仁義を切る

中文字

ちゃんちゃちゃんか、ちゃちゃんかちゃん

 ばかばかしいお話を一席。

 皆々様には、お付き合いのほどを、よろしくお願いいたします。


 えー。世の中には、ルールっていうものがございます。

 

 野球ならば、投げたボールをバットで打つ。

 サッカーならば、球を手では触れない。

 ラグビーならば、京大タックルを行わないって――いや、これは不謹慎でしたかね。


 いやさ、結婚している旦那さんならば、怒っている女将さんには逆らわないってのも、ルールの一つでしょうね。


 おや、そこのお父さん。苦笑いなんかして。

 隣にいる人が奥さんなんじゃないの? 睨んでらっしゃるよ? ほら,謝って置いたらどうです?

 そうそう。それで手を握って、愛の言葉をささやいてやれば――おっと、余計なお世話だったようで。


 さてさて話は戻って、このルールってもの。

 現在でも様々なものがございますが、江戸の頃にもございました。


 もちろん、ルールなんて横文字を、この頃は使っちゃいません。

 『掟』とか『仕来り』とか言ってたってえ話です。


 さて、この掟ってのは、落語の中に良く出てきます。


 関所を通るには、手形が必要。

 サンマなんて下魚を、お殿様には食わせてはいけねえ。

 蕎麦の代金は、二八(ニハチ)で十六文。


 最後のは掟じゃないって。おっと、御免なせえ。


 江戸時代の掟の中でも、一風変わったものに『仁義切り』ってえものがございます。

 町にいられなくなった札付きのワルや、あてどなく旅する風来者が、旅先のヤクザものの家にご厄介になるときにやる口上でして――


「御免なせえ、なにそれの親分さんの御宅はこちらでござりますか」


 って声をかけますと、家の中から若い衆が出て来やして、こう返します。


「それは手前のこと。お入りくだせえ」


 許しが得たところで、解いた羽織の紐を両手の親指にはさみ、框に両手をついて頭を下げ腰をかがめまして。


「御敷居内 御免なせえ! 仁義、発しさせていただきやす」

「ありがとうでございます。手前、控えさせていただきます」

「御敷居内、借り受けまして、家業、発しさせていただきやす」

「手前、当家のしがない者でございます。御控えください」

「自分は旅のしがないもの。上兄さんから、御控えくださせえ」

「ありがとうございます。再三の御言葉に従いまして、控えさせていただきます」

「早速お控えくださり、ありがとうございやす。自分は粗忽者ゆえ、仁義前後間違えました暁にはご容赦くだせえ」


 ……お控えくださいって言い合ってばっかで、なに言ってんのかわからねえって顔ですねえ。


 でもね実際、わけがわからなくなるような言い回しを、わざとしてんですよ、これ。

 ここで間違えると、門前払い。

 悪けりゃ『カタリ』――ニセモノだってんで、バッサリ斬られることもあったそうです。


 さてここからは、某有名映画でもありましたような口上が始まりまして。


「向いましたる上兄さんには初のお目見えと心得やす。自分、何某と発しますは、某所の生まれでござんす。稼業上、親と発しますのは、どこそこ一家の何親分。手前名の儀、発しますは、屋号は誰々、名は其々。人呼んで、なんとかと発します。ご覧の通りの風来者。いずれの各所においても、親分さん上兄さん上姉さんに迷惑をかけがちな若輩門に御座いやす。以後面体お見知りおきのうえ、嚮後万端(こうこうばんたん)よろしくお引き回しのほど、よろしく、お頼み申し上げやす」


 はい、長い自己紹介が終わりました。

 本当に長いんですよね。

 ですが、家の者も同じようにかえすんですよ、これがまた。


「ありがとうございます。お丁寧なお言葉、申し遅れまして失礼でございます。手前、当組の当親分に従う若い者。屋号は誰々、名は其々と発します。いまだ稼業未熟の身。以後万事万端、よろしくお願いいたします」

