14. 何者でもないと思うと何者にもなれる。
ハロー!B・Dです。
自分って、何者だと思っている?
母国じゃないところにいると、望まなくても自分の母国の代表のように思われがちだ。
ボクの場合だと、アメリカでは○○はどうなってますか?と訊かれた時、ボクが答えた内容で「アメリカは●●なんだ」と思われてしまう。
もちろん、日本の人が興味を持って訊いてくれるのはうれしいから、快く答える。
ただ、答えるボクも、訊いてくれた日本の人も、意識しておいた方がいいと思うのは、ボクは決してアメリカ代表というわけじゃないってことだ。アメリカやアメリカ人のすべてを細かく間違いなく知ってるわけではない。
このエッセイもそうだ。
ここでは、あくまでもボク個人が限られた範囲でこれまで経験したことや、個人的に今感じたり考えたりしていることを、ざっくばらんに気軽に書かせてもらっている。
B・Dが言ってるからアメリカはこうに違いないとか、アメリカ人みんながB・Dが書いてるように考えるんだろうではなくて、B・Dっていう一人のアメリカ人がいて、今、日本でこんなことを感じたり考えたりしてるらしい。そんな感じで読んでもらいたいと思います。
日本のことも書いているけど、日本や日本の人たちについてはなおさら、ほんの何年かの個人的な経験の範囲でしか知らない。それは、新鮮な視点で見たり考えたりできる強みにもなるけど、時には誤解もあるかもしれない。書く時にちゃんと調べたりするけど、間違ってることに気づかずに、そのまま書いてることもあるかもしれない。
もし気づいたことがあったら、教えてください。
さて、今日伝えたいのは、外国に来ると自分のアイデンティティを意識するようになるという話をよく聞くと思うけど、逆に「○○人」という縛りを超える瞬間もあるということ。
ボクは確かにアメリカ人だけど、その前に一人の人間で、年齢、性別、育った環境、周りにいた人や教育の影響、そしてボクの生まれつきのキャラクター、そういうものを背景に、ボクの考えや感覚が作られている。誰かと似てるところもあるかもしれないけど、誰とも似てないところもあるだろう。
そんなボクが、何かの集団の一人ではなく、広い世界の中にただ一人の個人として置かれている存在だと考えると、何者にでもなれる。
世代の違うアメリカ人よりも、日本の同じ世代の人との方が共通する部分があるかもしれない。アメリカ人の女性よりも、日本の男性のことの方がよくわかるってこともあるかもしれない。趣味の合う人とは誰よりもシンパシーを感じる。
国籍や背景を越えて、誰かとそういうつながり方ができる瞬間があるんだ。
こういった世代や性別や趣味などで自分をカテゴリ分けする時、母国の中にいると、狭い世界の中のさらに狭い集団に自分が属してるみたいに捉えてしまったりするけど、外国で誰かとそういうつながりを感じると、逆に世界は広いんだと思えるから不思議だ。すごく楽しいしワクワクするよね。
一人一人の間には、本当は国境はない。言葉や文化の違いより、人としての相性がいいかどうかの方が大事だったりする。
外国では一人の「○○人」として、その言動が出身国のイメージそのものとして捉えられて、最悪の場合、心の中に国境のラインが引かれてしまうこともある。
でもボクは、一人を見てそう捉えるのはよくないと思う。そういう身近なところから世界の分断が広がっていくし、もっと恐ろしい対立を生む原因にもなるかもしれない。
今、世界中でそういう問題が深まっているけど、せめてボクたち個人個人の間では、自由な一人の人間として世界の誰とでもつながれるということを忘れないでいたいと思う。自分が所属する狭い集団をわざわざ作って、それだけを絶対的なものとして守ろうとしていがみ合うなんてバカげてるよ。
個人個人の意識から、世界をまたよい方へ変えていけるとボクは思っている。
皆さんはどうですか?
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