異世界ボトルメール

白香堂の猫神

第1話 瓶詰めの想いは次元を超える

 愛用の万年筆を片手に紙……便箋に向き合って、かれこれ一時間。

 私は一言も書けぬまま、視線を落とし続けていた。


 私、大空 夏花おおぞら なつかは十年前、小学六年生の夏休みに異世界に召喚された事がある。


 地球とは違う、煙と歯車の世界。でも、魔法の様な物がある不思議な世界だった。


 何も解らぬまま、見知らぬ世界に放り出された私は、助けてくれた人達と共に、元の世界に帰るための方法を探して旅をした。


 本当にあちこち旅した。


 深い森、海の遺跡、燃え盛る荒野に天空の神殿。


 おとぎ話の様な場所を私は冒険して、私が呼ばれた理由を知った。


 知ったけど……子供だった私には何もできなくて、結局、気休めにしかならない程度の結果しか出せなかった。


 なのに、仲間は……私を助けてくれた人達は誰一人、私を責めなかった。


 優しく笑って、こんな事は忘れてしまって良いと、忘却の魔法をかけて元の世界に私を帰してくれた。


 元の世界に帰って来た私は、あの世界の事を何もかも忘れてしまっていた。


 魂が抜けてしまった様な空っぽの心。でも……。


「忘れたくない」


 私に残っていたその願いが、失くした物を取り戻せと叫ぶ。


 それからは、白紙になってしまった絵に手探りで色を塗る様に、私は日記を書き続けた。


 何度も何度も記憶を辿っては、書き直したりして少しずつ、思い出していった。


 そうして十年、私は『私が救えなかった世界』の記憶を完全に取り戻したのだった。


「はぁ……」


 ため息を吐いても、言葉は振って来てくれない。


 日記と並行してもう一つ、私には日課があった。


 あの世界の仲間に手紙を書く……そんな、浅はかな子供が考えた、馬鹿みたいな日課が。


 楽しかった事、思い出した事、何でも無い日常の出来事を書いては、小さく折りたたんで、お酒の瓶やお菓子の入っていたボトルに詰め込んでいった。


 初めはいっぱいになれば、思い出せるんじゃないかって思ったから始めた事。次第にいつか皆に届くんじゃないかって、期待に変わって。


 昨日までは捨てられない宝物みたいな、大切な想いの塊だった。


 でも今は、違う。


 これは、もう意味の無い物になってしまった。ただ重いだけのゴミ。


 今だって、身体に染みついてしまっていたから、便箋と睨めっこしているだけ。


「本当、馬鹿じゃないの……私」


 ポタポタと便箋に涙が零れ落ちる。


 だってそうでしょう?


 世界を救えなかった、出来損ないの救世主からの手紙なんて、受け取ってもらえる訳が無い。


 誰も責めなかったけど、心の中では罵倒していたのかもしれないし、失望だってされただろう。


 要らないから帰された私が、皆を仲間と言う資格なんて無かったのに!


