第三章

魔族の胎動

 魔王城。古代よりそう呼ばれる古城があった。

 湖畔に建築された荘厳かつ堅牢な城は、代々続く魔王の居城として存在していた。


 登城を許されるのは、数多くの氏族の中でも最上位に位置する魔族のみ。

 その城はすべての魔族の羨望を集め、その雄大さは脈々と受け継がれた誇りの象徴ともいえた。


 しかし、現在――魔王の名を冠する城に、主たる魔王の姿はない。

 つい6年ほど前、歴代最強を冠されてた先代魔王が、たったひとりの人間に居城への侵入を許したばかりか、壮絶な一騎打ちの果てに討ち取られてしまったのだ。


 魔族の落胆は大きかった。

 そもそも過去ないほどに人族を追い詰め、決着に向けた大攻勢を行なう矢先の出来事だったのだ。


 以降、魔族は衰勢著しい。

 逆に人族は6年前を境として、威勢を盛り返してきている。


 各地で散発的な戦闘こそあるものの、魔族側には大規模な攻勢が取れない。指揮する者がいないのだ。


 魔族は種として強力な個体が多く、比例して我も強く誇り高い。

 ゆえに一族を統べうる超越した存在でもいない限り、組織的行動などできるはずがなかった。

 本来はその役目を担うのが、力の頂点たる魔王なのだが――その欠如が、魔族の衰退という現状を招いていた。


 ただし、正確には魔王が失われてしまったわけではない。

 新しい魔王は――いる。

 だが、単に”存在している”というだけで、表舞台には表われず、姿をくらましている。

 かつてのように魔族の隆盛を望む気配もない。それどころか、人族との敵対行動を厳禁とさえしている。


 だからこそ、魔王城に魔王が居ないという、こんな馬鹿げた状況になってしまっているのだ。

 かつての栄華は、主不在の城同様に埃に塗れてしまった。


 中級魔族のカストゥラも、現状に不満を抱く魔族のひとりだった。

 かつては足を踏み入れることすら叶わなかった魔王城の一室に陣取り、部下の下級魔族相手に声を荒げていた。


「戦況はどうなっている!」


 魔族の特徴である銀色の瞳に、大きな石角を生やした壮齢の魔族だ。

 魔法のみならず肉弾戦にも特化しているのは、その鋼のような肉体を一見しただけでわかる。

 実際、先の人族との戦争では、切り込み部隊の隊長として、前線の敵兵に最も恐れられていた存在だ。


「各方面における散発戦闘では、ことごとく勝利を収めております。この半年で3つの村とひとつの町を全壊、もしくは半壊に至らしめております。戦闘による被害は――」


 部下の下級魔族は、手元の資料に目を落としながら報告する。

 しかし、詳細を説明すればするほど、カストゥラは目に見えて不機嫌になっていく。

 部下は額にじっとりと汗をかきながら、辛抱強く報告を続けた。


 最終報告を終えた部下へのカストゥラの返事は、壁にめり込んだ拳と怒号だった。


「手ぬるい! なんだ、その微々たる戦果は!? 我らは栄えある魔王軍なのだぞ! 半年もかけて城のひとつ、城砦のひとつでも落とせんのか!?」


「そ、そう仰られてましても……魔王様のご意向もあり、表立った戦闘は禁じられております。目立った行動はなかなか――」


「腰抜け魔王に敬称をつける必要もない!」


「ひっ!?」


 あまりの剣幕に、部下は引きつったような声を上げた。


 カストゥラがぎろりと部下を睨む。

 殺気立った眼差しに、魔族として戦場ではそれなりに戦功を立てていた部下でさえも、恐怖で竦んでしまう。


「……やはり邪魔なのは、ラスクラウドゥか……」


 カストゥラは視線を外して呟くと、壁に貼られた地図のある一点を指差した。

 そこには、集落を示す記号が記されている。


「え~……そこは”カルディナ”と呼ばれる街です。戦後の発展著しいのか、辺境としては人口も多く、約1万の人間が暮らしております」


 部下が慌てて手持ちの資料から抜粋する。


「そうか」


 今日になって初めてカストゥラは笑みを見せた。

 ただそれは、邪悪としか表しようのない歪なものだった。


「地理的にも人間どもの王都より遠く、魔族領から迂回して行軍すれば、ある程度の軍勢でも直前まで悟られまい。人口も申し分ない」


「それは、つまり……よろしいのでしょうか?」


「それだけの犠牲があれば、人間どもの王国も日和見はできまい? 魔族領に大軍勢が派遣されるとなれば、いかに及び腰のラスクラウドゥといえども応戦せざるを得んはず――くくっ、人間ども1万を生贄とし、新たな戦の狼煙火としてくれよう。なし崩しに全面戦争に持ち込んでくれるわ!」


「おおっ! カストゥラさま!! 我ら魔族に栄光あれ!」


 カストゥラは愉悦に浸った表情で、主のいない居城に狂喜の哄笑を響き渡らせていた。

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