第28話 だいぶ年上の女の影

 今日、見舞いに行ったのには理由がある。

父親からわざわざ本社に呼び出されてみれば、なんだか最近弟の様子がおかしいと言う。

「昔の慶応ボーイみたいな格好で。その上、健康に良さそうな飯まで作るようになっちゃって。最近の様子を学校に問い合わせたら、担任の先生はご不在で、学年主任の何とかっちゅー先生が、現在学年7位の成績だとか言い出して」

「・・・・はあ?」

通いの家政婦しなのさんの食事以外は、毎日のようにポップコーンやポテトチップを3袋とコンビニチキンを5つ喰らい、コーラ4リットル飲んでいたあの弟が?

勉強と説教は嫌いだと言って今時塾にも通わず、国語辞典と漢和辞典の差もわからないあの弟が?

BeautifulとVegetableを間違って覚えているあいつが?

「うーん・・・あれは頭でも打ったのか、血でも逆流したのか・・・・それとも・・・」

と、九十九つくもは引き出しから何やら紙を取り出した。

手渡されて見て見ると、クレジットカードの明細らしい。

五十六いそろくには、自由に使えと自分名義の家族カードを渡していた。

仕事が忙しく不在がちで、なかなか会えないのもある、面倒だったのもある。

生活費や日用品のようなものを買うようにと、口座にいくらか適当に振り込んであるのだが。

今までたいして見たこともなかったのだが、たまたま目を通してみたのだ。

「何の店かサッパリわからんかったから秘書に見て貰ったら、化粧品屋や婦人服屋らしい」

「・・・・はあ?何のために?」

サッパリわからないのはこっちだ。

「だからな、もしかしたらだ」

「えー・・・あいつ女装でもしてん・・・」

「違う違う。・・・お前はどうしてそういう男女の機微に疎いというか・・・。あれだ。女だ。しかも、かなり年上の女と見た!」

「ええ?あんな十二支もまともに言えないやつと付き合えるストレスに強い女性、居るか・・・?」

そんなアスリート級に強心臓の女子が現代日本にそうそういるとは思えない。

「だからだ。だから、年上の女なんだよ・・・。ほら!さすがに鋭いだろう?」

断言する父に、一三かずみは首を傾げた。

「年上ったって・・・、いそはまだ高校生なんだから・・・」

「女の年の頃はな・・・そう、あのおかずの具合を見ても・・・五十、いや六十過ぎ・・・」

そんなわけないだろう・・・。

というわけで、今日弟も見舞いに訪れると聞き、偵察に来たのだ。

確かに、おかしい。

久々に会った自分を、兄ちゃんでもなく、バーカバーカでもなく、お兄さんと呼び。

格好も確かに、きちんとしているのだ。

病室でもてきぱきと差し入れを冷蔵庫にしまったり、看護師さんに挨拶をしていたり。

その上、女性の心理の機微にすこぶる的確な説教までされた。

隣の助手席で口を開けて眠り込んでいる弟が、まるで別人のようだ。

自宅に着くと、弟を起こした。

「いーそーっ、起きろっ。なあ、夕飯、どうする?どっか食いに行くか?」

五十六いそろくの好物は、焼肉食べ放題か、ハンバーグ800gパイナップル乗せジャンボエビフライつきと大抵決まっている。

まだ寝ぼけまなこの弟は、いやいい、と首を振った。

「冷蔵庫におかずがあるから、ある分、食べちゃわないと。お米炊いてあるから、よかったら、どうぞ・・・」

よっこいしょ、と億劫おっくうそうに起き上がり、車を降りた。


 修学旅行の土産と渡された巨大な赤べこを抱えたまま、目の前に並んだ皿に兄は呆然とした。

チンするだけだから、十分くらい待てと言われたものの・・・。

ロールキャベツに、かぶら蒸し、まぐろのすき身とあさつきの酢味噌和え、れんこんのくるみ和え、豚肉といんげん豆の煮込み、オクラとトマトのカレー炒め。タラのブランダード。きのこと魚介類のパイ。鮭の粕汁。漬物。

