本 楓。川崎市内の公立高校に通う高校1年生。事故当時は部活帰りの帰路だったとのこと。

 事故現場は街灯が複数あったが、付近には住宅がまばらにあるばかりで、すでに日没だったこともあり視界は暗かった。

 被害者は横断歩道上にて容疑者の運転するワンボックスカーに接触。容疑者の車両はタイヤ痕の調書及び容疑者の証言から、約50〜55km/hで走行していたとのこと。

 事故現場となった横断歩道の信号機は歩行者専用のものであり、信号機に付属している押しボタンを押すことによって車線側信号機から切り替えが始まるというタイプのものだった。事故当時、信号機は車線側が青、歩行者側が赤だった。容疑者車両のドライブレコーダーの映像は機器の不良により事故当日のデータがなかったものの、国交相信号管制システムで事故同時刻のデータを確認したところ、車線側が青信号となっていた。


 これにより道路交通法に基づく過失に関しては、事故原因は被害者の信号無視及び加害者の前方不注意、加害者側の過失としてさらに救護義務違反、いわゆるひき逃げが該当するものである。


 報告書を閉じた和也は、まずは加害者側の事情聴取を行うことにした。

 接見は午後からとなっている。

 警察の聴取では、加害者である中沢は事故に関して信号を遵守していたのは自分の方であり、車に何かが衝突する衝撃はあったものの人は轢いた認識はなかったと、過失運転致傷と救護義務違反に関して否認をしているという。


 和也は接見を前に、今回の事故の焦点である信号無視と轢き逃げの2点についての質問を中心に、加害者と目撃者から事情聴取を行うことにした。

 この結果次第によって、問うべき罪が決まる


 接見では、中沢は報告書通りの供述をした。

 信号無視したのは向こうの方、人を轢いたとは思わなかった、暗くて見えなかった、俺は悪くない悪いのは信号無視した挙句に車の傷をつくった被害者の方だ、と。反省の様子はあまりなかった。