 分不相応にも皆への想いを手紙に込めて、届けたいなんて願ってしまった。


「……っ、……うぁ」


 痛い、痛いよ。


 温かったはずの記憶が、今は刃物みたいに冷たくて、痛い。


 認識した罪悪感が私の心を切り刻んだ。


「……ごめ、なさっ……」


 意味の無い謝罪を私は繰り返す。


 そんな事をしたって、時間は戻らないし、あの世界が助かる訳じゃ無いのに。


 私にできる事は、謝る事だけ。許される事の無い謝罪を、壊れた玩具みたいに繰り返した。



 泣きまくって、何とか落ち着いた私は、最後の手紙を書いて一番新しい瓶に入れた。


 私が書いた異世界へのボトルメールは全部で七つ。


 その全部を鞄に詰めると、私はフラフラとした足取りで海へと向かった。


 刑事ドラマのラストシーンみたいな、海へ張り出した崖の上へ。


 青い海と空が溶け合う様な景色に、少しだけ笑顔になれた。


「ははっ、重いなぁ」


 みっちりと手紙が詰まったボトルメール。それが七つもあるなんて、こんな重い女もそう居ないと思う。


 でも、この想いは持っていては、いけない。持っていられなくなった。


 子供の時には理解できなかった、私の罪。


 それを理解してしまった今、前の様に皆を想っていてはいけない。


 ギリギリまで近づいて、鞄の中のボトルメールを崖の下へとぶちまけた。


 送る先が無くなってしまった手紙は、宝物として持っていられなくなった想いは全部、捨ててしまうしかない。


 落ちていくボトルメールを見つめていると、それは起こった。


「……え?」


 岩に当たって割れるか、海へ流されるはずのボトルメールが一瞬のうちに全部、消えてしまった。


 透明な穴でもあるかの様に、跡形も無く。


「な、なっ、えぇっ!?」


 地面に膝をついて目を凝らして、崖の下にボトルメールを探しても見つけられない。


 目をこすって、頬を抓ってみても普通に痛い。夢じゃなくて現実だと伝えてくる。


 不思議な現象に私は言葉も出ないまま、しばらくの間その場で固まっていた。




 何かが落ちてくる様な音がする。


 また、何処かのパーツが外れたのか? 眠気を何とか追い払って俺は目を開けた。


「……? 何だこれ?」


 目の前には見覚えの無い瓶がある。中には色とりどりの紙? だろうか? それが満杯になるまで詰め込まれていた。


 身体を起こして、辺りを見回すと俺の周りに形や種類は違えど、紙の詰まった瓶が

七つ落ちていた。


「これが落ちて来た音だったのか? いったい何処から?」


 此処にはそもそも瓶なんて置いて無い、ガラスなんて真空管くらいしか無い。


 上を見上げてみても、灯り水晶の生えた天井しかなかった。


 視線を戻して、よく見てみると一つだけ蓋が開いていた事に気が付く。飛び出した中身を一つ摘み上げて、掌に載せると折りたたまれていた紙が少し、広がった。


 そのまま開いてみると、それは手紙だった。


 綺麗な筆跡で懐かしい文字が綴られていて、俺は久しぶりに笑う。


「夏花の世界の文字……か」


 かつて一緒に旅をした小さな女の子。


 泣き虫で、頑固で、正義感の強い温かい子だった。互いに文字を教え合ったりした思い出は、今も鮮やかに思い出せる。


「元気でいるかな? ……泣いたりしていないと良いけど」


 それだけが心配だ。


 俺達はあの子に色々なものを押し付けてしまった。負わなくていい重責を背負わせて、無理をさせた。


 小さな子供に、世界の命運と俺達で解決するべき問題を押し付けて、救いを求めたのがそもそもの間違いだったのに。


 自分達で解決しなくちゃいけなかった。


 あの子を傷つけた償いに、俺達はこの世界の記憶を消して、あの子を帰した。


 夏花の様な子を出さないために、今度は俺達で世界を守って行こうと決めて。


 手紙を見つめていると、ある事に気が付いた。


 文字は滲んでいないのに、紙のあちこちに濡れた跡がある。書く前に泣いたみたいに。


 何故か、あの子が泣いている姿が頭に浮かんだ。


「まさか……」


 そんなはずは無いと、俺は手紙を読む。知らない文字もあるが、何とか読めるところをつなぎ合わせて、目を見開いた。


 あの子は……夏花は、俺達の事を思い出していた。


 俺達を救えなかった事、手紙を書き続けた事を謝り続けている。


「馬鹿だな、夏花」


 俺達は誰もお前を責めないし、嫌ったりもしないのに。


 むしろ、守りたかったから、記憶を消して元の世界に帰したのに。


「お前は何も悪くないのに……」


 手紙を胸に当て、夏花の代わりに抱きしめる。


「ごめん、ごめんな……」


 泣くなと言ってやりたい。


 罪悪感に苛まれているであろう、大切なあの子を泣かせたままにしたくなかった。


 会いたいと、強く願った。


 でも、もう奇跡は起こらない。こうして手紙が届いた事だって奇跡なのに。


 二回目なんてありえないのだから。


 俺は手紙を抱いたまま、声が嗄れるまで泣き続けたのだった。



 これは夏花が再び、件の世界に召喚される一週間前の出来事。

 手紙を受け取った彼と、彼と年齢が逆転してしまった夏花の再会がどうなったのかは、また、別のお話。

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