「ありがとうございます。先にお手をお上げくだせえ」

「そちらさんから先に、お手をお上げください」

「それでは仁義が立ちません。先にお手をお上げ下せえ」


 とどっちが頭を上げるかを譲り合ったあとで、


「では、一緒にお上げ下さい」

「「ありがとうございました」」


 と一緒に頭をあげる。

 ここまでが仁義を切る――風来者がその土地の親分の家に泊まるためのルールでございます。


 いやぁ、面倒くさくて長ったらしいですよねえ。

 ですがね、関係のない人が上がり込まねえように、敵対する家の人がやってこないようにっていう、大事な大事な合言葉なわけなんで、止めるわけにはいかないわけです。



 さて、この仁義切り。

 長ったらしい口上に挑戦しようっていう、馬鹿な人が江戸の時代にはいたもんなんですね。


 それはなぜか。

 単純にお伊勢参りの道中にある旅館、その宿泊のお代が高いんですよ。


 江戸の時代の旅行ってのは、近隣近所の人に出してもらったお金で旅をするんで、押しなべて貧乏旅行なわけです。

 だから風来者を装って、その土地の親分さんの家に泊まって、宿代を浮かそうだなんて、不埒なことを考える者もでてくるわけですよ。


 ですがね、そうそう上手くいくはずがないのは、予想の通り。

 素面のときでも、長い口上には舌を噛みそうだってえのに、馬鹿な旅人は景気づけにと酒を飲んだ状態でやろうってんだから始末に負えない。


「ごめーん、くださーーーーい。ごめんくださーーーーい。友三の親分さんの御宅はー、こちらでござりますかー?」


 調子外れた声に家の中から若い衆が出て来て、玄関前にいる者を見ると、明らかに旅の酔っ払い。

 ここで殴り倒して追い返してもいいのですが、親分の名前を出して仁義を求められているからには、応じないと筋が通らない。


「それは手前のこと。お入りくだせえ」


 許して中に入れると、酔っ払いは解いた羽織の紐を両手の親指にはさみ、くいくいと引っ張りながら、框に両手を『バン!』とついて。


「屋敷の中で ごめんなさい! 本当に、ごめんなさい! 仁義。いいですか?」


 体をくねくねとさせる酔っ払いに、若い衆は横にいる手下に顔を向けますと。


「いきなり謝罪をしたとおもったら、いいですか? って聞いてきやがったぞ、この酔っ払い」

「ほら、兄さん。仁義、仁義」

「わーってるよ。ううんっ――ありがとうでございます。手前、控えさせていただきます」

「屋敷を借りて、お仕事を、発しさせてもらいますーー」

「……まだやらなきゃダメか? ちっ。面白がりやがって、分かったよ。あー。手前、当家のしがない者でございます。御控えください」

「自分は旅のしが――あー、し――あー、ハがないもの。お兄さんから、お控えてくださいねーー」

「歯がないって。っておい、本当に歯が一本ないぞ、この酔っ払い。見て見ろよ」

「兄さん、兄さん。仁義切りの最中、仁義中」

「わかってるよ。ありがとうございます。再三の御言葉に従いまして、控えさせていただきます」

「すぐに控えてくれて、ありがとうーーーー。自分はそこここっこけー、者なので、仁義間違えたらごめんさいねええーー」

「今度はニワトリになりやがったぞ、この酔っ払い」


 本当ならここで叩き出してもいいんですけど、追い出すのはいつでもできるし、ここまで面白い酔っぱらいは見たことないって続けさせてみることに。


「それで、どちらの何さんで?」

「お兄さん、初めましてー。あっし、生まれも育ちも、江戸は佃島。煮つけ稼業の親は、アサリの佃煮の辰五郎。あっし、屋号は佃長、名を一助。人呼んで、しゃもじ返しの一さんって呼ばれてまさあ!」

「ほほう、佃の一さんねえ」

「そうですよーーー。ご覧の通り、ふーてーもの。って、誰がふてぇものですかい!」

「いや、言ってねえよ。ほれ、口上、口上」

「そうでやした。あーー、全国津々浦々の親分さん上兄さん上姉さんに、迷惑をかけっぱなしで。うぐっ。えぐっ。なんて情けねえ。それなのによぉ。伊勢参りの金を出してくれてよぉ。餞別だって。土産はお札と、旅の思い出を語ってくれるだけでいいって」


 涙ながらに語る酔っ払いに、若い衆たちの目にもつられて涙が。


「ぐすっ。いい人に恵まれたんだな。旅から帰ったら、優しくしてやんなよ」

「もちろんですよおおお! そんで、そんなあっしですが、お見知りおきのうえ、嚮後万端(こうこうばんたん)よろしくよろしく、おねがいしまあああああすううううう!」


 酔っ払いが頭を置きく下げたところで、ばたーーーんと倒れてしまいます。

 若い衆たちが慌てて駆け寄ると、すぴすぴと良く寝ているじゃあありませんか。


「こいつ。仁義切りの途中で、寝ちまいやがったぞ」

「どうするんです、兄さん?」

「仁義を果たしてねえんだから、家に上げるわけにはいかねえ」


 むっつりと口を曲げながら、玄関横にあった筵を酔っ払いにかけます。


「けど、笑わして貰った礼はしなきゃならねえ。軒先で寝かせてやるとするぞ」

「へい、兄さん!」


 寝こける酔っ払いを掴み、玄関から軒先へ移動する際中に、若い衆の兄さんが仁義の途中だったと気づき、残りの口上を口にします。


「ありがとうございます。お丁寧なお言葉、申し遅れまして失礼でございます。手前、友三親分に従う若い者。名を万次と発します。いまだ稼業未熟の身。以後万事万端、よろしくお願いいたします」

「うにゃうにゃ、ありがとうございますーーーー」


 寝ている酔っ払いの手が、ぱっと上がって、若い衆の兄さんは苦笑い。


「勝手に先に手を上げるなよ。まったく、これだから酔っ払いは、お手上げだってんだ」


 では、お後がよろしいようで。


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