獣人の郷 1
「ここから先は道が悪い。いったんバギーは置いてくか」
「あ、そういうことだったら」
叔父の言葉に、疾風丸を木陰に停めた。
「シルフィ、頼める?」
シルフィは即座に頷くと空中を滑るように飛んでいき、疾風丸の周囲を軽やかに旋回しはじめた。
見る間に疾風丸は透明な膜で覆われるようにその姿が薄れ――完全に周辺の景色と同化してしまった。
「ほほう。見事なもんだ」
叔父が珍しく感心し、まじまじと疾風丸のあった場所を眺めている。
普段は常に逆の立場なのでなんだか誇らしい気持ちだったが、頼んだのは俺でも実際に行なったのはシルフィなので、ちょっぴり微妙な感じがしないでもない。
リオちゃんはというと、疾風丸が見えなくなったのに触れられるのが余程不思議なのか、歓声を上げて車体をたまごろーでべしべし叩いていた。やめてあげて。
「匂いまで遮断できるのですね。あらためて精霊魔法とは秀逸ですね」
リィズさんが鼻を鳴らしている。
(へ~、そうなんだ)
匂いまでは気づかなかった。思い起こすと、あのデラセルジオ大峡谷の地下空洞でも、匂いに敏感なはずの野生の獣すら欺いていたのだから、よっぽどなのだろう。
(さすがはシルフィ)
肩口を飛び回るシルフィに目を向けると、小さな風の精霊は瞬く間に視界の外に逃げてしまった。
だいぶ慣れてきたと思っていたが、シルフィはまだまだ照れが強い。
なまじ感情の一部を共有しているだけに、感謝や賞賛の類もすぐに伝わってしまうことが難といえば難だろう。
「奇襲に便利そうですね……」
リィズさんがにこやかな笑顔のままで、ぼそりと呟いていた。
昨日の狩りで、野性の本能的ななにかが、いろいろ触発されたのかもしれない。ちょっと怖い。
「ほれほれ。のんびりしてないで、そろそろ行くぞ。こっからはしばらく歩きだ」
叔父が示す先には、細い獣道が続いている。
「あーい」
リオちゃんがたまごろーを抱えたまま、当然のように俺の肩に飛び乗った。おかげでたまごろーが脳天を直撃したのだが、それはまあご愛嬌。
「秋人は初めてだったな。こっから30分ほど歩いたら、いったんは森を抜けるが、出口辺りでは上に注意しとけよ」
「上? ……わかったよ」
よく意味はわからなかったが、とりあえず頷いておいた。
俺がその意味を知ったのは、実際に森の出口まで来たときだった。
突然、遥か頭上の木の枝から、人影が5人ほど降ってきた。
叔父目がけてふたり、リィズさんにもふたり、そして俺にはひとり、の計5人。
さらに、降ってきただけならまだしも、その5人は明確な敵意を以って、襲い掛かってきた。
「うわっ!?」
先行するふたりは平然としていたが、こっちには当然そんな余裕なんてものはない。
頭上からの襲撃者は、落下速度に任せた蹴りを放ってきた。
俺も何度か死線を潜ったことはあるだけに、気配らしきものを感じて咄嗟に攻撃を察知できたが、肩車しているリオちゃんの存在を思い出して、逃げるか避けるか防ぐかの選択肢にどう対処するか迷ってしまった。
結果、瞬間的に硬直してしまい、致命的な隙となる。
(――まずっ!)
もはや、なにか対応できるタイミングではない。
棒立ちになったまま、かなりの威力を伴う蹴りが直撃するかと思われた寸前――蹴りの軌道がそれて、唸りを上げる爪先が鼻先を掠めるほどの距離で通過していった。
「ちっ!」
すれ違いざまに襲撃者の舌打ちが聞こえる。
襲撃者は、着地と同時に、しゃがんだままの姿勢から、鋭い棒状の物を3本ほど投擲してきた。
しかし、その内の2本は、再び不自然に軌道を変えて地面に突き刺さり、残りの1本は肩のリオちゃんがたまごろーを投げつけて撃墜させていた。
落ちていたのは、木を削って作られた、棒手裏剣のようなものだった。
飛来してきたときには殺気すら感じたが、こうして見るとさほど精巧に作られているわけではなく、致命傷を与えるには程遠い。
仮に直撃したとしても、せいぜい血がにじんで痛い程度だろう。
「やるねぇ。ぼーや」
襲撃者が楽しげな声音を漏らしつつ、立ち上がった。
もはやいっさいの敵意もなく、陽気なふうで近づいてくる襲撃者は、一見してわかるような獣人だった。
艶やかな黒い毛並みの体毛で半身を覆われ、その容貌は豹と猫の中間のようだ。
頭部はもはや完全な獣だったが、やたらと表情豊かで愛嬌すら滲ませている。
女性なのも、そのしなやかな肢体でわかった。
鍛えられたスレンダーな肉体だが、出るところは出たセクシー系。服装は、胸部と下半身を簡単に布で結わえてあるだけだ。
傾向としては今のリィズさんと同じで、見た目よりも機能性を重視しているのだろう。
相手に害意がなくなったので、秋人も肩の力を抜いた。
(俺はなんにもやってないけどね)
初撃を防いだのはシルフィで、追撃を防いだのは強いて言うとリオちゃんとたまごろーだ。まあ、たまごろーも投げられただけだけど。
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