オレは自撮れない!!

麺田 トマト

俺は自撮りが出来ない!!



 ――俺は自撮りが出来ない。


 もちろん五体満足だし、インカメラの起動法が分からないわけじゃない。

 それはグラサンをかけた黒服に


「納豆食わなきゃいじめるぞ」


 と脅されれば食べられるのと同じで、物理的な話ではなく、ややこしい人間の精神こころの話だということだ。


 だってさぁ、壮大で壮麗な大自然をバックに、画質に劣るインカメをわざわざ使って大したことのない自分を写す意味が分からなくない? いいじゃん景色だけで。

 そのひとが大したことあるってなら別だけど、「大したことあるぜ!」というやつは大抵大したことない。そして俺は大したことない。悲しい結論だね。


 ……ひねくれてるって? そうじゃなきゃこんな面倒くさいモノローグ無いですって。


 ともかく、美しい景色にわざわざ自分という汚物を写す必要はない、というのが俺の見解なのだ。

 別に自撮り大好きパリピ族に親を殺されたわけでも無し、そういう考えを否定したいわけでは無い。

 ただどうしても理解に苦しむのだ。意味わかんない、本当に。

 これはトマト嫌いなひとに「なんでトマト食べれないの? あんな美味しいのに」と攻め寄るといったたぐいの恐ろしく生産性の無い話だ。そもそもこんな自分語りをする羽目になったのは、そう――。



「おっしゃ! みんなで写真撮ろうぜ!」


 俺が植物ならば喜んで芽を開くであろう温かい春の日差しを浴びて、


「いいねぇ! 撮ろ撮ろっ!」


 高校生活という新たなステージに立った俺らを祝福するように、目にも鮮やかな桜の花弁がそよ風に舞い散るそのさなかで、


「んじゃ君、頼むわ!」


 陽キャラたちの空気に呑まれ立ち尽くす俺に、自撮り係という大役さいやくっぽい何かが降りかかってきたからだ。

 声を掛けてきたのは整髪料でばりっばりに整えた茶髪の男子。日焼けたハリネズミを思わせた。見たことないけど。


 ここでそうめんのようにするすると流されていればよいモノを、ねじれにねじれたこの性格は慣性すら通用せずに、


「ごめん……ちょっと肩痛くて上がんないだよね……」


 まだ固い学ランの肩を押さえて意味不明な嘘をつく始末。こういうのは帰ってソファでぐったりするときに後悔すると分かっているのに、適当な笑みを張り付けて答える俺の脳みそはカブトムシ以下なのだろう。俺と比べるなんてカブトムシ保護団体に叩かれてしまうかも。

 ごめんなさいカブトムシくん!


 ……なんて寒い冗談を心中にとどめてまぶたを開くと、スマホを先端に装着したプラスチックの棒を持った女子がきゃぴきゃぴと躍り出ていた。


「私自撮り棒あるよ!」


「マジか! じゃ頼むわ~」

 

 俺でなくてもいいのなら、俺よりも適任がいるのなら、そのひとに任せてしまえばいい。それが俺の自意識が芽生えたころから臆病を重ねた末の思考だった。

 入学式の立て看板を囲むように数人の他人クラスメートが眩しい笑みを浮かべカメラに収まる中、俺は気配を消してそそくさとその場を立ち去る。

 誰も気付かないとか……就職先英国諜報機関エム・アイ・シックスにしようかな。


 向かう先はこれから一年世話になるであろう六組の教室。真っ白な上履きに履き替えて賑やかな廊下をひとり歩く。

 ちなみに今日両親は来ていない。共働きというのもあるし、元々学校行事に積極的なタイプではないのだ。

 別にひとりだということにこれといった感情を抱いたことは無い。ただ、親子二人で歩く新入生を見ると、自分がひとりであることに慣れ過ぎたのだといらぬ感慨に浸るだけ。


 ボッチ乙とかいうなよ。ボッチ乙とかいうなよ! ボッチ乙とか――。


 そして何事も無く教室に到着する。

 出会い頭に女の子と衝突だとか、登校前に美少女の救助イベントだとかが無かったあたり現実はそう甘くないらしい。どこかからか「当たり前だ」という声が聞こえた気がするがそれは無視することにする。

 十五歳、まだ夢を見ていたい。

 

 案の定まばら――というか俺しかいない教室。俺がハブられてるってわけじゃないよな……と他の教室を確認してみるが同じように静かだったのでほっと胸を撫で下ろす。

 そして、ふぅと息を吐いて手元のクラス分け表と黒板に貼りつけてある座席表とを照らし合わせる。

 

 『伊東颯斗いとうはやと:出席番号五番』


 俺の名前は廊下側の最後列の席にあった。いつもマスクしたヤバい奴が座ってるイメージの場所ですね(個人的所感です)。

 後ろから入ってくる奴の視線を一手に背負う立地ではあるけど、それを気にして他人の席に座るような度胸もないので大人しく自席に着く。

 背後の錆びれたロッカーの存在以外は中学校と変わらない教室模様。結局同じ公立校か、ところどころにひび割れやボロがうかがえた。

 ……まぁ中学のときはひびを埋めるだけの思い出があったものだけど。


 集合時間まであと数十分ある。二時間の入学式に対して一時間半という過分な休憩時間を設定した学校側に少しの怒りを覚えていると、ふと急激に瞼が重くなる。昨夜の夜更かしがたたったのだろう。不安で寝れなかった、なんてことは人にはいえまい。