 だが、和也は違和感を覚えた。状況における中沢の供述は、報告書を見たとしか思えないような的確さであったからだ。

 ………この事件、まだ真相が出てきていない。

 そう、強く感じたのである。


 和也は現場に赴くことにした。

 信号機は歩行者用のものであり、ボタンを押せば信号機が車線側から切り替わる。

 その後視覚障害者のための音楽が鳴り、信号が青になる。

 点滅と同時に音楽は止まり、赤になり、そして車線側が青になる。

 信号完成システムのデータ上では、事故当時の時刻はやはり青のままとなっていた。


 続いて第一発見者の話を聞くことにした。

 第一発見者の男性は近所に住んでおり、時折仕事帰りに公園で一息ついてから家に帰るという。

 事故当日も公園で一息ついていたところであり、突然何らかの大きな衝突音がなったため向かってみたら、被害者が倒れていたという。

 そして音がなった時に振り向いたところ、ベンチから事故現場の方向に向いた時に見える時計の針がPM7:24を示していたという。

 それは間違えないと、彼は明確に覚えていた。


 一応国交相の方にも赴いてデータを確認してみたが、事故当日の19:24は車線側が青のままであった。

 担当者の小林という人物は、セキュリティシステムは万全であり、アクセス権を持つ少数の人間以外の外部からの干渉は不可能だと、すべて正常であると断言していた。


 調書の内容と矛盾しない。

 だが、まだ何か引っかかる。


 違和感は拭えず、自宅に帰ってからも頭を悩ませていた。


 すると、単身赴任のために現在は一人暮らしをしているアパートに、来客を告げるチャイムが鳴った。


 玄関を開くと………


「おっす、和兄さん。夕飯作りに来たぜ」


 そこには末の兄弟が立っていた。

 彼の名はあきら。一応血を分けた同じ両親を持つ兄弟なのだが、見た目は金髪碧眼の西洋人である。

 これには長くなる事情があり、ここでは語るのを控える。


 そんな叡だが、料理が得意であり時折多忙な和也の元にやってきては夕飯を作ってくれるのである。

 今日もまた、忙しいことを察してくれたのだろう。


「………いつもすまない」


「いいって、気にすんなよ!」


 叡の見せる無垢な笑顔に、和也も思わず表情がほころぶ。

 叡を部屋にあげて、まっすぐにキッチンに向かったその背を見送ってから再び持ち帰った手帳の資料に目を通した。


 すると、ひょっこりと後ろから和也の肩越しにその資料を叡が覗いた。


「………それはダメだ」


「おい!」


 目隠しをして叡の盗み見から資料を守る。

 和也の右手で視界をふさがれた叡は文句を口にするが、ふと口調を変えて覗き見した被害者の所持品の写真に写っていたあるものについて語った。


「あ、そういえば今の写真のスクールバッグについていたアクセサリーにさ、昴の学校で流行っているのがあったぞ。たしか、録音と音声再生機能が付いていて、手紙に添えてそいつに告白させるってやつ。確かめら………なんちゃら?」


 被害者は女子高生だ。確かにそういうものを持っていたとしても不思議ではないだろう。

 そう感じた和也だったが、しかしふとその機能を思い返してハッとした。


「もしかすると………それに何か!」


「うおっ!?」


 珍しく大きな声をあげた長兄に驚く叡。

 和也はそんな叡の方に掴みかかると、詰め寄った。


「今の話、詳しく聞かせてくれ!」


「お、おう。もちろん。なんかわかんねえけど、和兄さんが燃えてる!」


 事件の真相を暴く糸口を掴んだかもしれない。

 もはや運頼みとしか思えないか細い糸だが、葬り去られるかもしれない真相を暴き出せるものだった。


 ………和也はすぐに被害者に接見、くだんのアクセサリーを確認したところ、その中に決定的な証拠が偶然にも収まっていた。

 そこから事件を調べていく中で、ついに和也は真相にたどりつくことができた。


 そして数日後、すべての証拠と証言が揃った状況で、彼は2度目となる中沢との接見でその証拠と証言を突きつけついに自供を引き出し、その後すぐに警察とともに裁判所に向かって、黒幕とも呼べる人物との対決に臨んだ。


 その相手は、国交大臣、中沢 博臣である。


「なんのつもりだね」


 苛立ちを露わにする中沢に、和也は斬りこむ。


「あなたのご子息の起こした交通事故、その真相を語るつもりです」


「ふん、あれはバカな息子のしでかしたことだ。私には関係ない!そもそも過失は被害者の方にあったのだぞ!」


「いいえ。過失はご子息にありました」


 中沢の言葉を否定し、和也は証拠を見せる。

 それは、叡がヒントをくれた被害者の所持品の1つ、録音機能つきのアクセサリーである。


「これは被害者が事故当時身に付けていたものです。録音機能が付いている、アクセサリーです。事故当日の音声データが、偶然にも録音されていました」


 再生する。

 強気だった中沢の顔が、青ざめ始めた。

 なにしろ、そのデータには衝突する大きな音の前に歩行者用信号が青になっている合図である視覚障害者のための音楽案内が流れていたからだ。


「この音が示す通り、歩行者信号が青だった。ドライブレコーダーのデータも復元できました。そこでも車線側の信号が赤、つまり歩行者側の信号は青だった。その上、車の速度は70キロに達していた」


「そ、それは………」


 中沢の額に汗が浮かぶ。

 和也は止めの手札を示した。


「ご子息も、小林も自供しました。事故原因はご子息の飲酒運転、速度超過、信号無視。しかし信号管制システムはあなたの指示で書き換えられ、過失を被害者に押し付けることにしたと!」


「………ッ!?」


 それが事件の真相である。

 飲酒運転に起因する交通事故を己の経歴の傷を浅くし誤魔化すために、各方面に圧力をかけて中沢が隠蔽しようとした。


 普段は無愛想で冷徹な和也は、怒りを露わにした視線を中沢に向けた。


「交通事故を防ぐためのシステムを身内の犯罪を隠蔽するために使い、国民を傷つけた。公僕でありながら国民を犠牲にしようとしたお前には、その椅子で国民のためのルール、法を司る資格はない」


 警察官が裁判所から発行された逮捕状を出す。


「中沢 博臣。犯人蔵匿及び証拠隠滅の容疑で逮捕する」


 彼のSPは、誰1人犯罪者の大臣を守ろうとはしなかった。


 こうして若き検察官が起こした閣僚と検察の戦いは幕を降ろす。

 しかし彼の戦いはこの後の法廷こそが本番。


 秋霜烈日。

 胸に留めたバッチに誇りを持ち、今日も彼は戦い続ける。

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