彼岸に寄せて
古森四方
序
芸術的気質を持つた青年は、最後に人間の悪を発見する。(芥川龍之介『侏儒の言葉』)
ぼくが彼女、多々良志甫のことを知ったのは、ある冬の夜のことだった。
その頃のぼくはといえば可もなく不可もない学力のために可もなく不可もない大学に通っていて、しかし何をするでもなく、また何かできるわけでもなく、文系学部の特権である自由をただただ無為に使い潰していた。田舎からこの街に移り住むにあたっていくらかの期待が――この街に来れば何かが変わるのだという希望が――ないでもなかったと記憶している。しかしそんな熱は一度目の冬を迎えるころには気温と共にすっかり冷めてしまって、さらに二度目の春にはそんな期待ははじめから健気な幻想だったのだと知った。
ぼくが彼女に出会ったのはそんなこんなで三度目の冬、今にも雪が降り出さんとするほど寒く、言葉さえ外気に脱色されてしまうような夜だった。繁華街の一角、練習用の音楽スタジオの地下に併設されたライブハウスでのことである。その日そこではアマチュアバンドによる企画ライブが催されていた。
彼女が登場したのは三組目、ドラム・ギター・ベースの三人で構成されたスリーピースバンドだった。スリーピースバンド自体も、またその中に女性が混じっていることも別段珍しいことではなかった。ただ明らかに弾き込んだだけでは付きようのない傷がいくつも付いたジャズマスターと、まるで要塞のように彼女を囲むエフェクター類が目を惹いたことを覚えている。
「やります」
彼女は一言、聞き取れないほどの声量でそう言って、ドラマーに視線を送る。
チップ音がみっつカウントを取った。
曲が始まる。
ぼくはそこで。
――かみさまをみたのだ。
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