本屋で買ってきたレシピ本のおかげで、ちょっとハイカラなメニューが増えた、とたまきは満足しているのであるが。

炊飯器にセットして出かけた炊き込みご飯と、スロークッカーで煮込んでいた鮭の粕汁も出来上がっていた。

「・・・あ、嫌いなものって・・・何、だっけ・・・?」

「・・とりの皮・・・」

「あ、鶏皮とりかわかー」

たまにいるいる、と今更変な相槌あいづちを打たれる。

一三かずみは箸を取った。

うん・・・確かに、これは。

確かに、相当年上の女の影・・・。

父が、そう思うのも仕方ない。

さもなきゃ、老婆の霊が取り憑いて、ティーンエイジャーの体を支配しているに違いない。

「・・・あの、なあ、いそ。これってさあ・・・?」

「はい?・・・粕汁しょっぱい?煮詰まっちゃってねェ・・・」

「いや、丁度いい・・。じゃなくて、これ、ほんとにお前作ったの?」

「・・・はあ?まあ・・・」

「誰かから、貰ったとか、買って来たとかじゃなく?」

はあ、と気まずそうに弟は頷いた。  

「・・・・お口に、合わない、ですかね・・・」

「いやっ!うまい。うまいけど・・・」

ちょっと前まで、台所になど入ったことがないような子供が作ったとは思えない。

そう、言うなれば、年季の入ったこなれた味。

支店の近所の小料理屋のおばちゃんが作るような、そんな味なのだ。

たまきは、やっぱまずかったかあー、高校生、粕汁作んないよなー・・・と後悔していたが。

「・・・あの、普段はオムライスとか食べてて・・・いつもこうではない、ですよ?」

「あ、だよな。うん、普通オムライスとかだよな・・・」

そうそう、と適当にごまかせたと思ったが、なかなかしつこい。 

「・・・じゃ、これらは何?」

一三かずみが食い下がる。  

違和感を拭えないらしい。そりゃそうだろうが。

「・・・これは。教えて貰って・・・」

「誰にだよ?・・・しなのさん、いそに料理なんか教えたことないって言ってたぞ」

「あー・・・えーと」

料理教室とかネットでとか言った方がいいのだろうか。

いやしかし嘘に嘘を重ねるのはもう無理だ。

じゃあどこの料理教室とつっこまれたら答えられない。

ネットにしても、自分はそれほど詳しくない。

「担任の、おばちゃん、先生・・・」

だって私ですから。

「・・・へ?あ、そう。・・・そうか。・・・親切な方だな」

「そう、そうなの!親切なの!」

一三かずみはじっと小鉢の群れを眺めた。

母親のいない弟を不憫に思って、いろいろ世話をしてくれているのだろう。

ありがたいことだ。

もしや、この更生ぶりも、そのおばちゃん先生のおかげかもしれない。

今度、カステラでも買って挨拶に行こう、と一三かずみは思った。

 

 たまきはそっとため息をついた。

やっぱ無理だって。

三十路の自分に、男子高校生役なんて・・・・。

自然にしようと思えば思うほど、ますます不自然になってしまう。

高久たかくの兄は妙に疑っているし・・・。

病院に行くまでに心臓持つかな、と思うほど動悸がする。

しかも、泊まっていくと言いだした。

自宅だから当然なのだが、明日も本社に用事があるとかで、支社の近くにある自分のマンションには明日の夜に帰るらしい。

高久たかくにいろいろ兄の傾向と対策を聞こうと、ラインはしたが、またどこかのデパ地下をほっつき歩っているらしくさっぱり返信がない。

台所で洗い物をしながら、翌朝の下ごしらえをし、もう途方に暮れたい気分だ。

一三かずみが風呂に入っている間に、連絡を取りたかったのだが・・・。

「おい、何か、酒無いの?」

と、後ろから声をかけられた。

風呂上がりの一三かずみがほぼ半裸で立っていた。

「って高校生に聞いてもダメか・・・でも何か酒臭いんだけど。まさかお前・・・」

ぶんぶんとたまきは首を振とた。

一応、高校生なのだし、その辺はわきまええていた。

この姿になって以来、チューハイや発泡酒すら飲んでいない。

風呂上がりはいつもミルクティーか、アイスだ。

「こ、これかな?!粕汁の酒粕余ったから、朝ごはん用に鮭漬けておこうと思って・・・」

タッパーを見せた。

一三かずみが気味悪そうに弟を見つめ返した。

「あの・・・食べれますか・・・。かす漬け・・・。さ、サワラの方が良かった、かな?」

「ああ、どっちも好き・・・。どうもね・・・。何?雪見だいふくとあずきバーとモナカしかないの?」

冷凍庫を開けて、アイスのラインナップの年齢層が高いのにまた驚きを隠せない。

「あ、あの!つめたいもの、あります!」

白濁してどろどろと発泡したものが入ったグラスを手渡されて一三かずみは戸惑った。

「・・・バリウム・・・?」

「甘酒です。冷たい甘酒を炭酸で割ったもの・・・。あの、こうじって体に良いらしくて!炊飯器で甘酒にしたんです。お砂糖入れないのに甘くなるってすごくないですか?」

「あ、甘酒を、作ったって事?お前が!?・・・つうか、甘酒ってこうじから作んの?こうじって、つまり、何なわけ?」

「菌、ですね・・・。今、流行ってます、よね?」

「今?菌が?知らない。てか、十代には流行ってないだろ?」

たまきは、誤魔化し笑いをした。

明らかに不審に思っているのが分かる。

だよなあ・・・男子高校生、魚なんか漬けないし、甘酒炊かないよなあ・・・。

やっぱ無理だって・・・・。

たまきは、連絡を寄越さない高久を恨んだ。

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