妹、来たる?

 その日、秋人は早朝からスマホのベルで叩き起こされた。

 普段から目覚まし代わりのタイマーをかけてはいるが、窓から差し込む陽光の具合からして、いつもより早い時間帯である。


 寝ぼけまなこを擦りながら、テーブルに置いていたスマホを手探りで引き寄せる。


 秋人はうすぼんやりとした思考の中、なんだかいつもとベルの音が違うな、とは感じていたが、スマホの画面を確認すると、それもそのはずで、通話の呼び出し音だった。

 表示されているのは『母』の文字。秋人の母から電話があるのはかなり珍しいことだ。それも、こんな早朝からとは。


 秋人は眠気に耐えられず、いったん居留守使って二度寝するか、とも頭をよぎったが、火急の知らせかもしれないとも思い直し、あきらめて通話ボタンを押した。


「もしも――」


『春ちゃんが帰ってこないのよぉ!』


 眠気ごと吹き飛ばすような大音量だった。


「春ちゃんって春香? なにかあったの?」


 春香とは、秋人の3つ年下で短大1年生の妹のことである。


 耳鳴りがする左耳からスマホを右耳に持ち直し、秋人は問いかけた。

 様子が尋常じゃない。本当に火急の知らせか。


 慌てふためいて要領を得ない母の話をまとめるとこうだった。


 一昨日の昼もずいぶん過ぎた頃、春香はひとりで外出したそうだ。

 行き先は告げなかったが、ちょっと遠出するとかで、外出用の格好だったとか。おぼろげだが、泊まりになるかもとも言っていたらしい。

 そして、昨日になっても春香は帰らず、電話は通じず折り返しもなく、堪らなくなってまずは息子の秋人に電話してきた、というわけだ。


『お父さんは、年頃の娘だからほっとけ、なんて言うのよ!? お母さん、心配で心配で……』


「あー」


 正直、秋人も父と同意見だった。

 泊まりで出かけると言っているのだ。しかも、一泊とは言ってない。

 妹も今は夏休暇中のはずで、遊びに出て盛り上がったノリで、数泊するくらいもあるだろう。


「心配なのはわかるけど、あいつもいい歳だし、そんなときもあるんじゃない? それにさ、電話がないのだって、移動中か遊んでるときにマナーにしたままにして、そのまま戻すの忘れて気づかない、とかじゃないかな? あいつ、昔からそういう、そそっかしいとこあるし」


 秋人は通話をスピーカーモードに変更し、スマホを操作した。

 機械に弱く、いまだガラケーの母には無茶な相談だが、春香とお友達登録をしている秋人なら、アプリでどこにいるかくらいは捜せるかもしれない、と思いついてのことだ。


 それは単に、秋人が不安な母を安心させてやるためだけに、やってみたことだったのだが――


「はあっ!?」


『なに、いきなり大声出して? 秋ちゃん、どうしたの?』


「い、いや、別に……」


 近所にいるお友達のカテゴリの中に、春香の名前があった。

 位置情報では、異世界にいる秋人は、祖父母宅にいることになっているはずである。

 その近所を示すということは、妹が祖父母宅にいることに他ならない。


 眠気などとうに消え去り、秋人はなんだか嫌な予感がしてならなかった。

 寝汗とは違った汗が、寝巻きを湿らせている。


 一昨日は、時間に追われた上に、物品の搬入作業の忙しさも重なり、すっかり忘れていたが、妹の春香からメッセージが届いていた。

 夜になってスマホを確認して初めて知り驚いたのだが、結局は顔を合わせることはなかったし、面倒臭がり屋の妹が、わざわざ片道3時間もかけてやってくるはずもない、と高をくくっていた。

 その晩、メッセージを打っても電話しても返事がなかったことから、そういったことは過去珍しくもなかったので、そのまま放置して気にも留めていなかった。


 あいつが『そっちいく』とメッセージを打ってから、移動時間で3時間。

 ちょうど俺が日本に戻ったくらいの時間?

 俺が戻ったときに玄関は閉まっていたし、誰かがいた気配もなかった。

 運送会社に荷物を受け取りにいくとき、玄関閉め忘れてたよな、たしか。

 俺と入れ違いになって、とか?

 いや、それには俺が預かってる魔石の魔法が必要で。あ、異世界と繋がる魔法って、効果がどれくらい持続するのか検証してないや。

 家に戻ったとき、玄関に靴あったっけ?

 あー、くそ、慌ててたから覚えてない!

 でも、こうも考えられないか? 本当に今は祖父ちゃんの家にいて、外出してると思って俺の帰りを待ち構えている、とか……はやっぱりないか、音信不通の説明がつかない。


 秋人の頭を一連の出来事がぐるぐる回る。


「どうしようか、秋ちゃん? やっぱり、捜索願とか出したほうがいいと思う?」


「待った、それはまだ止めとこう! 最終手段ということで!」


 どうも考えれば考えるほど、妹がこっちに来てしまったように思える。

 少なくとも、今現在、妹のスマホは祖母宅にあるのだ。

 なにかのトラブルで祖父母宅にスマホを置いた状態で、こっちに来てしまった、との想定が妥当かもしれない。


「捜索願の類はいったん置いといて、ね? 春香だって、初めて短大の夏休みで、新しい友達と泊まり歩くこともあるって。もし、普通に春香が遊びに夢中でうっかりしていただけだったら、大騒ぎするのは帰ってきたときに可哀想だよ。気長に3日、いや5日くらいは様子を見ようよ。今どきはそれくらい普通だよ。俺だってよくやるし」


 秋人は必死になって説得した。言い包めたが正しいか。

 仮に春香が異世界にいるのなら、日本でどんなに捜索しても見つかるわけがない。

 それに、過去の征司の事例もある。今実家で一緒に住んでいるはずの祖父母も、そういった話には敏感なはずだ。


 ここでベターなのは、まずは異世界で春香を捜しだし、露見する前に連れ帰ること。

 あと5日ほどもあれば、異世界移動の魔法の魔力も溜まる。

 そうなれば、また打てる手も増えるだろう。もちろんベストは、実際は秋人の話通りで、何事もなく帰ってくることだろうが。


 母をどうにか宥めて電話を切り、秋人は一息ついた。

 朝っぱらから異様に疲れた。

 試しに妹に電話をかけてみたが、やはり留守電になるばかりで出なかった。


 秋人は汗でべたつく寝巻きを着替え、リビングに向かった。

 話しているうちに、結構な時間になってしまった。

 この時間なら、叔父一家も、もう起きている時間だろう。


 まずは作戦会議だ。

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