第4話 どこでもドア

              ◇



 ――先々代の総理大臣の名前を知らなくともどこでもドアを知らないという日本人は存在しないんじゃないだろうか。


 万が一それを知らない日本人が居て、そいつに今後も日本で生きていくつもりがあるならばこの場で知っておいて欲しい。


 どこでもドアとは言わずと知れた国民的英雄の扱う装備――ひみつ道具と呼ばれるツールの一つで、その中でも指折りの知名度を誇る逸品である。


 誰だって一度はありとあらゆる場所に自由に行ってみたいと思ったことはあるだろうが、どこでもドアとはそんな夢を叶える代物なのだ。


 そして、もう一つ知っておいて欲しいのがそんなことを僕も夢見たことがあるということと――夢見るだけではなくそれを現実に作るのが、僕、来戸くると 波留人はるとだということだ。


 ……まあ、そんな偉そうなことを言っても厳密に言えば僕がどこでもドアを作る「予定」だというだけなのだが。


 現実は厳しいのだ。


 僕は本気で「どこでもドア」を作りあげようとしているし、やり遂げてやるという気概もある―——気概はあるのだが。

 

 しかし、現実的な話をすれば現状はなんの成果も出せてはいないし、こんな状態で「僕はどこでもドアを作ろうとしてるんだ」なんて人に言えば大いに笑われることだろう。


 全く、現実とは厳しいのだ。


 一応、頭の中で理論上は組み上がっているのだから、出来ないはずもないのだが、何かを作ろうとしたことのある人ならば理解してもらえると思うが、アウトプット――頭の中にあるものを現物として形作るということが中々どうして難しい。


 恐らく、頭の中の着想を勝手に作り上げてくれる機械でも発明すればどこでもドアを発明する程度にはお金が入ってくるんじゃなかろうか、なんて思うほどには理論を実践するのは難しいのである。


 ――従って。


 今言ったように僕は本業を発明である、とはしているのだが、そんな金にならない、稼業とも呼べないような発明稼業だけでは当然生活が立ち行かない。


 僕は霞だけを食べていれば生きていける世捨て人ではないし、僕がお腹いっぱいになるにはご飯がいる、日本でご飯を食べるにはお金がいる――なんて、そんなこと今更説明することでもないのだろうから。


 だから僕は渋々本業の発明稼業以外――ありとあらゆる副業で日銭を稼いでいるのだ。


 そして、そんな数多ある僕の副業の一つが教職である。


 「そのうちの一つが教職である」なんて慎ましく言ってはみたが、職業は中学校の教師であると名乗る機会が多くなってしまっているのが僕の現状だ。


 本業の収入はゼロに等しく、他の副業も儲かったり、儲からなかったり、儲からない方が良かったりで、僕のまともに職業と呼べるのが「私立月華女子中学校」の非常勤講師しか無いのだから、それも仕方がないことなのかもしれない。


 僕が教師という職業に幻滅したのはいつだったか――それからもう随分経つけれど、だからと言って自分の生徒の教師像を粉々に撃ち砕いてしまっても構わないと思っているわけではない。


 教職はあくまで副業である、それは間違いない。


 しかし、副業だったとしても僕は教育者として真摯に教え子達彼女らと向き合っている、これに関しては嘘偽りはない。


 僕のどこでもドアの開発にかける思いと同じか、それ以上に女子中学生のことを考えていると言っても過言ではないだろう。


 いや、そのどこでもドアだって女子中学生の為に作っているのだから、僕の生活の全ては女子中学生で構成されていると言っても過言ではないのだ!


 ……それは過言だった。

 まあ、それは置いておいて。


 つまり、僕がこの一件――リスカの言うところの「人為掛け軸落書き事件」に関わることになってしまったのも、月華中学三年二組の名ばかりの副担任として、京都への修学旅行に同行したからだった。


 その事件が起こったのは三泊四日で行われる修学旅行の三日目で、旅行の中で唯一、丸一日自由行動の日であった。


 生徒たちは三日目の朝十時にホテルを出発し、自分達が事前に計画したプラン通りに京都の街を散策し夕方十七時までにホテルに帰還する――と、ほぼ全てを生徒の自主性に任せた行程である。


 それに伴い僕たち教師側も事前に申請させた生徒達の行程表を参考に、京都市内各地――主だった観光地に散らばり、生徒達の監督兼何かあった時生徒を保護できるように備えていた。


 当然、訪れる生徒が多い弐條城や清湖寺なんかは学年主任や教頭なんかの百戦錬磨のベテラン教諭たちが配置されていて、反対に、僕なんかのような新人はマイナー――と言えば六分魅住職に失礼だけれど――ほんの少し落ち着いた雰囲気の雲燕寺に配置されたというわけだ。


 雲燕寺は京都市内の中心部から少し郊外に位置している。


 そんな立地条件だけでもこの雲燕寺にはあまり人が来ないというのに、雲燕寺の近くには世界遺産でもある龍案寺が鎮座している。


 その龍案寺には見事な――つまり結構有名で売りになる枯山水があり、元々観光客が少ないうえ、来たとしても近くの龍案寺に観光客を取られてしまって居る、だから雲燕寺は寂れているのだ、と事前の顔見せの時に六分魅住職は笑って言っていた。 


 別にお寺同士が商業的に競っているわけでもないのだろうから、取られてしまっているという表現も相応しくないのだろうけれど。


 だから、そんな(落ち着いた雰囲気の)雲燕寺に来る予定を建てていた月華中学の生徒は、上樵木、函谷鉾、直違橋の三人一班だけであった。


 彼女らは三人とも僕が副担任として担当している三年二組の生徒である。


 単に副担任と生徒として同じクラスに所属しているだけというわけではなく、誤解を招くことも承知で言うなら僕はこの三人と仲がいい――良好な関係を築けていると思う。

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