 というわけで、ボッチはボッチらしく、重力に従って目を閉じ、意識を深い闇に譲り渡す――。



「入学初日でそんな格好でいたらボッチになるわよ」



 寸前、だったかは分からない。しばらく眠りに落ちた後の出来事だったかもしれない。

 脳内に直接語り掛けてくるような、澄み切った女声が俺を闇から釣り上げたのだ。


 目を開く。

 横倒しになった世界に、一輪の薔薇が咲いていた。

 人を花に例えるなんてメルヘンな思考には縁が無いと思っていたが、それは間違いだったらしい。

 人工物では成立しえない、天からの恩寵としか思えないほどに整った、可愛さと美しさが十対十で共存し合う顔立ち。

 そこにはめ込まれたルビーの瞳を見つめてしまえば、それはまるで呪いにかけられたように、一切の身動きがとれなくなる。

 美しさは暴力だ。そんな言葉が停止した思考によぎった。


「――――」

 

 視線を移すことなど、出来なかった。

 言葉を発することなど、出来るはずもなかった。

 見惚れるという言葉の真の意味を思い知る前に、既に思考は溶け消えた。

 ただただ目の前にある美少女という現象を視覚野に焼き付けて、いったいどれほどの時間が経っただろう。


「……ねぇ、大丈夫?」


 夜闇をくしけずったような黒のショートヘアが甘い香りと共に揺れた時、ようやく思考が形を成した。


「……あ、あぁ。大丈夫」


 現実味のない浮遊感に襲われながら、なんとか言葉を返す。

 返答に満足したのか、勝気さを感じさせる釣り目気味の目じりが緩んだ。


「まったく、くらい体調管理しなさいよ。第一印象で人間関係って決まるのよ?」


 随分と上から目線な台詞だったが、不思議と嫌な感じはしなかった。不細工に言われた時同じ感情を抱くかと言われたら、怪しいところだ。


「それは昨日のうちに言って欲しかったな」


「冗談は言えるのね、よかったわ。隣の席の人間がしょぼくれてたらこっちまで気分が落ち込んじゃうもの」


「……申し訳ない」


 創作物ではあぁいう台詞をツンデレとか、好意フラグとか言うのだろうが、少なくともつっけんどんにも感じられる彼女の口調からはそんな希望的観測は出来ない。

 ……そもそも俺に人からの好意を受けることなんてないのだし。

 

「あぁ、そうだ。用具入れの上に置いてある雑巾取ってくれない?」


「え? 別にいいけど」


 特に断る理由も無いし、断って「何アイツ」と思われるのも嫌だ。

 日ごろの行いのせいで痛む腰を持ち上げると、腕を伸ばして雑巾を手に取り彼女に手渡す。これだけのことでドキリとしてしまうのは女子に不慣れな証拠だ。


「どーぞ」


「ふーん……ありがと」


 黒髪の彼女は目を細めて俺を見つめたあと、雑巾を受け取りそのまま机の中に放り込んだ。


「いじめか! こういう新手のいじめか! 俺なんか生きててごめんなさいっ!」


「……いちいち他人をいじめようだなんて思わないわよ」


 若干引かれた。

 このパッツン前髪少女め――見直してもやはり可愛い……特に左の目じりのなみだボクロが色っぽくていいね。

 

 こういうやつはパパっとイケメン彼氏作ってたのちい青春ハイスクールライフを送るんだろうさ。少なくとも俺みたいな冴えない奴には路傍の石程度の興味しかもつまい。

 あぁ嫌だ嫌だ。毎朝小指をタンスにぶつける呪いにでもかかればいいんだ。


 ……やっぱり俺は前世で親をリア充に殺されたのかもしれない。


「……何か?」


 俺のリア充に対する熱い嫌悪感が伝わってしまったのだろうか。ルビーの瞳が怪訝そうに俺を見ていた。


「雑巾って使わないと汚れ取れないんだぜ、知ってたか?」


 俺史上五指に入る皮肉だったのだが。


「……粘着質な男は嫌われるって、知っていて?」


 ピロッ、と某RPGでお馴染みの回避音が流れた気がした。


「それに、自分の発言には気を付けた方がいいわよ。たとえそれが嘘だったとしても」


「???」


 ん、なんだ。急に現代SNS社会に対する警鐘を鳴らし始めたぞ。


「ま、いいわ。これからよろしく」


 彼女は白磁の手をひらひらと振ると音も無く立ち上がった。セーラー服に身を包んだスタイルの良い立ち姿はギリシアの立像彫刻を思わせた。ほんと形容に困らない人間だな。

 でもまぁ、こんな俺と美人の彼女が関わることなんて二度とないんだろうな。さようなら、美しい人。卒アルでこんど会いましょう。


 窓の外に見える満開の桜。周囲の喧騒と隔絶された空間に女子と二人きり。

 この状況が大変ロマンに溢れるものだったと気づくのは帰宅してからのことで――気付いたとしても近寄る甲斐性なんてないんだけど――今は再び襲い来る睡魔に従って目を閉じることにしたのだった。


「――卑屈も行き過ぎれば傲慢よ?」


 彼女の去り際。

 遠ざかっていく意識に、そんな彼女の言葉が聞こえたような気がした。

 反論は、出来なかった。眠かったし、それに。

 まさにその通りだと思ったから。


 ……後日この言葉をあらためて聞かされるとは思いもしなかったわけだけど。人生って分からないものだね。

 



 


 



 






 



 






 

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